ジョアン・アヴェランジェ

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ジョアン・アヴェランジェ
João Havelange
João Havelange.jpg
生年月日 1916年5月8日(97歳)
出生地 ブラジルの旗 ブラジルリオデジャネイロ

国際サッカー連盟#歴代会長一覧|国際サッカー連盟会長
任期 1974年 - 1998年
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ジョアン・アヴェランジェ(João Havelange)ことジャン=マリー・フォスタン・ゴドフロワ・ド・アヴェランジェ博士(Dr. Jean-Marie Faustin Goedefroid de Havelange, 1916年5月8日 - )はブラジルリオデジャネイロ出身の人物。スタンリー・ラウスの後任として国際サッカー連盟(FIFA)の第7代会長を1974年から1998年まで務め、ゼップ・ブラッターを後任とした。また国際オリンピック委員会(IOC)メンバーでもあった。

経歴[編集]

アヴェランジェの父は、ブラジルで新たな生活を始めるためにベルギーを離れた。父はアヴェランジェが17歳の時に死亡した。アヴェランジェは若い頃、水球水泳などいくつかのスポーツで成果を挙げ、特に1936年ベルリンオリンピックでは水泳選手として出場した。また、彼は1952年ヘルシンキオリンピックで水球のブラジル代表チームに選出され、出場した。

1958年から1975年にかけて、アヴェランジェはブラジルスポーツ連盟(CBD、現在のブラジルサッカー連盟)の会長を務め、さらに1955年から1963年の間はブラジルオリンピック委員会のメンバーでもあった。

1974年にスタンリー・ラウスを破り、FIFAの会長に就任する[1]。1998年まで24年間務めた在任期間の間に、サッカーの商業路線化を押し進め、それで得た資金で各世代の世界大会を創設するなどサッカー後進地域の発展に力を入れた[1]

彼はブラジルのスポーツ特別功労勲章、ポルトガルエンリケ王子勲章、スウェーデンのワッサ勲章、スペインイサベル女王十字勲章など、多くの勲章を受けている。1998年にはフランスワールドカップ開催の功績などによりレジオンドヌール勲章(グラントフィシエ)を授与された[2]。また同年にはFIFAの名誉会長に推挙された。

アヴェランジェは2006年現在、リオデジャネイロで家族とともに暮らしている。彼は24歳の時に法学博士号を取得し、バス会社Auto Viação Jabaquaraの弁護士として働いた。現在彼は別のバス会社であるViação Cometa S/Aで取締役の職にあり、またOrwec Química e Metalurgia Ltdaの上級パートナーでもある。

クルーベ・ドス・トレーゼが運営し、ヴァスコ・ダ・ガマの優勝に終わった2000年のブラジル選手権は、彼の名を冠したコパ・ジョアン・アヴェランジェとして開催された。2007年のパンアメリカン競技大会のために建設された競技場は、彼の功績をたたえてエスタディオ・オリンピコ・ジョアン・アヴェランジェと命名された。また、Estádio Parque do Sabiáとして知られる競技場の正式名称も、彼を記念したものである。

FIFAのマーケティングパートナーであったISL社の破綻に伴う国際的な資金疑惑に関しては、アヴェランジェの名前も挙げられ、サッカー界に議論を巻き起こした。

IOCは、FIFA会長時代のアヴェランジェの不正な金銭受領疑惑について調査を進め、2011年12月8日のIOC理事会で追放を含めた厳しい処分を下すはずだったが、12月1日にアヴェランジェが手紙で辞任を申し出た為、処分は見送られる見通しである[3]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]