斉藤彰吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
斉藤 彰吾
埼玉西武ライオンズ #65
SL-Syogo-Saito.jpg
2009年8月24日(西武第二球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県春日部市
生年月日 1989年5月14日(22歳)
身長
体重
180cm
87kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト7巡目
初出場 2010年5月26日
年俸 600万円(2010年)
経歴(括弧内は在籍年)

斉藤 彰吾(さいとう しょうご、1989年5月14日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手外野手)。埼玉県春日部市出身。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

小学2年から野球を始める。葛飾中学時代は庄和シニアで1番・中堅手としてプレーし、3年夏に全国大会ベスト8。また、中学時代には砲丸投全国大会に出場している。

春日部共栄高等学校へ進学後は1年春の関東大会で早くも左翼手のレギュラーとなり、夏の埼玉県大会決勝で木村文和に4三振を喫すものの、8番・左翼手で甲子園出場。しかし甲子園では初戦で中田翔辻内崇伸平田良介らを擁する大阪桐蔭に敗退した。中軸として迎えた翌2006年は、県大会で増渕竜義の前に春夏とも無安打に抑え込まれ、翌2007年は優勝候補筆頭ながら県予選初戦敗退と二度目の甲子園出場はならなかった。

高校通算本塁打52本を記録した県内屈指の強打者であり、走攻守そろって一定以上のレベルにあったことから、ドラフト前には上位指名候補としてスポーツ紙等で報じられた。しかし、守備・走塁の評価は高かったものの、長距離砲としてプロで通用するか疑問視されたことから上位で指名されることはなく、最終的に埼玉西武ライオンズにドラフト会議高校生の部7巡目[1]で指名され入団した。

[編集] プロ入り後

2008年2009年シーズンは二軍のみの出場で一軍出場は無く、打率も1割台と低迷した。

2010年シーズンは打撃フォーム改造が功を奏して好成績を上げ[2]、5月26日に初の一軍昇格を果たした。一軍では主に代走・守備要員として起用され、6月18日にはプロ入り初盗塁を記録したものの、初安打は放つことができず6月24日に一軍登録を抹消された。その後、7月22日に開催されたフレッシュオールスターゲームに7番・右翼手で出場して[3]4打席3打数3安打1打点(左越二塁打・死球・二塁内野安打・右越適時三塁打)と活躍し、優秀選手賞を獲得した。結局同シーズンは二軍で規定打席に到達し、打率.277・10本塁打・37打点・15盗塁と過去最高の成績を残してイースタンリーグの優秀選手賞に選出された[4]

2011年シーズンではキャンプ時に栗山の代役として一軍に呼ばれてからそのまま紅白戦、オープン戦と一軍出場を続けており、4年目にして初の開幕一軍登録に名を連ねた[5]。渡辺監督はここぞという場面での代走として使うために最後まで一軍に残したと語っており代走での起用が多い。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2010 西武 10 7 6 3 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 5 0 .000 .000 .000 .000
2011 36 9 8 10 2 0 0 0 2 1 6 2 0 0 1 0 0 2 0 .250 .333 .250 .583
通算:2年 46 16 14 13 2 0 0 0 2 1 7 2 1 0 1 0 0 7 0 .143 .200 .143 .343
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 65 (2008年 - )

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ スカウティングに関する不正問題の影響から、2007年のドラフト会議高校生の部において埼玉西武球団は上位3巡目までの指名権を剥奪されたため、斉藤は実質4巡目の指名であった。
  2. ^LIONS CHANNEL」(テレビ埼玉)2010年4月26日放送分より。
  3. ^ 本来出場予定であった美沢将が故障により出場を辞退したことによる補充選手としての選抜であった。
  4. ^ 2010/11/19 ライオンズ選手 表彰式へ出席! 埼玉西武ライオンズ公式サイト
  5. ^ 4年目斉藤が初の開幕1軍 日刊スポーツ

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス