ストラトヴァリウス

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ストラトヴァリウス(2006年4月5日)
ストラトヴァリウス(2006年4月5日)
基本情報
出身地 フィンランド フィンランド
ヘルシンキ
ジャンル ネオクラシカルメタル
メロディカル・コア
パワーメタル
メロディックスピードメタル
活動期間 1981年 -
レーベル CBSフィンランド
ノイズレコード
ニュークリア・ブラスト
サンクチュアリ・レコード
ビクターエンタテインメント
NEMS エンタープライズ
公式サイト strato.jens.org
メンバー
ティモ・コティペルト
イェンス・ヨハンソン
ヨルグ・マイケル
ラウリ・ポラー
マティアス・クピアイネン
旧メンバー
旧メンバーはこちらを参照
  

Stratovariusストラトヴァリウス) は、1984年フィンランドヘルシンキで結成されたヘヴィメタルバンド。アルバム『Destiny』はフィンランドのナショナルチャートで1位を獲得、『Infinite』がゴールドディスクを獲得している。ヨーロッパと南米で絶大な人気を誇る。

目次

[編集] 概要

[編集] 初期

1981年ヘルシンキでトゥオモ・ラッシーラ(Dr.Vo)、スタファン・ストロールマン(G)、ジョン・ヴィヘルヴェ(B)の3名で結成。はじめは『BLACK WARTER』というバンド名で活動しており、音楽性もブラックサバスオジー・オズボーンに影響を受けたハードロックバンドであった。1983年に当時のリーダーであるトゥオモ・ラッシーラがバンド名を、ギターストラトキャスターヴァイオリンストラディヴァリウスを掛け合わせてストラトヴァリウスと名づける。(余談だがKraftwerkに同名の曲が存在する)。

ただし1984年に加入したティモ・トルキ(当時G,Bass,Vo)のメイン使用楽器はストラトキャスターではない。時期により違いはあるが、ストラトタイプをベースとしたソロイスト系のギターを使用することが多い。1984年末にベーシストのジョンが脱退、トルキが加入していた『ROAD BLOCK』というバンドでプレイしていたベーシストのユルキ・レントンが加入。1985年にギタリストのスタファンが脱退、代わりにティモ・トルキが加入し、今までヴォーカルも担当していたトゥオモの音域が狭いため、トルキがギター兼ヴォーカリストとなる。1986年にトルキの兵役のため1年間の活動停止をはさみ、フィンランド本国だけでなくスカンジナビア半島でライブ活動を行っていた。

[編集] メジャーデビュー

1987年にCBSフィンランドに送ったデモが目に止まり、1988年Future Shock』でシングルデビュー。この頃、キーボーディストのアンティ・イコーネンが加入。1989年はシングル『Black Night』とファーストアルバム『フライト・ナイト』をリリースするが売り上げはさっぱりであった。当時の音楽性はリッチー・ブラックモアレインボーバロック音楽に影響を受けたトルキの加入でネオクラシカルメタル寄りである。

1991年、CBSフィンランドから契約を切られ、メンバーが自費でスタジオ代を払いデモ製作をする。1992年始め、レコード会社移籍の際にベーシストのこの頃ベーシストのユルキが脱退し、ヤリ・ベヘムが加入するが、殆どプレイすることなく翌年に解雇されている。ブルーライトレコードからアルバム『Stratovarius II』をフィンランド国内のみで1000枚ほどリリース。10月、ドイツのShark Recordsから『Stratovarius II』をジャケットを代えて2ndアルバム『トワイライト・タイム』としてヨーロッパ全土で発表。翌1993年、シングル『Break the Ice』を発表。日本国内では『Twilight Time』が輸入版チャートベスト10に5ヶ月間ランクインし、1993年の輸入版年間チャート1位となった。日本版は1993年6月にビクターエンタテインメントより発売。

[編集] 専任ヴォーカリスト加入

Stratovarius 2007年
Vacken Open Areaにて

1993年、3rdアルバム『ドリームスペース』のレコーディング途中より、ベーシストのヤリ・カイヌライネンが加入。1994年2月、3rdアルバム『ドリームスペース』日本でリリース。ヨーロッパではノイズレコード所属のT&T Recordsに移籍。5月には日本未発売だった1stアルバム『FRIGHT NIGHT』が日本でもリリースされ、6月に初来日公演が行われた。トルキは歌う事をやめギターに専念するために音楽雑誌でヴォーカリストを募集し、ティモ・コティペルトが加入。翌年リリースされた『フォース・ディメンション』はよりメロディックパワーメタル色を濃くしてゆく。アルバムから『Wings of Tomorrow』がシングルカット。

1995年、来日公演も行ったFourth Dimensionツアー終了後、キーボードのアンティとオリジナルメンバーで元リーダーのドラムスのトゥォモが新たなリーダーであるトルキから解雇される。二人の代わりに加入したのがイングヴェイ・マルムスティーンDioなどで活躍していたスウェーデン人キーボーディストのイェンス・ヨハンソンとメコンデルタやレイジなどで活躍していたドイツ人ドラマーのヨルグ・マイケルである。トルキは二人と面識があったわけではなく、今回の件で初めて二人の連絡先を調べデモテープを送ったところ加入の了解をもらった。1996年、4thアルバム『エピソード』発表。コティペルトの表現力上達、それぞれ名手として名の知れたヨルグとイェンスの力により、音楽性により一層深みが出た作品となる。『ウィル・ザ・サン・ライズ?』と『ファザー・タイム』がシングルカット。

1996年、5thアルバム『ヴィジョンズ』を発表。コティペルトの作詞が積極的に採用されている。このアルバムはヨーロッパや日本で大ヒット。アルバムに伴うツアーも大成功を収めた。翌年発表されたヨーロッパツアーを収録した初の2枚組ライブアルバム『ヴィジョンズ・オブ・ヨーロッパ』では観客の熱狂ぶりをうかがう事が出来る。アルバムからシングルカットされた『ブラック・ダイアモンド』と『キッス・オブ・ジューダス』はストラトヴァリウスの代表曲となり、ライヴでかかせない曲となった。同年、ニュークリア・ブラストに移籍のため、ノイズレコード時代の初のベストアルバム『ザ・パスト・アンド・ナウ』を発表。

[編集] フィンランドトップバンドに

ストラトヴァリウス(2005年)ミラノ公演

1998年、6thアルバム『デスティニー』発表。フィンランドチャートで1位を獲得しているヒット作となり、アルバムに伴うツアーも成功している。翌年、各国のボーナストラックやライブ音源でできたコンピレーションアルバム『The Chosen Ones』もフィンランドチャートで7位に入り、名実共にフィンランドのトップバンドとなった。『It's a Mystery』が一部の国でシングルカットされている。2000年発表の7thアルバム『インフィニット』はフランス特別盤には4曲もボーナストラックがついており、ヨーロッパでの絶大な人気を現している。やや暗い楽曲が多かった『ディスティニー』からのシングルカットは『SOS』だけであったが、キャッチーな曲が多い『インフィニット』からはライブでの定番曲である『ハンティング・ハイ・アンド・ロー』『ア・ミリオン・ライト・イヤーズ・アウェイ』がシングルカットされている。『Infinite』はフィンランドでゴールドディスクに輝き、INFINITE FINNISH TOUR leg2の最終日である12月25日にゴールドディスク授与式が行われた。

2000年はソナタアークティカラプソディー・オブ・ファイアと共にツアーを行っている。日本のみのベストアルバム『14 Diamonds』が同年リリース。このツアーの後、バンド活動を一時休止し、この間トルキとコティペルトはそれぞれソロ活動を行った。

[編集] 脱退騒動

2003年1月、9thアルバム『エレメンツ・パート1』発表。以前の作品よりも大作が多くシンフォニックメタルプログレッシブメタル調の楽曲が多い作品となった。本来は同年11月リリースの10thアルバムの『エレメンツ・パート2』と共に2枚組の予定であったが、レコード会社より難色を示されたため1枚ずつのリリースとなった。 地球や人間の要素である火・水・風・土をコンセプトにしたアルバムであり、それぞれPt.1は「火と水」Pt.2は「風と土」がテーマとなっている。トルキによる思想や人生観、生きることを描いた歌詞がほとんどであり、全曲トルキによる作詞・作曲である。

Stratovarius 2007年
Tuska Open Areaにて

同年12月、ヨルグとコティペルトがトルキとの不仲により脱退。コティペルトは自分の楽曲がアルバムに採用されない不満をBurrn!誌のインタビューでもらしている。2004年1月、後任としてイェンスの兄であるハンマーフォールのドラマーアンダース・ヨハンソンのサポート加入が伝えられるが1ヶ月もしないうちにアンダースは離脱。ヴォーカルはカタリーナ・ウィーアラー(通称ミスK)という口から血を流したブラックメタル風のメイクをした女性が加入。しかしファンからは公式サイトに今までのストラトヴァリウスの音楽性と全く違う雰囲気の女性ヴォーカルの加入を批判する声が寄せられた。

2004年はレコード会社との契約がまだ残っていたためにヨルグとコティペルトは脱退後も幾つかの音楽フェスティバルにストラトヴァリウスとして出演した。2月29日スペイングラナダの音楽フェスティバルの翌日、トルキが路上で襲われ、カッターナイフで左肩を切り付けられ、顔に打撲を負うという、ファンからの抗議とも思われる[要出典]心ない事件が起きた。二人の脱退前後から公式サイトで過激な発言を繰り返していたトルキは後に躁鬱病と診断され、数ヶ月入院静養をした。2005年になり、ヨルグとコティペルトの復活宣言があり、以前のラインナップでの活動再開が発表されると、ミスKは音源発表もライブ活動もしないまま、事実上脱退ということになった。同年9月、10thアルバム『ストラトヴァリウス』発表(日本先行発売は8月)。しかし疾走曲が1曲もなくミディアムテンポやスローな曲が多く、作風も今までのシンフォニックさや神秘性がなくなり明るい楽曲が多いこの作品はファンの間で賛否が非常に分かれる物であった。後にトルキはこのアルバムが好きでないとインタビューで答えている。2005年秋、ベーシストのヤリが脱退。シナジーやコティペルトのソロプロジェクトのベーシストであるフィンランド人ベーシストラウリ・ポラーが代わりに加入し、ヨーロッパ・北米・日本・南米への大きなツアーが行われた。

[編集] トルキの離脱

Stratovariusのシンボルはフルール・ド・リスであるが、カナダのケベック州の州章のものに近い

2007年秋からニューアルバムのレコーディング中であり、ほぼ完成していたにも関わらず2008年3月にトルキがニューアルバムを白紙に戻し、楽曲をそのまま自らの新プロジェクトレヴォリューション・ルネッサンスで使用しレコーディングに入ると声明。(ストラトヴァリウス版のデモ・ヴァージョンは7月下旬にインターネット上に流出した。)その後4月3日にトルキからコティペルト及びヨルグとの不仲などの声明が伝えられ、解散宣言が行われた。[1]。2007年11月頃よりサンクチュアリ・レコードとの契約によるトルキの金銭問題やコティペルトらの不仲などが原因でバンドは空中分解状態であったようである。5月、公式サイトがイェンスのドメインとなり残された4名の仲は良好でありバンドの存続を表明、6月には残されたメンバーにラウリの知人であるフィンランド人ギタリスト、マティアス・クピアイネンを加え、ニューアルバム製作を発表。しかし、バンド名をどうするかで揉めていた。

ティモ・トルキは初期メンバーのトゥオモ、アンティを呼び戻し、正式なラスト・アルバムをレコーディングすることを表明。5月20日にストラトヴァリウスのバンド名および過去の作品や新作からの売り上げ配分も拒否し、イェンス・ヨハンソンとティモ・コティペルトに譲る正式書類にサインしたことを明らかにした。[2]。一方、コティペルトはトルキへの敬意を表しつつも、旧メンバーを迎えてのトルキらによるアルバム製作はないと表明[3]。10月、コティペルト・イェンス・ヨルグ・ラウリ・マティアスの新体制でストラトヴァリウスとして活動宣言。ニューアルバムのレコーディングに入った。それに対しトルキは嫌悪感を露にするコメントをしている[4]。尚、公式サイトにてトルキ以外のレヴォリューション・ルネッサンスのメンバーとストラトヴァリウスのメンバーが交流があることを認めている。2009年5月、最新アルバム『ポラリス』を発表。長年使用されたバンドロゴも一新された。1曲目の『ディープ・アンノウン』がシングルカット。現在は、2008年4月から2010年1月まで、ヨーロッパ、北米・アジア・南米を縦断する大規模なツアーが行われている。4月、トルキはトゥオモ、アンティ、ヤリと共に『PROJECT STRATO』として『ドリーム・スペース』を再録することを発表した[5]

[編集] メンバー

[編集] 旧メンバー

[編集] ギタリスト

[編集] ベーシスト

[編集] ドラムス

[編集] ヴォーカル

[編集] キーボード

メンバー在籍時期についてはストラトヴァリウスの歴代メンバー一覧表参照のこと

[編集] BURRN!とのトラブル

日本のヘヴィメタル雑誌BURRN!1997年5月号において、広瀬和生(編集長:当時)、前田岳彦奥野高久が、アルバム「Visions」(1997年リリース)に対して下した評価の内容(他アーティスト(例:イングヴェイ・マルムスティーン、クイーンズライクロイヤル・ハント)との比較等)を、ファンが英訳し、トルキ側にFAXで送付した。

FAXの内容を見たティモ・トルキは激怒、BURRN!編集部に対し抗議のFAXを送付したが、広瀬はトルキからのFAXの内容を誌面上(1997年7月号)で公開し、自身のコラムにて反論を展開した。なお、この件に関しては後にトルキ側が謝罪したことで和解したハズであったが、それから3年後のBURRN!2000年4月号(『インフィニット』リリース当時)のインタビューでトルキは藤木昌生の「コティペルトに無理なハイトーンを歌わせるのはやめてほしい」との質問に対し「(コティペルトのハイトーンは)ファンが望んでいるからやっている」「編集長のヒロセはコティペルトの声が気に入らないようだ」「俺達はファンの為に曲を作ってるのであって、評論家の為にやってるわけじゃない」と反論しており、本当に和解をしたのかは謎となっているが、その後もBURRN!誌のインタビューは受けている。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] オリジナルアルバム

[編集] ベストアルバム

[編集] ライブアルバム

[編集] シングル

[編集] DVD・VHS

[編集] 関連項目

  • 初恋 (韓国ドラマ 1996年) - アルバム『Episode』収録のバラード『FOREVER』が劇中でしばしば使用されていた。
  • スパイ・ゾルゲ - 2003年の日本映画。アルバム『Infinite』収録の『Infinite』がテレビCMと予告編に使用された。(映画本編では使用されていない)

[編集] 注釈

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[編集] 外部サイト

ウィキメディア・コモンズ