定山渓温泉

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Hot springs 001.svg定山渓温泉
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冬の温泉街
温泉情報
所在地 北海道札幌市南区
座標 北緯42度57分55秒
東経141度9分45秒
座標: 北緯42度57分55秒 東経141度9分45秒
交通 札幌駅真駒内駅よりバス。
詳細は#交通アクセス参照
泉質 塩化物泉
宿泊施設数 26
年間浴客数 239万9千
統計年度 2003 年度
外部リンク 定山渓観光協会
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定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)は、北海道札幌市南区定山渓温泉地区にある温泉。「札幌の奥座敷」とも呼ばれている。

概要[編集]

古くアイヌに知られ、江戸時代には通行した和人が入り、1866年美泉定山が温泉宿を開いた。1918年に定山渓鉄道線が通ったことで発展した。

札幌の至近にある温泉で、市内の人々のほか、札幌観光の一環として多くの道外や外国からの観光客が利用する。札幌市の調べによれば、2003年度(4月から翌年3月)に日帰り客91万1千人、宿泊客152万8千人、計239万9千人の観光客が訪れ、宿泊客のうち3万6902人が外国人であった。また、354校が修学旅行で訪れた[1]。2006年度には、3年ぶりに240万人の観光客が訪れ、前年比110.9%となった。外国人客も7万人、前年比138%と寄与している。

泉質[編集]

  • 塩化物泉
    • 1つの源泉を複数の大型ホテルが共同利用するため、湯量が足りず循環利用するしかないホテルが多数ある一方で、一つのホテルが3つの源泉を所有し、すべての浴槽を掛け流し利用するところもある。

温泉街[編集]

夏の定山渓温泉
湯の滝

温泉は豊平川の川底から湧いており、その川沿いに温泉街が広がる。2012年5月現在ホテル19、公共宿泊施設7があり、他に会社などの保養所も多い。

豊平川にかかる月見橋付近が温泉街の中心であり、橋のたもとに温泉が流れる湯の滝(人工の滝)や、足湯等がある定山源泉公園がある。河童にまつわる話が残ることから、街路や遊歩道に多数の河童の像が置かれている。また、温泉街に複数ある足湯、手湯もそれをモチーフにしている。

温泉街の上流では豊平川が渓谷を形成しており、かっぱ淵、二見岩等の名所を巡る遊歩道や公園が整備されている。また、温泉街の下流にも、白糸の滝錦橋から見下ろす「舞鶴の瀞」等の名所があり、散策コースが設定されている。

歴史[編集]

この地の温泉の存在は古くからアイヌに知られていた。江戸時代には、松浦武四郎が旅行中に川の中に湧く温泉に入ったことを記しており、定山渓温泉のことと知れる。慶応2年(1866年)に小樽でこの温泉のことを知った僧美泉定山が小さな小屋を作って温泉宿とした。定山渓の名はこの美泉定山に由来する。札幌に新しい北海道の首府を建設していた開拓使判官の岩村通俊は、定山の求めを容れて1871年(明治4年)に温泉地を訪れた。岩村はここに休泊所と浴槽を作らせ、湯守の定山に米を給与した。同年本願寺街道の検分の折りにここを訪れた東久世通禧開拓長官が、常山渓と命名し、これが後に定山渓に変化した。しかし、1874年(明治7年)7月に定山への給与は打ち切られた。当時は札幌の人口が少なく、温泉は経営的にほとんど成り立たなかった。

1877年(明治10年)に定山が死んだ後、1880年(明治13年)に佐藤伊勢造が温泉の経営を引き継いだ。客が少ないことは変わらず、周りに畑を開き、川で魚を得て生計を立てた。しだいに客が増え、1886年(明治19年)に高山今朝吉が高山温泉を開き、さらに後に鹿の湯温泉ができた。

1914年(大正3年)に豊羽鉱山の開発が始まると、定山渓温泉の本格的な開発がはじまった。温泉宿は改築され、新築の旅館も増え、その他の店や家も増加した。鉱山開発に伴って定山渓鉄道線1918年に開通した。それまで一日がかりで山道を歩いた苦労がなくなり、1929年(昭和4年)には所要1時間を切って日帰りもたやすくなった。この交通の便を得て定山渓温泉は札幌の奥座敷としての地位を確たるものにした。好景気のきっかけになった豊羽鉱山は1920年(大正9年)にいったん休山したが、温泉街と鉄道は互いに支えあって順調に発展した。

定山渓温泉の利用客は、戦時中と戦争直後に激減した。戦後にホテル(鹿の湯)を接収した進駐軍は、1947年(昭和22年)に建物を不審火で全焼させて去っていった。

札幌市の戦後の急成長にともなって温泉街は回復した。1965年(昭和40年)に、定山渓観光協会は漫画家おおば比呂司の助言で河童をモチーフにした街づくりを始めた。かっぱ音頭を作り、かっぱ祭りを催し、そのために河童の伝説を創作した。豊平川の淵に身を投げた青年が、後に親の夢枕に立ち、自分は河童と結婚して沈んだのであり、今も幸せに暮らしていると告げたというものである。これ以後河童は定山渓のシンボルとなった。

札幌市の奥座敷という位置づけもあり、多くのホテルが一昔前の「宴会を行う団体客向け」の構造となっている。このため、個人客が主流となった現在の旅行形態とミスマッチを起こしており、各ホテルは経営に苦心している。こうした流れを打開するため21世紀に入る頃から、海外からの団体観光客を積極的に受け入れるようになった。中華人民共和国台湾香港韓国など、東アジア諸国からが主である。また、一部ホテルでは宴会場を削減して子供のための施設や個人客向けの施設、食事処に転換したり、コンビニエンスストアと同様の品揃え・価格の売店をホテル内に設置するなど、個人客重視の姿勢を打ち出している。

周辺の見どころ[編集]

温泉街から少し離れた定山渓小学校の敷地内には定山渓郷土博物館があり、美泉定山や温泉の歴史、定山渓鉄道線に関する資料や昔の生活道具などが展示されている。

定山渓温泉から道道小樽定山渓線朝里川温泉方面に向かうと小樽内川を堰き止めて作られた定山渓ダムと人造湖のさっぽろ湖があり、同ダムの下流には定山渓ダム下園地、定山渓ダム資料館がある。また、豊平川上流の豊平峡には、豊平川を堰き止めて作られた豊平峡ダムと定山湖があり、ダム周辺には遊歩道、展望台、レストハウス、ダムミュージアム等が設置されている。これらのダム周辺は紅葉の名所として知られている。豊平峡ダムの近くには、キャンプや自然観察ができる札幌市定山渓自然の村もある。

道道小樽定山渓線の朝里峠付近には札幌国際スキー場、国道230号の中山峠付近には中山峠スキー場がある。定山渓温泉は冬期はこれらのスキー場への基地としても利用される。

近隣には、薄別(うすべつ)温泉(定山渓から中山峠へ向かう途中。1軒宿の高級温泉旅館がある)、豊平峡温泉(定山渓から豊平峡ダムへ向かう途中)、小金湯温泉(定山渓から札幌都心部へ向かう途中)などの温泉もある。

交通アクセス[編集]

1918年より1969年までは定山渓鉄道線が運行されていたが、現在は路線バスと一部の都市間バスが乗り入れている。

脚注[編集]

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  1. ^ 札幌市「札幌の観光」(平成16年度版)、2005年。

参考文献[編集]

  • 札幌市教育委員会編 『定山渓温泉』(さっぽろ文庫59)、1991年。

外部リンク[編集]