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'''ニットウチドリ'''(欧字名:{{Lang|en|Nitto Chidori}}、[[1970年]][[4月24日]] - [[1990年]][[5月6日]])は[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|title=ニツトウチドリ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000037861/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-05}}</ref>。
'''ニットウチドリ'''は[[日本]]の[[競走馬]]。[[1973年]]に[[桜花賞]]と[[ビクトリアカップ]]を制し、4歳牝馬ながら[[有馬記念]]で2着と健闘し、[[JRA賞最優秀3歳牝馬|優駿賞最優秀4歳牝馬]]に選ばれた。同期には稀代のアイドルホース・[[ハイセイコー]]がいる。主戦騎手は[[横山富雄]]。
* [[馬齢]]については原則旧表記(数え)とする。


[[1973年]]に[[桜花賞]]と[[ビクトリアカップ]]を制し、'''[[二冠馬|牝馬二冠]]'''を達成。4歳牝馬ながら[[有馬記念]]で2着と健闘し、[[JRA賞最優秀3歳牝馬|優駿賞最優秀4歳牝馬]]に選ばれた。主戦騎手は[[横山富雄]]。
== 競走成績 ==
== 生涯 ==
最後まで引き取り手が現れなかったが故に、牧場の基礎牝馬として残すべく牧場長自ら馬主となったニットウチドリは、親戚関係にある早来・[[吉田牧場 (北海道)|吉田牧場]]で乗り込まれてデビューとなった。新馬戦は連敗したが、3戦目の未勝利戦をレコードタイムで勝ち上がった。

=== デビューまで ===
[[北海道]][[浦河町]]の日東牧場オーナーの鎌田三郎は、[[第二次世界大戦]]以後の馬産を先導し、[[日本軽種馬協会]]副会長など要職を歴任した<ref name="優駿1989-10-25">『優駿』1989年10月号 25頁</ref>。特に[[日高軽種馬農業協同組合]]長在任中には、ヨーロッパに赴き、15頭の種牡馬を日本に輸入した<ref name="優駿1989-10-25" />。その中でも種牡馬のダラノーア、ラッシー、繁殖牝馬のノースヴィクスンも日本に導入した<ref name="優駿1989-10-25" />。

ノースヴィクスンに鎌田自身が導入したラッシーを配合し産まれた牝馬は、テルギクと命名され競走馬として6戦3勝の成績を残して引退し、繁殖牝馬となった。繁殖生活4年目の1969年には、これも鎌田が導入したダラノーアが配合され、1970年4月24日、日東牧場にて[[鹿毛]]の[[牝馬]](後のニットウチドリ)が誕生した。配合は、すべて鎌田自身で考えたものであった<ref name="優駿1989-10-25" />。ダラノーアと母のテルギクがどちらも短距離で活躍したため、産まれた牝馬も短距離での活躍が期待された<ref name="優駿1989-10-22">『優駿』1989年10月号 22頁</ref>。健康で丈夫かつ、牝馬にしては骨量の豊富な馬であり、[[馬追い運動|追い運動]]でも良い動きを見せていたが、[[馬主]]や[[調教師]]の目に留まることはなかった<ref name="優駿1989-10-22" />。

鎌田は、4,5勝する能力があるとしたことから、自身で所有することとなり、競走馬引退後は、牧場に戻り繁殖牝馬にすることを目論んでいた<ref name="優駿1989-10-23">『優駿』1989年10月号 23頁</ref>。3歳5月、鎌田の親戚である吉田重雄が牧場長を務める[[早来町]]の[[吉田牧場 (北海道)|吉田牧場]]に移動し、重雄の弟で元々騎手だった吉田晴雄が騎乗して育成が施された<ref name="優駿1989-10-23" />。6月下旬には[[札幌競馬場]]に入厩した<ref name="優駿1989-10-23" />。

=== 競走馬時代 ===
札幌競馬場ではデビューすることなく、[[東京競馬場]]の八木沢勝美厩舎に入厩した。1972年9月30日、[[中山競馬場]]の[[新馬戦]]でデビューするも逃げ切れず、4着。2戦目も逃げたが、[[ホワイトフォンテン]]に敗れて2着に敗れた<ref name="優駿1989-10-23" />。11月4日、東京競馬場の未勝利戦では、逃げてレコードタイムで駆け抜け、[[大差勝ち|大差]]で初勝利となった<ref name="優駿1989-10-23" />。続いて、条件戦のさざんか賞を逃げ切り2連勝、中山競馬場の3歳牝馬ステークスでは[[ナスノチグサ]]に差し切られて2着に敗れ、3歳を終えた<ref name="優駿1989-10-23" />。

4歳となった1973年、1月4日の新春4歳牝馬ステークスでは2番手から進んで、追い上げるナスノメロディーをクビ差で退けて3勝目。続いて2月25日の[[クイーンカップ]]では3着、1着からクビとアタマ差の敗戦であった<ref name="優駿1989-10-23" />。八木沢は、無敗で5戦5勝であり桜花賞大本命と思われていた[[キシュウローレル]]には勝てないと判断し、桜花賞出走を諦めようとしていた。しかし、鎌田は1968年にニットウヤヨイで2着に敗れた経験と、平坦な[[阪神競馬場]]の直線コースの適性を主張して、[[桜花賞]]への出走が決定した<ref name="優駿1989-10-23" />。

桜花賞に向けて、3月8日に関西に移動し、3月18日に[[トライアル競走]]の[[阪神4歳牝馬特別]]に出走。[[梅内忍]]が騎乗するキシュウローレルは単勝支持率74パーセントと人気が集中し梅内は、ニットウチドリ騎乗の[[横山富雄]]に対し「何しにきたの」と冗談なく話しかける余裕を見せていた<ref name="優駿1989-10-24">『優駿』1989年10月号 24頁</ref>。一方、ニットウチドリは単勝3番人気に推された<ref>{{Cite web|title=阪神4歳牝馬特別|url=https://db.netkeiba.com/race/197309010810/|website=db.netkeiba.com|accessdate=2021-07-05}}</ref>。キシュウローレルはこれまですべて逃げで勝利しており、先頭を譲ったことはなかった<ref name="優駿1989-10-24" />。しかし、[[福永洋一]]騎乗のハニーオックスに初めてハナを譲り、2番手にニットウチドリ、3番手にキシュウローレルであった。キシュウローレルが第4コーナーで先頭に立ち、一方ニットウチドリは4番手から直線コースに進入した<ref name="優駿1989-10-24" />。残り400メートルにて2頭での一騎打ちとなり、一時ニットウチドリが半馬身抜きん出たが、キシュウローレルが追い上げ並んだまま決勝戦を通過した<ref name="優駿1989-10-24" />。レコードタイムでの決着となり、ニットウチドリがクビ差先着し優勝。キシュウローレルが初めて敗戦した<ref name="優駿1989-10-24" />。

4月8日の桜花賞は、1番人気に推されて出走、2番人気にはキシュウローレルが続いた。ニットウチドリは3枠6番からの発走となり、ゲートでは他よりも一歩早く抜け出した<ref name="優駿1989-10-24" />。7枠14番のキシュウローレルは外から追い上げて、2頭が速いペースを作り出した。やがて、キシュウローレルが先頭に代わり、その直後にニットウチドリが位置、他がついていかず2頭だけの争いとなった<ref name="優駿1989-10-24" />。第4コーナーでニットウチドリが追い上げて、2頭並んで直線コースに進入した。まもなくニットウチドリが先頭に立ち、キシュウローレルが失速、ニットウチドリが3馬身離して勝利した<ref name="優駿1989-10-24" />。鎌田にとって関係馬の桜花賞優勝は、1950年の[[トサミツル]]以来23年振りであった。横山は、こう振り返っている。{{Quotation|向こう流しで勝てると思ったね。直線も楽だったし、枠順も恵まれた。抑える競馬が出来るので距離も心配ないでしょう。(キシュウ)ローレルには2度勝ったし、もう負ける気はしませんよ。|[[横山富雄]]<ref name="優駿1989-10-24" />}}
二冠目の[[優駿牝馬]](オークス)に向けて、[[フローラステークス|4歳牝馬特別]]を前哨戦に使い1番人気に推された。しかし、[[稲葉幸夫]]厩舎の2頭レデースポートとナスノチグサに敗れ3着に敗れた<ref name="優駿1989-10-25" />。5月20日の優駿牝馬では、血統背景から距離が持たないだろうという見方もある中、第3コーナーから先頭に立って粘りこんだ<ref name="優駿1989-10-25" />。直線ではナスノチグサにかわされ3馬身半差がついたが、2着を確保した<ref name="優駿1989-10-25" />。

日東牧場で夏休みに入り、前哨戦の[[京都牝馬特別]]で8着となった後、11月18日の[[ビクトリアカップ]]に出走した<ref name="優駿1989-10-26">『優駿』1989年10月号 26頁</ref>。稲葉厩舎の2頭が上位人気を占め、3番人気の支持であった。発走から2番手を進み、最終コーナーで逃げ馬を捕らえて先頭に立ち、追い上げるナスノチグサを2馬身半離して優勝、牝馬二冠を果たした<ref name="優駿1989-10-26" />。


続いて、推薦を受けて[[有馬記念]]に出走。11頭立て唯一の牝馬として参戦し、負担重量52キログラムで出走した。[[皐月賞]]優勝馬[[ハイセイコー]]や[[天皇賞]]優勝馬の[[タニノチカラ]]、[[ベルワイド]]が上位人気を支持される中、ニットウチドリは7番人気に推された<ref name="優駿1989-10-26" />。ニットウチドリがハナを奪って逃げ、スローペースを演出した。人気薄のニットウチドリを軽視した後続の人気馬はそれぞれで牽制し合い、追い上げてくることはなかった<ref name="優駿1989-10-26" />。単独先頭のまま直線に進入、後方からは[[ストロングエイト]]だけが迫り来て、人気馬は追い上げてくることはなかった<ref name="優駿1989-10-26" />。逃げ粘るニットウチドリにストロングエイトが並んだところで決勝線を通過した。写真判定の結果、ストロングエイトがクビ差先着が認められ、2着となった。条件馬のストロングエイト、牝馬のニットウチドリという低評価同士の決着により、[[単勝式]]ストロングエイトは4200円、[[枠番連勝]]は13300円の配当で、グランプリ史上初めてとなる[[万馬券]]を記録した<ref name="優駿1989-10-26" />。この2着による賞金を加算し、ニットウチドリの収得賞金は1億768万100円となり、4歳牝馬にして史上初めてとなる賞金獲得1億円到達を果たした<ref name="優駿1989-10-26" />。年末には、[[JRA賞最優秀3歳牝馬|優駿賞最優秀4歳牝馬]]を獲得した<ref name="優駿1989-10-26" />。
[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]シーズンに突入したニットウチドリであったが、そこには最優秀3歳牝馬の[[キシュウローレル]]がおり、桜花賞挑戦も馬主が調教師を説得しての参戦であった。ニットウチドリは[[フィリーズレビュー|阪神4歳牝馬特別]]を1分22秒8のコースレコードで勝利し、1番人気の桜花賞では1分35秒4のレースレコードで2走ともキシュウローレルを下した。2走とも、逃げるキシュウローレルを2番手マークから突き放すと言う内容であった。その後、[[フローラステークス|4歳牝馬特別]]では3着、[[優駿牝馬|オークス]]では[[ナスノチグサ]](桜花賞馬[[ナスノカオリ]]の全妹)に敗れ2着で春のシーズンを終えた。秋は[[京都牝馬ステークス|京都牝馬特別]]こそ道悪で凡走したが、次走[[ビクトリアカップ]](京都2400メートル。現在では[[エリザベス女王杯]]に相当)を勝利し、暮れの[[有馬記念]]でも[[ストロングエイト]]の2着逃げ粘りと好走した。この好成績が決め手となり、最優秀4歳牝馬に選ばれた。


それから5歳、[[古馬]]となり、7戦に出走したものの、すべて下位敗退。秋の[[スプリンターズステークス]]、[[牝馬東京タイムズ杯]]では先行すらすることできず敗退した<ref name="優駿1989-10-26" />。牝馬東京タイムズ杯後に鎌田の要望により、競走馬を引退した<ref name="優駿1989-10-26" />。
しかし激戦の疲れのためか、古馬になってからは翌年1月の[[アメリカジョッキークラブカップ|AJCC]](東京2400メートル)で惨敗してから、見るべきものはない。


== 引退後 ==
=== 繁殖牝馬時代 ===
[[1974年]][[11月26日]]に引退したニットウチドリは、故郷日東牧場で繁殖生活に入った。クラシックの反動から体調不良に陥っていたが、牧場スタッフの懸命な看病により繁殖牝馬として活躍する事となった。
[[1974年]][[11月26日]]から生まれ故郷日東牧場で[[繁殖牝馬|繁殖牝]]馬となった<ref name="優駿1989-10-26" />。クラシックの反動から体調不良に陥っていたが、牧場スタッフの懸命な看病により繁殖牝馬として活躍する事となった。


繁殖牝馬としてのニットウチドリは仔出しは良かったが肝心の産駒の成績は思わしくなく、初年度の[[シンザン]]産駒エスパル(22戦6勝[[七夕賞]]2着、[[エリザベス女王杯]]4着)が最高であった。
繁殖牝馬としては仔出しは良毎年ように仔をんだ。中でも初年度の[[シンザン]]産駒エスパル6勝を挙げ、[[七夕賞]]2着、[[エリザベス女王杯]]4着の成績を残した。


その後も順調に繁殖生活を送っていたが、1990年[[5月1日]]に[[ビゼンニシキ]]の牝馬を産んだ3日後に体調を崩してしまう。急いで獣医を呼んだものの、[[子宮破裂]]を起こしており既に手の施しようが無く、5月6日に死亡した。
その後も順調に繁殖生活を送っていたが、1990年[[5月1日]]に[[ビゼンニシキ]]の牝馬を産んだ3日後に体調を崩してしまう。急いで獣医を呼んだものの、[[子宮破裂]]を起こしており既に手の施しようが無く、5月6日に死亡した。


== 競走成績 ==
近年は牝系子孫の活躍は目立たないが、孫に[[1989年]][[ダービー卿チャレンジトロフィー]]の勝ち馬アイビートウコウがいる。
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=ニットウチドリの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/1970103999/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-07-05|language=ja}}</ref>、JBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:年度別累計成績/主な成績|ニツトウチドリ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000037861/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-05}}</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
!競走日
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|-
|[[1972年|1972]].{{0}}[[9月30日|9.30]]
|[[中山競馬場|中山]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|芝1000m(稍)
|14
|7
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|{{0}}14.4(5人)
|{{0}}4着
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|52
|サンポウ
|-
|{{0|0000.}}[[10月15日|10.15]]
|中山
|3歳新馬
|
|芝1000m(良)
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|-
|{{0|0000.}}[[11月4日|11.{{0}}4]]
|[[東京競馬場|東京]]
|3歳未勝利
|
|芝1200m(稍)
|9
|1
|1
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|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:11.0
|{{0}}横山富雄
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|東京
|さざんか賞
|2下
|芝1400m(良)
|8
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|{{0|0000.}}[[12月17日|12.17]]
|中山
|3歳牝馬S
|
|芝1600m(良)
|7
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|2
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|1:38.7
|{{0}}横山富雄
|53
|[[ナスノチグサ]]
|-
|[[1973年|1973]].[[1月4日|{{0}}1.{{0}}4]]
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|新春4歳牝馬S
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|芝1600m(稍)
|6
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|52
|(ナスノメロディ)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月25日|2.25]]
|中山
|[[クイーンカップ]]
|
|芝1600m(良)
|13
|4
|5
|{{00}}7.6(2人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|1:38.9
|{{0}}横山富雄
|53
|キクノツバメ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月18日|3.18]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[フィリーズレビュー|阪神4歳牝馬特別]]
|
|芝1400m(良)
|11
|5
|5
|{{0}}17.9(3人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:22.8
|{{0}}横山富雄
|54
|([[キシュウローレル]])
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月8日|4.{{0}}8]]
|阪神
|'''[[桜花賞]]'''
|
|芝1600m(良)
|18
|3
|6
|{{00}}3.0(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:35.4
|{{0}}横山富雄
|55
|(キシュウローレル)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月29日|4.29]]
|東京
|[[フローラステークス|4歳牝馬特別(東)]]
|
|芝1800m(良)
|17
|4
|7
|{{00}}2.0(1人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|1:49.9
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|54
|レデースポート
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月20日|5.20]]
|東京
|[[優駿牝馬|'''優駿牝馬''']]
|
|芝2400m(良)
|22
|4
|10
|{{00}}6.9(3人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:29.5
|{{0}}横山富雄
|55
|ナスノチグサ
|-
|{{0|0000.}}[[10月28日|10.28]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都牝馬特別]]
|
|芝1600m(不)
|13
|7
|11
|{{0}}15.0(7人)
|{{0}}8着
|1:41.2
|{{0}}横山富雄
|56
|レデースポート
|-
|{{0|0000.}}[[11月18日|11.18]]
|京都
|[[ビクトリアカップ]]
|
|芝2400m(良)
|10
|4
|4
|{{00}}6.4(3人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|2:29.0
|{{0}}横山富雄
|55
|(ナスノチグサ)
|-
|{{0|0000.}}[[12月16日|12.16]]
|中山
|'''[[有馬記念]]'''
|
|芝2500m(良)
|11
|2
|2
|{{0}}27.2(7人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:36.5
|{{0}}横山富雄
|52
|[[ストロングエイト]]
|-
|[[1974年|1974]].{{0}}[[1月20日|1.20]]
|東京
|[[アメリカジョッキークラブカップ|AJCC]]
|
|芝2400m(良)
|10
|6
|6
|{{0}}21.7(7人)
|10着
|2:30.2
|{{0}}横山富雄
|55
|[[タケホープ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月24日|2.24]]
|中山
|[[オープン競走|5歳上オープン]]
|
|芝1600m(稍)
|10
|8
|10
|{{00}}9.7(4人)
|{{0}}8着
|1:38.9
|{{0}}[[山田展裕]]
|55
|サンポウ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月19日|5.19]]
|東京
|4歳上オープン
|
|芝1800m(良)
|15
|8
|14
|{{0}}32.4(9人)
|14着
|1:50.6
|{{0}}[[栗原洋一]]
|55
|[[イチフジイサミ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月9日|6.{{0}}9]]
|東京
|[[安田記念]]
|
|芝1600m(良)
|17
|3
|6
|{{00}}9.4(3人)
|10着
|1:36.5
|{{0}}横山富雄
|53
|[[キョウエイグリーン]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月14日|7.14]]
|[[札幌競馬場|札幌]]
|[[札幌記念]]
|
|ダ2000m(良)
|9
|5
|5
|{{00}}9.9(3人)
|{{0}}9着
|2:08.0
|{{0}}横山富雄
|53
|エリモマーチス
|-
|{{0|0000.}}[[10月6日|10.{{0}}6]]
|中山
|[[スプリンターズステークス|スプリンターズS]]
|
|芝1200m(良)
|11
|6
|6
|{{0}}17.9(7人)
|{{0}}7着
|1:08.0
|{{0}}横山富雄
|55
|[[サクライワイ]]
|-
|{{0|0000.}}[[10月27日|10.27]]
|中山
|[[牝馬東京タイムズ杯]]
|
|芝1600m(不)
|8
|3
|3
|{{0}}14.2(6人)
|{{0}}8着
|1:41.3
|{{0}}横山富雄
|59
|カミノチドリ
|}

* 表中の'''太字強調'''は、[[八大競走]]を指す。


== 血統表 ==
== 血統表 ==
80行目: 438行目:


== 脚注 ==
== 脚注 ==

=== 注釈 ===
<references group="注釈" />

=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==

* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1989年10月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 44】相馬の神の仔 ニットウチドリ」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2021年7月5日 (月) 08:56時点における版

ニットウチドリ
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1970年4月24日[1]
死没 1990年5月6日(21歳没)
ダラノーア[1]
テルギク[1]
母の父 ラッシー[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産者 日東牧場[2]
馬主 鎌田三郎[2]
増田房二[1]
調教師 八木沢勝美[1]東京
競走成績
タイトル 優駿賞最優秀4歳牝馬1973年[1] 
生涯成績 21戦6勝[1]
獲得賞金 1億813万1000円[1]
勝ち鞍
八大競走 桜花賞 1973年
オープン ビクトリアカップ 1973年
オープン 阪神4歳牝馬特別 1973年
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ニットウチドリ(欧字名:Nitto Chidori1970年4月24日 - 1990年5月6日)は日本競走馬繁殖牝馬[1]

1973年桜花賞ビクトリアカップを制し、牝馬二冠を達成。4歳牝馬ながら有馬記念で2着と健闘し、優駿賞最優秀4歳牝馬に選ばれた。主戦騎手は横山富雄

生涯

デビューまで

北海道浦河町の日東牧場オーナーの鎌田三郎は、第二次世界大戦以後の馬産を先導し、日本軽種馬協会副会長など要職を歴任した[3]。特に日高軽種馬農業協同組合長在任中には、ヨーロッパに赴き、15頭の種牡馬を日本に輸入した[3]。その中でも種牡馬のダラノーア、ラッシー、繁殖牝馬のノースヴィクスンも日本に導入した[3]

ノースヴィクスンに鎌田自身が導入したラッシーを配合し産まれた牝馬は、テルギクと命名され競走馬として6戦3勝の成績を残して引退し、繁殖牝馬となった。繁殖生活4年目の1969年には、これも鎌田が導入したダラノーアが配合され、1970年4月24日、日東牧場にて鹿毛牝馬(後のニットウチドリ)が誕生した。配合は、すべて鎌田自身で考えたものであった[3]。ダラノーアと母のテルギクがどちらも短距離で活躍したため、産まれた牝馬も短距離での活躍が期待された[2]。健康で丈夫かつ、牝馬にしては骨量の豊富な馬であり、追い運動でも良い動きを見せていたが、馬主調教師の目に留まることはなかった[2]

鎌田は、4,5勝する能力があるとしたことから、自身で所有することとなり、競走馬引退後は、牧場に戻り繁殖牝馬にすることを目論んでいた[4]。3歳5月、鎌田の親戚である吉田重雄が牧場長を務める早来町吉田牧場に移動し、重雄の弟で元々騎手だった吉田晴雄が騎乗して育成が施された[4]。6月下旬には札幌競馬場に入厩した[4]

競走馬時代

札幌競馬場ではデビューすることなく、東京競馬場の八木沢勝美厩舎に入厩した。1972年9月30日、中山競馬場新馬戦でデビューするも逃げ切れず、4着。2戦目も逃げたが、ホワイトフォンテンに敗れて2着に敗れた[4]。11月4日、東京競馬場の未勝利戦では、逃げてレコードタイムで駆け抜け、大差で初勝利となった[4]。続いて、条件戦のさざんか賞を逃げ切り2連勝、中山競馬場の3歳牝馬ステークスではナスノチグサに差し切られて2着に敗れ、3歳を終えた[4]

4歳となった1973年、1月4日の新春4歳牝馬ステークスでは2番手から進んで、追い上げるナスノメロディーをクビ差で退けて3勝目。続いて2月25日のクイーンカップでは3着、1着からクビとアタマ差の敗戦であった[4]。八木沢は、無敗で5戦5勝であり桜花賞大本命と思われていたキシュウローレルには勝てないと判断し、桜花賞出走を諦めようとしていた。しかし、鎌田は1968年にニットウヤヨイで2着に敗れた経験と、平坦な阪神競馬場の直線コースの適性を主張して、桜花賞への出走が決定した[4]

桜花賞に向けて、3月8日に関西に移動し、3月18日にトライアル競走阪神4歳牝馬特別に出走。梅内忍が騎乗するキシュウローレルは単勝支持率74パーセントと人気が集中し梅内は、ニットウチドリ騎乗の横山富雄に対し「何しにきたの」と冗談なく話しかける余裕を見せていた[5]。一方、ニットウチドリは単勝3番人気に推された[6]。キシュウローレルはこれまですべて逃げで勝利しており、先頭を譲ったことはなかった[5]。しかし、福永洋一騎乗のハニーオックスに初めてハナを譲り、2番手にニットウチドリ、3番手にキシュウローレルであった。キシュウローレルが第4コーナーで先頭に立ち、一方ニットウチドリは4番手から直線コースに進入した[5]。残り400メートルにて2頭での一騎打ちとなり、一時ニットウチドリが半馬身抜きん出たが、キシュウローレルが追い上げ並んだまま決勝戦を通過した[5]。レコードタイムでの決着となり、ニットウチドリがクビ差先着し優勝。キシュウローレルが初めて敗戦した[5]

4月8日の桜花賞は、1番人気に推されて出走、2番人気にはキシュウローレルが続いた。ニットウチドリは3枠6番からの発走となり、ゲートでは他よりも一歩早く抜け出した[5]。7枠14番のキシュウローレルは外から追い上げて、2頭が速いペースを作り出した。やがて、キシュウローレルが先頭に代わり、その直後にニットウチドリが位置、他がついていかず2頭だけの争いとなった[5]。第4コーナーでニットウチドリが追い上げて、2頭並んで直線コースに進入した。まもなくニットウチドリが先頭に立ち、キシュウローレルが失速、ニットウチドリが3馬身離して勝利した[5]。鎌田にとって関係馬の桜花賞優勝は、1950年のトサミツル以来23年振りであった。横山は、こう振り返っている。

向こう流しで勝てると思ったね。直線も楽だったし、枠順も恵まれた。抑える競馬が出来るので距離も心配ないでしょう。(キシュウ)ローレルには2度勝ったし、もう負ける気はしませんよ。 — 横山富雄[5]

二冠目の優駿牝馬(オークス)に向けて、4歳牝馬特別を前哨戦に使い1番人気に推された。しかし、稲葉幸夫厩舎の2頭レデースポートとナスノチグサに敗れ3着に敗れた[3]。5月20日の優駿牝馬では、血統背景から距離が持たないだろうという見方もある中、第3コーナーから先頭に立って粘りこんだ[3]。直線ではナスノチグサにかわされ3馬身半差がついたが、2着を確保した[3]

日東牧場で夏休みに入り、前哨戦の京都牝馬特別で8着となった後、11月18日のビクトリアカップに出走した[7]。稲葉厩舎の2頭が上位人気を占め、3番人気の支持であった。発走から2番手を進み、最終コーナーで逃げ馬を捕らえて先頭に立ち、追い上げるナスノチグサを2馬身半離して優勝、牝馬二冠を果たした[7]

続いて、推薦を受けて有馬記念に出走。11頭立て唯一の牝馬として参戦し、負担重量52キログラムで出走した。皐月賞優勝馬ハイセイコー天皇賞優勝馬のタニノチカラベルワイドが上位人気を支持される中、ニットウチドリは7番人気に推された[7]。ニットウチドリがハナを奪って逃げ、スローペースを演出した。人気薄のニットウチドリを軽視した後続の人気馬はそれぞれで牽制し合い、追い上げてくることはなかった[7]。単独先頭のまま直線に進入、後方からはストロングエイトだけが迫り来て、人気馬は追い上げてくることはなかった[7]。逃げ粘るニットウチドリにストロングエイトが並んだところで決勝線を通過した。写真判定の結果、ストロングエイトがクビ差先着が認められ、2着となった。条件馬のストロングエイト、牝馬のニットウチドリという低評価同士の決着により、単勝式ストロングエイトは4200円、枠番連勝は13300円の配当で、グランプリ史上初めてとなる万馬券を記録した[7]。この2着による賞金を加算し、ニットウチドリの収得賞金は1億768万100円となり、4歳牝馬にして史上初めてとなる賞金獲得1億円到達を果たした[7]。年末には、優駿賞最優秀4歳牝馬を獲得した[7]

それから5歳、古馬となり、7戦に出走したものの、すべて下位敗退。秋のスプリンターズステークス牝馬東京タイムズ杯では先行すらすることできず敗退した[7]。牝馬東京タイムズ杯後に鎌田の要望により、競走馬を引退した[7]

繁殖牝馬時代

1974年11月26日から、生まれ故郷の日東牧場で繁殖牝馬となった[7]。クラシックの反動から体調不良に陥っていたが、牧場スタッフの懸命な看病により繁殖牝馬として活躍する事となった。

繁殖牝馬としては仔出しは良く、毎年のように仔を産んだ。中でも初年度のシンザン産駒エスパルは6勝を挙げ、七夕賞2着、エリザベス女王杯4着の成績を残した。

その後も順調に繁殖生活を送っていたが、1990年5月1日ビゼンニシキの牝馬を産んだ3日後に体調を崩してしまう。急いで獣医を呼んだものの、子宮破裂を起こしており既に手の施しようが無く、5月6日に死亡した。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[8]、JBISサーチ[9]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1972.09.30 中山 3歳新馬 芝1000m(稍) 14 7 12 014.4(5人) 04着 0-59.7 0横山富雄 52 サンポウ
0000.10.15 中山 3歳新馬 芝1000m(良) 10 7 8 003.0(1人) 02着 0-59.2 0横山富雄 52 ホワイトフォンテン
0000.11.04 東京 3歳未勝利 芝1200m(稍) 9 1 1 001.3(1人) 01着 1:11.0 0横山富雄 52 (オキノバンダ)
0000.11.18 東京 さざんか賞 2下 芝1400m(良) 8 1 1 002.3(1人) 01着 1:25.2 0横山富雄 52 (キングドウカン)
0000.12.17 中山 3歳牝馬S 芝1600m(良) 7 2 2 005.1(2人) 02着 1:38.7 0横山富雄 53 ナスノチグサ
1973.01.04 東京 新春4歳牝馬S 芝1600m(稍) 6 2 2 002.3(1人) 01着 1:37.7 0横山富雄 52 (ナスノメロディ)
0000.02.25 中山 クイーンカップ 芝1600m(良) 13 4 5 007.6(2人) 03着 1:38.9 0横山富雄 53 キクノツバメ
0000.03.18 阪神 阪神4歳牝馬特別 芝1400m(良) 11 5 5 017.9(3人) 01着 1:22.8 0横山富雄 54 (キシュウローレル)
0000.04.08 阪神 桜花賞 芝1600m(良) 18 3 6 003.0(1人) 01着 1:35.4 0横山富雄 55 (キシュウローレル)
0000.04.29 東京 4歳牝馬特別(東) 芝1800m(良) 17 4 7 002.0(1人) 03着 1:49.9 0横山富雄 54 レデースポート
0000.05.20 東京 優駿牝馬 芝2400m(良) 22 4 10 006.9(3人) 02着 2:29.5 0横山富雄 55 ナスノチグサ
0000.10.28 京都 京都牝馬特別 芝1600m(不) 13 7 11 015.0(7人) 08着 1:41.2 0横山富雄 56 レデースポート
0000.11.18 京都 ビクトリアカップ 芝2400m(良) 10 4 4 006.4(3人) 01着 2:29.0 0横山富雄 55 (ナスノチグサ)
0000.12.16 中山 有馬記念 芝2500m(良) 11 2 2 027.2(7人) 02着 2:36.5 0横山富雄 52 ストロングエイト
1974.01.20 東京 AJCC 芝2400m(良) 10 6 6 021.7(7人) 10着 2:30.2 0横山富雄 55 タケホープ
0000.02.24 中山 5歳上オープン 芝1600m(稍) 10 8 10 009.7(4人) 08着 1:38.9 0山田展裕 55 サンポウ
0000.05.19 東京 4歳上オープン 芝1800m(良) 15 8 14 032.4(9人) 14着 1:50.6 0栗原洋一 55 イチフジイサミ
0000.06.09 東京 安田記念 芝1600m(良) 17 3 6 009.4(3人) 10着 1:36.5 0横山富雄 53 キョウエイグリーン
0000.07.14 札幌 札幌記念 ダ2000m(良) 9 5 5 009.9(3人) 09着 2:08.0 0横山富雄 53 エリモマーチス
0000.10.06 中山 スプリンターズS 芝1200m(良) 11 6 6 017.9(7人) 07着 1:08.0 0横山富雄 55 サクライワイ
0000.10.27 中山 牝馬東京タイムズ杯 芝1600m(不) 8 3 3 014.2(6人) 08着 1:41.3 0横山富雄 59 カミノチドリ

血統表

ニットウチドリ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 テディ系

*ダラノーア
Darannour
1960 黒鹿毛 フランス
父の父
Sunny Boy
1944 鹿毛 フランス
Jock Asterus
Naic
Fille de Soleil Solario
Fille de Salut
父の母
Danira
1953 黒鹿毛 アイルランド
Dante Nearco
Rosy Legend
Mah Iran Bahram
Mah Mahal

テルギク
1963 芦毛 日本
*ラッシー
Lassy
1956 芦毛 アイルランド
Palestine Fair Trial
Una
Clovelly Mahmoud
Udaipur
母の母
*ノースヴイクスン
North Vixen
1954 栗毛 イギリス
Borealis Brumeux
Aurora
Bronze Vixen Donatello
Silver Fox
5代内の近親交配 Mah Mahal 4×5=9.38%、Teddy 5×5=6.25%、Blandford 5×5=6.25%、PharosFairway 5×5=6.25%、Gainsborough 5*5×5=9.38% (父内) 、Friar's Daughter 5×5=6.25% (父内) 、Blenheim 5×5=6.25% (母内) 、Uganda 5*5=6.25% (母内)
出典
  1. ^ JBISサーチ - 5代血統表[10]

妹の孫にユキノサンライズ中山記念中山牝馬ステークスフラワーカップ)がいる。

脚注

注釈


出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ニツトウチドリ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月5日閲覧。
  2. ^ a b c d 『優駿』1989年10月号 22頁
  3. ^ a b c d e f g 『優駿』1989年10月号 25頁
  4. ^ a b c d e f g h 『優駿』1989年10月号 23頁
  5. ^ a b c d e f g h i 『優駿』1989年10月号 24頁
  6. ^ 阪神4歳牝馬特別”. db.netkeiba.com. 2021年7月5日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 『優駿』1989年10月号 26頁
  8. ^ ニットウチドリの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年7月5日閲覧。
  9. ^ 競走成績:年度別累計成績/主な成績|ニツトウチドリ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月5日閲覧。
  10. ^ JBISサーチ - 5代血統表”. JBISサーチ. 2017年11月11日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1989年10月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 44】相馬の神の仔 ニットウチドリ」

外部リンク