チベットの旗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

雪山獅子旗
用途及び属性 市民陸上?
縦横比 2:3
制定日 1912年??月??日
使用色:

ガンデンポタンチベット亡命政府)のは、雪山獅子旗と呼ばれる旗。1912年にガンデンポタンがチベットの独立を宣言した際に、ダライ・ラマ13世によって国旗として制定した。正面の白い雪山の前面で、2頭のスノーライオンが3つの宝石を支えている。1910年代にチベットに滞在していた日本人学者青木文教の自著によると、青木が軍の司令官と戯れで、それまでの軍旗でも使われていたチベットの記号(雪山・唐獅子・日・月)を組み合わせて新しく図案を作ったのがたまたま新しい「軍旗」として採用されたと記している[1]

九世紀中ごろ吐蕃王朝 (とばんおうちょう)が分裂し、滅亡した。それからの長い間はチベットに正式の軍隊がなく、軍旗も制定されていなかった。清朝乾隆帝1793年に発布した『欽定蔵内善後章程二十九条』には次のような記述がある。“蔵(チベット)は常備軍も持たない、戦争の時には臨時に動員しないといけなかった。これでは十分な戦力が得られないし、民が安んじて生活することもできない。これからは皇帝の承認を得て、三千名の兵士からなる常備軍を創設しよう”。これが以後の“蔵軍”(チベット軍隊)である。また、この軍隊が訓練や戦争で用いる旗を作らせた。これが雪山獅子旗の由来である[要出典]

なお、チベットでは、雪山獅子旗の掲揚は「チベット独立の意思表示」として厳禁されている。掲揚が発覚した場合は、旗を掲揚した罪で即座に当局に逮捕され、禁固刑などの実刑に処される。

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 近代デジタルライブラリー所蔵の青木文教祕密之國 西藏遊記』(内外出版、大正9年(1920年)10月19日發行)の記述は以下のとおり。

    しかして此日このひはじめて新定しんてい軍旗ぐんき使用しようしたが、その摸樣もやう下半部かはんぶ富士山形ふじさんがた雪山せつざんえがき、唐獅子からししはいし、上半部じやうはんぶすなは雪山せつざんうへには地色ぢいろきいろくして日本にほん軍旗ぐんき半分はんぶんうつつたやう旭日きよくじつき、その片隅かたすみつきちいさく銀色ぎんしよくゑがいてある、此等これらつき雪山せつざんおよ唐獅子からしし西藏チベツト記號きがうで、司令官しれいくわんたはむれに圖案づあんつくつて紙片かみぎれはららず法王ほふわうまり、當分たうぶんかりこれ軍旗ぐんき採用さいようせられることになつたのである、この新軍旗しんぐんき時々とき/″\かぜ飜>ひるがへ調子>てうし日本にほん軍旗ぐんきやうえるので、さら改定かいていするはずであつた、ちなみ舊軍旗きうぐんきは三角形かくけい赤地あかぢ唐獅子からしし雪山せつざんとをおほきくゑがき、日月じつげつ上部じやうぶちいさく遠方えんぽうからはえないくらゐ附加つけくはへたものである。

    (134-135頁)

[編集] 関連項目