おもてなし武将隊
おもてなし武将隊(おもてなしぶしょうたい)では日本各地で戦国武将などに扮してPR活動を行なう集団について述べる。
概要
従来より城などの観光地で鎧武者姿で観光案内などを行なう例などはあったが、2009年(平成21年)4月、名古屋市長河村たかしが公約の一つ「名古屋市の情報発信力の強化」として掲げていた[1]『武将都市ナゴヤ』キャンペーンが始まり[2]、同年11月に名古屋おもてなし武将隊が結成された[2][3]。名古屋おもてなし武将隊の成功により、全国各地で同様の集団が結成されることになる。
これらの武将隊は、歴史上の武将を城などと同様、ひとつの「観光資源」として捉えて観光客を呼び込むもので、名古屋おもてなし武将隊の活動を委託された三晃社は3つの基本コンセプトを挙げている[2]。
- 徹底的に本物にこだわり、お客さまに「武将の世界」を提供すること。
- 雨の日も、風の日も、いつでも名古屋城へ行けば「武将に会える」こと。
- 武将6名+陣笠4名が、独自のキャラを確立し、エンターテイメントを磨くこと。
「拠点となる城などに行けばいつでも武将に会うことが出来る」というコンセプトは、2010年に結成された伊達武将隊などその後に結成された武将隊の多くで踏襲された。
これらの武将隊は「おもてなし」として演舞や寸劇などのパフォーマンスや来場者との記念撮影を行なうほか、各種のイベントにゲストとして参加したり、地元ラジオ・テレビ局の番組への出演、インターネット放送を行なうなど、一種のローカルタレントとして活動するものも見られる。多くが戦国時代の武将とその配下(足軽・忍びなど)によって構成されているが、戦国武将の妻・娘など女性のみで構成されている「あいち戦国姫隊」や、幕末の志士たちによる「土佐おもてなし勤王党」、各地の武将隊から選抜されたメンバーによる「おもてなし武将隊JAPAN」などその形態も様々である。なお、行政主導によるものやボランティアによるものなど、運営形態はかならずしも定まっておらず、短期間で活動を停止・終了した武将隊もある。
一覧
武将隊による合同イベント
各地の複数の武将隊が一堂に会するイベントは2010年の世界コスプレサミットの共催イベントとして行なわれた『世界SAMURAIサミット』をはじめとして複数回行なわれている。
イベント名称 | 開催日 | 会場 | 参加武将隊 |
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世界SAMURAIサミット[6] | 2010年8月1日 | オアシス21 | 名古屋おもてなし武将隊、長浜歴ドラ隊、伊勢・安土桃山文化村 藤堂高虎武将隊、忍城おもてなし甲冑隊、山形おきたま【愛】の武将隊、外国人武者隊 |
世界SAMURAIサミット[7] | 2012年2月3~6日 | 名古屋ドーム | 奥州・仙台おもてなし集団伊達武将隊、山形おきたま【愛】の武将隊、忍城おもてなし甲冑隊、名古屋おもてなし武将隊、グレート家康公「葵」武将隊、あいち戦国姫隊、長久手歴史トラベラーズ、越後上越・上杉おもてなし武将隊、土佐おもてなし勤王党、金沢おもてなし武将隊、後三年合戦絵詞、越後胎内 百発百中! 板額弓人(cute)隊 |
戦国サミットin越後上越[8] | 2012年8月25・26日 | 上越市埋蔵文化財センター | 越後上越・上杉おもてなし武将隊、山形おきたま【愛】の武将隊、忍城おもてなし甲冑隊、風林火山 甲斐の虎武将隊、白石戦國武将隊 奥州片倉組、信州上田おもてなし武将隊 真田幸村と十勇士、金澤百万石武将隊 |
岡崎SAMURAIサミット~なぜか平日なのにこんなに集まりました~[9] | 2012年11月16日 | 三河武士のやかた家康館 | あいち戦国姫隊、清州城武将隊桜華組、長久手歴史トラベラーズ、後三年合戦絵詞、忍城おもてなし甲冑隊、グレート家康公「葵」武将隊 |
平成あいち戦国武将サミット[10] | 2012年11月18日 | アスナル金山 | あいち戦国姫隊、名古屋おもてなし武将隊、グレート家康公「葵」武将隊、長久手歴史トラベラーズ、清洲城武将隊桜華組、信州上田おもてなし武将隊、忍城おもてなし甲冑隊 |
清洲城戦国サミット[11] | 2013年2月3日 | 清洲市民センターホール | 清洲城武将隊 桜華組、清洲城武将隊 絆組、長久手歴史トラベラーズ、グレート家康公「葵」武将隊、あいち戦国姫隊、風林火山甲斐の虎武将隊、岐阜城盛上げ隊、岐阜城武将隊信義徹心、後三年合戦絵詞、安濃津戦国武将隊、愛知忍者連盟 |
全国武将隊天下一決定戦 ~宴~[12] | 2013年2月16・17日 | 名鉄ホール | 土佐おもてなし勤王党、奥州仙台おもてなし集団伊達武将隊、長久手歴史トラベラーズ、熊本城おもてなし武将隊、名古屋おもてなし武将隊、グレート家康公「葵」武将隊、信州上越おもてなし武将隊、あいち戦国姫隊、清洲城武将隊桜華組 |
脚注
- ^ “解説資料 河村たかしの名古屋政策”. 河村たかし (2009年4月11日). 2013年1月8日閲覧。
- ^ a b c “武将観光”. 三晃社 (2012年9月28日). 2013年1月8日閲覧。
- ^ “いざ出陣! 名古屋おもてなし武将隊 結成式”. Network2010. 2013年1月8日閲覧。
- ^ “活動報告”. 岐阜城盛り上げ隊 (2012年12月29日). 2013年3月28日閲覧。
- ^ 2012年4月1日に「金沢おもてなし武将隊」から改名。
- ^ “世界SAMURAIサミット”. Network2010 (2011年10月17日). 2013年4月2日閲覧。
- ^ “世界SAMURAIサミット”. テレビ愛知. 2013年4月2日閲覧。
- ^ “戦国サミットin越後上越”. 戦国サミットin越後上越事務局 (2012年10月2日). 2013年4月2日閲覧。
- ^ “「岡崎SAMURAIサミット」、秋田・埼玉などから武将隊6組そろう”. 岡崎経済新聞 (2012年11月20日). 2013年4月2日閲覧。
- ^ “平成あいち戦国武将サミットinアスナル金山”. 愛知県 (2012年10月24日). 2013年4月2日閲覧。
- ^ “2月3日 清洲城武将隊桜華組ファイナルイベント 清洲城戦国サミット開催!”. 清洲城武将隊 桜華組 (2013年1月18日). 2013年4月2日閲覧。
- ^ “全国武将隊天下一決定戦 ~宴~”. 名古屋おもてなし武将隊事務局 (2013年2月2日). 2013年4月2日閲覧。
関連項目
- 西川流 - 日本舞踊の流派。名古屋西川流4世家元の西川千雅は複数の武将隊でプロデュースを担当している。