アディダス
種類 | AG |
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市場情報 |
Pinksheets ADDYY
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本社所在地 |
ドイツ バイエルン州 ミッテルフランケン ヘルツォーゲンアウラハ |
設立 | 1949年8月18日 |
業種 | その他製品 |
事業内容 | スポーツ用品の製造販売 |
売上高 | 119億9000万ユーロ(2010年)[1] |
営業利益 | 8億9400万ユーロ(2010年)[1] |
純利益 | 5億6700万ユーロ(2010年)[1] |
純資産 | €46億1600万ユーロ(2010年末)[1] |
従業員数 | 42,540人 (2010年末)[1] |
外部リンク | adidas-group.com |
アディダス (adidas) は、ドイツ・バイエルン州に本社を置くスポーツ用品メーカーである。
ロゴの種類
3本線は登録商標であるため[2]、ロゴ扱いとなり、2000年代のある時期からテニスの4大大会などにおいて、ウェアの3本線の大きさ(長さ)の制限がなされている[3][4]。
- トレフォイルロゴ
- パフォーマンスロゴ
- グローブロゴ
- 2002年に初登場。 円に斜めの3本線が入ったマーク。NEOレーベル、SLVRといった10代・20代向けのカジュアル、ライフスタイルを専門に採用。
- リニアロゴ(「adidas」の文字のみのロゴ)
ライン
- adidas ADVENTURE (アディダス・アドベンチャー)
- 1990年代初頭にアディダスのアウトドアラインとして日本から登場したブランド。後にドイツのアディダスでも製造されるようになった。 ロゴは「adidas ADVENTURE」の文字のみ。
- adidas originals (アディダス・オリジナルス)
- トレフォイルロゴを用いた復刻シリーズ。
- adidas skateboarding (アディダス・スケートボーディングス)
- 通称:adidas SB。adidas originalsの中のスペシャルラインとして2006年に初登場。トレフォイルロゴを使用。「アディダス・スケートチーム」に所属するストリートスケーターたち(MARK GONZALEZ、DENIS BUZENITZ、TIM O'CONNOR、SILAS BAXTER-NEALなど)のために作られたが、一般に向けても少量のみ販売。
沿革
- 1900年 - 創始者であるアドルフ・ダスラーがドイツ・ニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで、靴職人の息子として誕生。
- 1920年 - ドイツ・ニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで、兄ルドルフ・弟アドルフのダスラー兄弟が、靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」を設立。主にルドルフが販売、アドルフが生産を担当。
- 1948年 - 兄弟の意見対立により「ダスラー兄弟商会」を解消。アドルフはアディダス社を設立。「アディダス」はアドルフの愛称「アディ」と「ダスラー」をつなげたもの。なお、兄ルドルフはRUDA社を設立。これが翌年、プーマ社となる。
- 1965年 - テニスシューズ「ハイレット」を発表。これが後のスタン・スミスとなる。
- 1970年 - オールレザーのバスケットシューズ、「スーパースター」発表。
- 1970年以降、アドルフの息子であるホルスト・ダスラーが実権を握り始める。ホルストはスポーツ広告代理店インターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー(ISL)を電通と共同で設立し、フアン・アントニオ・サマランチ(第7代IOC会長)やジョアン・アヴェランジェ(第7代FIFA会長)、プリモ・ネビオロ(第4代IAAF会長)らといったスポーツ界の大物達と太い人脈を持ったことなどから、後の近代オリンピックやFIFAワールドカップといった大規模なスポーツイベントの商業化に大きな影響を与えたとされる[5]。また、これによりスポーツ界全般においても大きな力を持つようになった。この時期、アディダスは売上高で世界一のスポーツ用品メーカーであった。
- 1987年 4月10日 - ホルスト・ダスラーが51歳の若さで病死。アドルフの娘たちとホルストの息子たちとの間での経営権争いもあり、アディダスの経営は迷走を始める。
- 1990年 - フランス人実業家ベルナール・タピが株式の過半を取得、経営権を握る。これによりダスラー家とアディダス社との資本関係はほぼ消滅した。この頃には、ナイキ、リーボックに次ぐ業界3番手に転落していた。
- 1993年 - 銀行団主導でフランス人実業家ロベール・ルイ・ドレフュスが経営権を握る。ドレフュスのもとでアディダスは黒字化、復活を果たした。
- 1995年 - フランクフルト証券取引所に上場。
- 1997年 - ウインタースポーツ用品メーカー、サロモンを買収。世界ナンバー2のスポーツ用品メーカー、アディダス−サロモングループになる。これによりテーラーメイドゴルフを傘下とする。
- 2005年 - リーボック株を取得し、リーボックをグループに加える。10月25日、フィンランドのスポーツ用品メーカー、アメアスポーツコーポレーションにサロモン部門を売却。
アディダスジャパン株式会社
日本でのアディダスブランドはそれまで販売代理店として兼松スポーツ(兼松の子会社)、デサントなどが請け負っていた。1990年代初頭からはアディダスのアウトドアラインとして「アディダス・アドベンチャー」というブランドが日本で登場(後にドイツのアディダスでもこのラインは製造されるようになった)。そして1998年、直営日本法人が設立された。
不祥事・社会問題
労働問題
1998年のFIFAワールドカップフランス大会の公式試合球「トリコロール」をパキスタン工場の10歳未満の子どもたちの手で作らせていたことが発覚。UNICEFとILOは、1日12-16時間ずつ、指紋が消え去るほどにして皮切れを綴らせた行為は深刻な児童虐待だと結論を出したうえで、アディダスに巨額の児童保護基金を出させ公開釈明させた。
水着回収問題
2010年に発売した女児用水着で、水に濡れると肌が透けて見える製品があったことが判明し、同社が自主回収を行った[6]。
独占禁止法違反
2011年4月12日、同社商品「イージートーン」の安売り禁止を小売店に強制したとして、アディダスジャパンが独占禁止法違反(再販売価格の拘束)の疑いで、公正取引委員会の立ち入り検査を受けた[7]。同委員会は2012年3月2日に、同社に対し独占禁止法違反で排除措置命令を出した[8]。
個人情報漏洩
2011年5月19日、 契約しているサッカー選手が来店した情報を、銀座店の店員がTwitterで流出させたとして、当該社員から事情聴取をしたうえで公式サイトで謝罪した[9]。
脚注
- ^ a b c d e “Annual Report 2010”. Adidas. 2011年11月26日閲覧。
- ^ 連邦国際専利商標事務所
- ^ アディダス、ロゴへの規定で4大大会を訴える - tennis365.net、2006年4月26日
- ^ 「JTA公式国内大会でのアディダス三本戦の件」
- ^ 「特集 SPORTS&MONEY 稼いで悪いか!」 Sportiva 2003年8月号
- ^ アディダスが透ける女児用水着自主回収の問い合わせ先を訂正 産経新聞 2010年7月15日
- ^ 「アディダスジャパンに立ち入り=人気運動靴の価格拘束容疑-公取委」 時事通信2011年4月12日付
- ^ アディダスジャパンに排除命令…靴の価格拘束で 読売新聞 2012年3月2日
- ^ アディダスジャパン、契約選手の情報流出を謝罪 社員がTwitterに書き込み 毎日新聞2011年5月20日付
関連項目
- TBWA\CHIAT\DAY(担当広告代理店)
- チームガイスト
- ジャブラニ
- ブラズーカ
- RUN D.M.C.
- 三村仁司 - 靴職人で、「現代の名工」の一人。アシックスを定年退職後、アディダスと専属アドバイザー契約を結び、自身の工房「M.Lab(ミムラボ)」にてアディダスの競技用シューズを制作。
- リーボック・ジャパン
- アディダスグランプリ
- デサント - 現伊藤忠系の日本のスポーツウェアメーカー。かつては同社の国内総代理店であったが、経営不振等を理由に業務提携解消。
- モルテン - サッカーボールの開発・生産を委託している。
- ウイニングイレブン
- コーセー - コラボレーション企画として男性用化粧品「adidas skin protection」を販売。
- arena - ホルスト・ダスラーによって興された水着ブランド。再建後自社で水着展開するようになりグループから切り離される一方、日本におけるアディダスブランド使用権を失ったデサントに見返りとしてアジア太平洋での事業展開権が与えられた。
- エース - スポーツバッグの開発・生産を委託しているメーカーの一つ。
- ABCマート - アディダスブランドの一部スポーツシューズを限定販売。
- シーシェパード - 環境保護団体と自称する海賊。ともに支援元である海洋保護団体「PARLEY FOR THE OCEANS」とのコラボしたスニーカーの制作にも関わった。[1]
外部リンク
- ^ “アディダス、 PARLEY FOR THE OCEANS とともに国連の気候変動イベントにてサステナビリティ・イノベーションを発表” (PDF) (2015年6月29日). 2016年2月24日閲覧。