邦ちゃんサクちゃんのワンダフルりくえすと ヤマダ・マイ・ハウス

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邦ちゃんサクちゃんのワンダフルりくえすと ヤマダ・マイ・ハウス
ジャンル 音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1998年3月30日 - 2001年3月30日
放送時間 平日 8:30 - 11:00
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 山田邦子
桜庭亮平
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邦ちゃんサクちゃんのワンダフルりくえすと ヤマダ・マイ・ハウス(くにちゃんサクちゃんのワンダフルりくえすと ヤマダ・マイ・ハウス)はニッポン放送で1998年3月30日から2001年3月30日まで放送されていた番組。

概要[編集]

前番組『加トちゃんのラジオでチャッ!チャッ!チャッ!』が2年で終了したのを受けて、当時毎週土曜日の午後に放送していた『山田邦子 涙の電話リクエスト』を平日午前帯に移動させる形で開始された(『電話リクエスト』の後任は上柳昌彦アナウンサーが担当)。

2001年3月限りで、桜庭がリフレッシュのため夕刊フジ編集部へ転属となり、番組は終了。翌月からは山田のパートナーをニッポン放送アナウンサーの日替わり制にしたうえで『山田邦子ワンダフルモーニング』にリニューアルされた。

放送時間[編集]

毎週月 - 金曜日 午前8:30 - 11:00

パーソナリティー[編集]

エピソード[編集]

  • この番組より、従来午前9:00スタートだったニッポン放送平日午前帯のワイド番組は、午前8:30スタートに繰り上がった。
    • また、従来この時間帯の番組に内包されていた『テレフォン人生相談』は単独番組となったため、放送終了も午前11:00に繰り上がった。
  • 山田の父親が亡くなった際に、家族から父親逝去の一報が放送開始前に入ったものの、山田は相棒の桜庭や番組スタッフにはこのことを知らせず、当日の番組を無事に務め上げてから父親の元に駆けつけた。桜庭らは当日の放送終了後に本人の口から直接伝えられるまでその事実を全く知らず、翌日の放送でも桜庭が「まさかそんな状況だったとは…」と語るなど驚きと衝撃を隠せないままだった。

脚注[編集]

  1. ^ 『企業と広告』第24巻第5号、チャネル、1998年5月1日、3頁、NDLJP:2853182/3 
  2. ^ a b エルネオス = El neos : ビジネス情報誌』第4巻第5号、エルネオス出版社、1998年5月1日、103頁、NDLJP:2889469/52 
ニッポン放送 平日 8:30 - 9:00
前番組 番組名 次番組
邦ちゃんサクちゃんのワンダフルりくえすと
ヤマダ・マイ・ハウス
ニッポン放送 平日朝9時台(8:30 - )のワイド番組
邦ちゃんサクちゃんのワンダフルりくえすと
ヤマダ・マイ・ハウス
山田邦子ワンダフルモーニング