チベットの旗

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チベットの旗
雪山獅子旗
用途及び属性 市民陸上?
縦横比 2:3
制定日 1912年??月??日
使用色

チベットの旗は、1912年(大正元年)にガンデンポタンチベットの独立を宣言した際に、ダライ・ラマ13世によって国旗として制定された旗。チベット国旗雪山獅子旗などとも称される。旗正面の白い雪山の前面で、2頭のスノー・ライオン(唐獅子)が3つの宝石を支えている。

概要[編集]

1910年代にチベットに滞在していた日本人チベット研究者・青木文教は自著『祕密之國 西藏遊記』(内外出版、1920年(大正9年)10月19日發行)において、チベット軍の司令官と青木が戯れとして、それまでの軍旗でも使われていたチベットの記号(雪山・唐獅子・)と、大日本帝国陸軍軍旗として考案・使用していた旭日旗に擬似する意匠(旭日)を組み合わせ、新しく図案を作ったものがたまたま新しい「軍旗」として採用されたと記している[1]

しかして此日このひはじめて新定しんてい軍旗ぐんき使用しようしたが、その摸樣もやう下半部かはんぶ富士山形ふじさんがた雪山せつざんえがき、唐獅子からししはいし、上半部じやうはんぶすなは雪山せつざんうへには地色ぢいろきいろくして日本にほん軍旗ぐんき半分はんぶんうつつたやう旭日きよくじつき、その片隅かたすみつきちいさく銀色ぎんしよくゑがいてある、此等これらつき雪山せつざんおよ唐獅子からしし西藏チベツト記號きがうで、司令官しれいくわんたはむれに圖案づあんつくつて紙片かみぎれはららず法王ほふわうまり、當分たうぶんかりこれ軍旗ぐんき採用さいようせられることになつたのである、この新軍旗しんぐんき時々とき/″\かぜひるがへ調子てうし日本にほん軍旗ぐんきやうえるので、さら改定かいていするはずであつた、ちなみ舊軍旗きうぐんきは三角形かくけい赤地あかぢ唐獅子からしし雪山せつざんとをおほきくゑがき、日月じつげつ上部じやうぶちいさく遠方えんぽうからはえないくらゐ附加つけくはへたものである[1]

ほかに、矢島保治郎によるとも[2]、また青木・矢島共同の発案ともいわれる[3]

第二次世界大戦後[編集]

世界各地で開かれるチベット弾圧の抗議デモ・チベット国旗やベトナムの黄色旗が多数掲げられている
ロンドンでの聖火リレーに反対するデモ参加者ら
憲兵の非常線によって端に追いやられたチベット支援者。パリ市役所にて
チベット支援グループと中国応援グループの接触。The Embarcaderoの北にて。

1947年(昭和22年)、チベット政府は代表派遣団をインド、デリーで行われたアジア会議に送り、ここで自身を独立国家と表明している。そのため、インドは1947年(昭和22年)から1954年(昭和29年)にかけてチベットを独立国家と認識していた[4]。また、この会議にはチベットの旗が持ち込まれたが、これは公的集会におけるチベット旗の最初の出現だった[5]

中華人民共和国では、雪山獅子旗の掲揚は「チベット独立の意思表示」として厳禁されている。掲揚が発覚した場合は、旗を掲揚した罪で即座に当局に逮捕され、禁固刑などの実刑に処される。日本などではチベット関係のデモ(北京オリンピックの聖火リレー抗議デモなど)や中国へのデモ(2010年尖閣諸島抗議デモなど)で頻繁に使用されている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b 近代デジタルライブラリー所蔵の青木文教祕密之國 西藏遊記』 内外出版、1920年10月19日、134-135頁。
  2. ^ ペマ・ギャルポ中国が隠し続けるチベットの真実 仏教文化とチベット民族が消滅する日』 扶桑社〈扶桑社新書〉、2008年6月、38頁。ISBN 978-4-594-05683-4
  3. ^ 浅田晃彦世界無銭旅行者 矢島保治郎』 筑摩書房、1986年6月[要ページ番号]ISBN 4-480-82209-7
  4. ^ Abanti Bhattacharya (2008年4月4日). “India Should Revisit its Tibet Policy” (英語). Institute for Defence Studies and Analyses. 2012年2月8日閲覧。
  5. ^ CTA's Response to Chinese Government Allegations: Part Four” (英語). Central Tibetan Administration (2008年7月19日). 2012年2月8日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]