スフォルツェスコ城

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スフォルツェスコ城
Castello Sforzesco
ミラノ イタリア
The Torre del Filarete.
スフォルツェスコ城の位置(イタリア内)
スフォルツェスコ城
イタリアの地図
座標北緯45度28分12秒 東経9度10分43秒 / 北緯45.47000度 東経9.17861度 / 45.47000; 9.17861座標: 北緯45度28分12秒 東経9度10分43秒 / 北緯45.47000度 東経9.17861度 / 45.47000; 9.17861
施設情報
所有者ミラノ市
一般公開博物館として公開
現況建築家Luca Beltramiによる修復(1891-1905)
ウェブサイトwww.milanocastello.it/en
歴史
建設1360年-1499年
使用期間1862年まで

スフォルツェスコ城またはスフォルツァ城イタリア語:Castello Sforzesco)は、イタリアミラノにある城塞。現在は美術館としても公開されている。

歴史

1358年から1370年ごろ、中世イタリア・ミラノの名族ヴィスコンティ家僭主ガレアッツォ2世・ヴィスコンティによって[1]、近くの市壁門の名前から「 Castello di Porta Giova (もしくは Porta Zubia)」と呼ばれる城として建造命令がなされた[2]居城として子孫たちによって拡張されていったが[2]、1447年にミラノで発足した短命政権「黄金のアンブロジアーナ共和国英語版」によって破壊された。

1450年ミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築して城塞とした。その後、16世紀から17世紀にかけて改装・増築され、ヨーロッパでも有数の規模の城塞となった。1796年この地を征服したナポレオン1世によって一部の施設が破壊されたが、1891年から1905年にかけて、建築家ルカ・ベルトラミらによって修復された。

もともとは星型の形状の広大な城郭であったが、現存しているのは元々の面積の1/4程度以下であり、残りの敷地は公園や道路となっている。現在、スフォルツェスコ城の内部は市立博物館(スフォルツェスコ城博物館;Musei del Castello Sforzesco)となっている。内部にはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されている。また、アッセの間の天井と壁には、レオナルド・ダ・ヴィンチが未完成の壁画を残しているが、後年、塗りつぶされている。この壁画については、2013年現在修復作業が続けられている[3]

ギャラリー

城内の博物館

出典

  1. ^ Page at icastelli.it (イタリア語)
  2. ^ a b Guida Milano. Touring Club Italiano. (1985). p. 436 
  3. ^ “塗料の下に数百年眠っていたダビンチの絵 波乱の運命、やっと表に”. 産経新聞. (2013年11月18日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/131118/erp13111814460009-n1.htm 2013年11月18日閲覧。 

外部リンク