トルコグランプリ
トルコグランプリ(トルコGP, Turkish Grand Prix)は、トルコで行われるF1レース。2005年に完成した新しいサーキットであるイスタンブール・パークで行われる。
最近の新設サーキットと同様、ヘルマン・ティルケの設計によるサーキットであるが、これまで多く見られたような「ミッキーマウス」型のサーキットではなく、自然の起伏を生かし、かつチャレンジングなレイアウトに仕上がったことから、2005年トルコGPでは特に12コーナーにおいて、レース中に多くの追い越しシーンが見られた。この為、この年のベスト・レースの1つにあげる声が多く聞かれた。
過去のレース結果
- ルノーのフェルナンド・アロンソとのチャンピオンシップポイント差を26点ビハインドで迎えたマクラーレンのキミ・ライコネンはポールポジションからスタートするも、ルノーのジャンカルロ・フィジケラにスタート直後に交わされた。しかし1周目の12コーナー手前でフィジケラをで追い越すとそのまま独走態勢に入り、中盤以降はチームメイトのファン・パブロ・モントーヤと1-2体制を築いた。しかし、レース終盤にモントーヤがジョーダンのティアゴ・モンテイロと接触した影響からコースアウトする間に、アロンソが2位を奪い返し、チャンピオンシップ争いの「失点」を最小限に食い止めることに成功した。また、予選においては、B・A・Rのジェンソン・バトンと佐藤琢磨が8コーナーでのコースアウトにより大きくタイムロス、フェラーリのミハエル・シューマッハやザウバーのジャック・ヴィルヌーヴはスピンを喫するなどの波乱が見られた。
- 2006年から2008年までフェラーリのフェリペ・マッサが3連覇をマッサの得意のポール・トゥ・ウィンできめた。マッサが得意としてるサーキットと言える。マッサが3連覇を達成した際のインタビューでは『これで永住権をもらえるかね。』と笑顔でジョークを語った。
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム | 結果 |
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2005 | 8月21日 | 14 | イスタンブール・パーク | キミ・ライコネン | マクラーレン | 詳細 |
2006 | 8月27日 | 14 | イスタンブール・パーク | フェリペ・マッサ | フェラーリ | 詳細 |
2007 | 8月26日 | 12 | イスタンブール・パーク | フェリペ・マッサ | フェラーリ | 詳細 |
2008 | 5月11日 | 5 | イスタンブール・パーク | フェリペ・マッサ | フェラーリ | 詳細 |
2009 | 6月7日 | 7 | イスタンブール・パーク | ジェンソン・バトン | ブラウン | 詳細 |
2010 | 5月30日 | 7 | イスタンブール・パーク | ルイス・ハミルトン | マクラーレン | 詳細 |
2011 | 5月8日 | 4 | イスタンブール・パーク | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 詳細 |
2006年の表彰式問題
2006年の表彰式のプレゼンターに、国際的に承認されていない北キプロス・トルコ共和国の大統領メフメト・アリ・タラートが起用され、国際映像の字幕で彼を同国の大統領と表示したことで、政治的中立を保つべきF1グランプリを政治利用したとしてFIAは主催者側に500万ドルの罰金を科すことを決めた。
翌2007年の世界ツーリングカー選手権では、同サーキットで開催予定だったトルコでのレースがシーズン開幕直前にFIAによって突然キャンセルされている。これは理由の告知が全くない異例のもので、この表彰台での一件に関するトルコ側の対応が不満視されたためと見られている。
その後、F1興行面を取り仕切るバーニー・エクレストンがイスタンブール・パークを買収、2021年までのF1開催保証をした。しかし契約金の交渉で決裂したため2012年のF1レースの開催カレンダーから外れることとなった。ジャーナリストのサイモン・アロンはカーグラフィック誌連載のコラムで、2006年以降は赤字だったこと、また表彰式問題でエクレストンの心証は(行動とは裏腹に)非常に悪かったと指摘している。