藤田東吾
藤田 東吾(ふじた とうご、1961年7月21日 - )は東京都町田市出身。起業家で作家。イーホームズの代表取締役社長、株式会社ほがらか舎CEO、株式会社imairu社長、株式会社福祉開発研究所の顧問その他。『月に響く笛 耐震偽装』の著者。既婚。実業家で自然食家の佐々木ベジの弟子。マーケティング学者、上原征彦(現明治大学大学院教授、財団法人流通経済研究所理事長、他)の門下生。広島の藤田氏、荻の藤田氏、藤田伝三郎、藤田田は親戚である。
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[編集] 略歴
東京都立町田高等学校卒業後、2年間の浪人を経て、明治学院大学法学部に入学した。ゼミは商法の他、計量経済学やマーケティングを専攻した。
大学在学中、雑誌popeyeのエディター(山本コテツ)やカメラマンのアシスタントをしたのち、山本コテツが社長となる株式会社コンセプチュアルデザイン研究所に参加、「POPEYE」のほか、「JUN」広報、「レイトンハウス」運営商業施設の企画開発、「三菱商事」スポンサー物件、「ロバート・デ・ニーロとのトライベッカ開発」の共同事業、「MZA有明」、「トゥーリア」、「藤和不動産」スポンサー物件、「河口湖FIT」の企画開発など数多くの商業施設の企画開発プロジェクトを遂行した。
同時期、大学のマーケティングの指導教授上原征彦教授の指導推薦で、学習院院長を務めた田島義博教授が理事長の財団法人流通経済研究所でもマーケティングの研究生として在籍した。その後、佐々木ベジが率いるフリージアグループに就職し修行する。1997年に独立し、イーホームズの前身となる造園業の会社、エアーイースト株式会社を興した。
1999年に建築基準法が改正されたため、現在の確認検査機関「イーホームズ」を興した。年間1万8千棟の建築物の確認検査を行う業界2位の規模に成長した(業界1位は日本ERI)。日本建築行政会議メンバー、住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)の理事などを若くして歴任した。
2005年11月17日に国土交通省が公表した構造計算書偽造問題を告発した本人である。
2006年12月28日、自らが経た構造計算書偽装事件について、政治家、官僚、マスコミ等の関係者を含めほぼ全てを実名で表記し、メールや議事録等によって書きおろしたノンフィクション、『月に響く笛 耐震偽装』を発表する。
藤田によれば、当初この本を文藝春秋社から刊行しようと計画し文藝春秋社と合意に達していたが、本の内容から石川県を地盤とするアパグループの偽装マンションの記述を削除しないと発刊できないと、文藝春秋社から突きつけられた、という。藤田は耐震偽装事件の事実を歪めることになるとしてこれを拒否し、本の出版を行なうために自らimairuで本を発刊した。
2007年1月25日には、京都府のアパホテル2件の耐震強度の偽造が国土交通省により発覚した。発覚した物件は藤田が告発した物件とは別の物であるが、設計事務所は告発した物件と同一である。2007年2月2日、上記2件のホテルの他に藤田がかねてより指摘していた「アパガーデンパレス成田」、「アップルガーデン若葉駅前」に強度不足があることを千葉県と埼玉県が認め、国土交通省は構造計算書に偽装があると見解を示した。2007年4月25日、講談社が、『月に響く笛 耐震偽装(改訂完全版)』を発売。
2008年10月29日、奈良市のホテルのオーナー会社が元一級建築士、総合経営研究所、木村建設、イーホームズに損害賠償を求めた裁判の判決で坂倉充信裁判長は総合経営研究所とイーホームズへの訴えを棄却し、イーホームズへの過失責任はないとした。
2011年1月26日、ヒューザーのマンション被害住民48名が江東区、イーホームズに建て替え費用など計約3億8000万円の損害賠償を求めた裁判の東京地裁判決でイーホームズと江東区への過失責任はないとし、原告の訴えを棄却した[1]。 2011年5月25日、イーホームズに対する耐震偽装事件の全ての判決が出る。イーホームズが行った確認検査業務に一切の過失なしとして結審。
2011年4月、東日本大震災から一か月を経ない段階で、岩手県、宮城県、福島県、栃木県の震災地域のほぼ全域を走破し、4月11に行われた第一回目の総理大臣官邸主宰の原子力・災害対策本部に出席した。特に、経済産業大臣の海江田万里の被災者の住宅政策についての補佐をする。
2011年7月4日、新たに、株式会社ほがらか舎を新設しCEOに着任した。
[編集] 出自
花園城城主藤田氏の末裔。藤田氏は敏達天皇の第二皇子春日皇子の子小野妹子、小野永見、小野岑守、小野篁に繋がる血脈を持つ。鎌倉時代に藤田氏傍流の美多左衛門尉常清が親鸞の弟子として比叡山に入り親鸞が没した後に讃岐国大野原(現在の香川県観音寺市田野野)に法泉寺を開祖した。
法泉寺の藤田氏の傍流、明治から大正にかけ建設業を全国で展開した藤田久太郎の四男が、東吾の父藤田昇(和三郎)である。昇は大平正芳と同じ観音寺市立豊浜小学校の一学年下。海軍兵学校から海軍機関学校を出て終戦時に海軍中佐。終戦後、藤田工業を立上げ、ボイラー(給湯器)の特許、機械式駐車場の特許等を取得した。テレビ朝日の『アフタヌーンショー』の桂小金治の人気コーナー『アイデア買います』の審査員として出演。豊澤豊雄と共に社団法人発明学会の設立に尽力する。大野原の藤田氏は二男の勝雄が家督を継ぎ、現在は勝男の長男の亨が家督を継いでいる。長男勇は大阪で建設会社を興し、三男良雄は熊本細川氏に、五男綾和は小寺氏に養子に入り、長女五月は奈良氏に、二女桃枝は川上氏に、三女美代子は伊丹氏に嫁ぐ。現観音寺市議の伊丹準二は従兄弟である。
幼少時、父の死に伴い貧しく暮らした。鶴川に住んでいた白洲次郎と交流があった。
なお、この記事は自身で記載、編集されている。
[編集] 著書
- 『月に響く笛~耐震偽装〜』(2006年12月、ISBN 978-4-903786-00-1)imairu
- 『完全版 月に響く笛 耐震偽装』(2007年4月、ISBN 978-4-06-214075-1)講談社
[編集] 雑記
[編集] 脚注
- ^ 「東京地裁が検査機関の過失なしと判断」、『日経アーキテクチャ』2011年2月。