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「声聞」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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記述の誤りを除去(釈迦以前にも仏滅後以降にも声聞は用いられた)。チベット仏教は「金剛乗」の名称を採用した密教で、声聞は顕教外典の用語に過ぎず、出典としても不適切。
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'''声聞''' (しょうもん、[[サンスクリット]]:&#x0936;&#x094d;&#x0930;&#x093e;&#x0935;&#x0915; Sraavaka)とは、[[仏教]]で修行の段階や修行者の性質を示す[[仏教用語]]。[[ジャイナ教]]の経典にも見られものであり、[[仏教]]成立以前から[[インド]]で広く用いられていたとみられる。仏教では、古くは[[縁覚]]も声聞の範疇であり、声聞縁覚乗・声聞縁覚地などのように表現されたが<ref>『梵和大辞典』 鈴木学術財団 (山喜房仏書林)。</ref>、声聞と縁覚が明確に分化して用いられるようになった。
'''声聞''' (しょうもん、[[サンスクリット]]:&#x0936;&#x094d;&#x0930;&#x093e;&#x0935;&#x0915; Sraavaka)とは、[[仏教]]で修行の段階や修行者の性質を示す[[仏教用語]]。[[ジャイナ教]]の経典にも見られものであり、[[仏教]]成立以前から[[インド]]で広く用いられていたとみられる。仏教では、古くは[[縁覚]]も声聞の範疇であり、声聞縁覚乗・声聞縁覚地などのように表現されたが<ref>『梵和大辞典』 鈴木学術財団 (山喜房仏書林)。</ref>、声聞と縁覚が明確に分化して用いられるようになった。

[[釈迦]]の教えを聞いた者という意味である<ref name="智慧の眼をひらく"/>。[[舎利弗]](サーリプッタ)のような仏弟子も含まれる<ref name="智慧の眼をひらく">{{Cite book|和書|author=ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ |authorlink=ダライ・ラマ |translator=[[菅沼晃]]|title=ダライ・ラマ 智慧の眼をひらく|publisher=春秋社|date=2001|isbn=978-4-393-13335-4|page=73}} 全面的な再改訳版。(初版『大乗仏教入門』1980年、改題『智慧の眼』1988年)''The Opening of the Wisdom-Eye: And the History of the Advancement of Buddhadharma in Tibet'', 1966, rep, 1977。[[上座部仏教]]における注釈も備える。</ref>。時に[[小乗]]とも呼ばれるが、このような曖昧な歴史のある不快な言葉は避け、声聞のほうがよいと[[チベット仏教]]では解説されている<ref name="智慧の眼をひらく"/>。


また、[[菩薩]]も声聞の範疇とされることがあり、声聞菩薩乗・声聞菩薩地などのように表現されることがあった。この名残りは[[日本の仏教]]にも垣間見られ、彫像や絵図に表される[[地蔵菩薩]]の頭型は声聞形であるとされる。[[大乗仏教]]では菩薩を大乗とすることが多いが、声聞は縁覚とともに[[小乗]][[二乗]]と呼んで下に見る。声聞となるべく修行するものは声聞衆と呼ぶ。
また、[[菩薩]]も声聞の範疇とされることがあり、声聞菩薩乗・声聞菩薩地などのように表現されることがあった。この名残りは[[日本の仏教]]にも垣間見られ、彫像や絵図に表される[[地蔵菩薩]]の頭型は声聞形であるとされる。[[大乗仏教]]では菩薩を大乗とすることが多いが、声聞は縁覚とともに[[小乗]][[二乗]]と呼んで下に見る。声聞となるべく修行するものは声聞衆と呼ぶ。

2017年4月13日 (木) 16:14時点における版

声聞 (しょうもん、サンスクリット:श्रावक Sraavaka)とは、仏教で修行の段階や修行者の性質を示す仏教用語ジャイナ教の経典にも見られものであり、仏教成立以前からインドで広く用いられていたとみられる。仏教では、古くは縁覚も声聞の範疇であり、声聞縁覚乗・声聞縁覚地などのように表現されたが[1]、声聞と縁覚が明確に分化して用いられるようになった。

また、菩薩も声聞の範疇とされることがあり、声聞菩薩乗・声聞菩薩地などのように表現されることがあった。この名残りは日本の仏教にも垣間見られ、彫像や絵図に表される地蔵菩薩の頭型は声聞形であるとされる。大乗仏教では菩薩を大乗とすることが多いが、声聞は縁覚とともに小乗二乗と呼んで下に見る。声聞となるべく修行するものは声聞衆と呼ぶ。

声聞のサンスクリト語 श्रावक の原義は「(声を)遠くから聞き取れる」、「(声を)遠くに聞き取らせられる」の意だが[2]、主に大乗仏教では、教えを聴聞する意として通俗解釈されるようになっていった。パーリ語仏典の『相応部』(サンユッタ・ニカーヤ)では、釈迦は菩提樹の下での一箪から7年を経てなお、神々や悪魔と対話したことが記述されている[3]

四大声聞

四大声聞は、『法華経』授記品において、釈尊から未来の成仏の記別にあずかった4人の大弟子の総称である。次のとおり。

出典

  1. ^ 『梵和大辞典』 鈴木学術財団 (山喜房仏書林)。
  2. ^ श्रावक (zrAvaka). spoken sanskrit dictionary.
  3. ^ 例) 『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤⅡ』 第Ⅳ篇 悪魔についての集成 第三章(さらに五つの経)第四節. 中村元訳. 岩波文庫。

関連項目