門神

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香港の民家の門神
香港湾仔の民家の門神
門神像
韓国民俗村の門神(左)と対聯(右)

門神(もんしん)は中国仏教寺院道教道観住宅などの建物の入口に立ち、門番の役目をする朝鮮日本ベトナムなどにも伝播し、塑像絵画として具象化されている。

概要[編集]

日本においても、仏教寺院の山門四天王が塑像の形で各地に作られ、神道神社にも門守神(かどもりのかみ)、看督長(かどのおさ)の塑像が置かれる例は多く見られるが、中国においては寺院、道観にとどまらず、民家の門にも絵画で普及している。邸宅では彩色で直接正門のに描かれるが、簡易なものでは木版画として売られ、これを旧暦の新年に際して扉に張る風習がある。観音開きの木戸が多いため、左右の扉の外に面した側に一対の門神が貼られる、または描かれるのが普通。中国においては、民間伝説としてよく知られている秦叔宝(秦瓊)と尉遅敬徳(尉遅恭)が対で描かれるか、一枚扉の場合は、魏徴または鍾馗が描かれることが多い。

歴史[編集]

門神の歴史は古く、前身は「桃符」または「桃板」と呼ばれる木であった。古代中国において桃木は「五木の精」であり、邪気を避けることができると考えられた。このため、漢代には、魔除けとして飾ることが始まった。桃木には文字や模様を刻む場合もあり、これが対聯年画の原型となった。日本では門松に変化した。

南北朝時代以降、が広く利用されるようになると、桃木は紙の年画や文字に取って替わられた。神荼郁塁を描いて貼ることが流行した。(南朝)の宗憬の『荊楚歳時記』には、元日に「桃板を造り戸に着け、之を仙木と謂う。二神を絵き戸の左右に貼る。左に神荼、右に郁塁、俗に門神と謂う。」とある。代には秦瓊と敬徳に変わるなど、時代ごとに歓迎される人物が変化してきた。

人物[編集]

時代、地域、建物、職業によって門神とされる人物は異なり、種類は多いが、主なものとして次がある。

中国[編集]

 

日本[編集]

左門神
右門神

関連項目[編集]