ジンギスカン (グループ)
ジンギスカン(Dschinghis Khan)は、1979年から80年代前半にかけて活躍した西ドイツの音楽アーティストグループである。
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[編集] 概要
1979年にデビューした西ドイツのミュンヘン出身の男女6人組(後に5人組)の音楽アーティストグループである。『ジンギスカン』や『めざせモスクワ』などが世界的に大ヒットした。
1985年に解散したが、2005年12月に、2006年から20年ぶりに活動を再開させることが報道された。1993年に他界したルイスと、スケジュールの調整がつかなかったレスリーを除く4人にゲストダンサー3人を加えたメンバーによる初のライブが12月17日にモスクワのオリンピックアリーナで行われた。2006年にスティーヴが他界し、翌2007年は残るエディナ、ヘンリエッテ、ヴォルフガングの3人に新たに7人を加え活動した。
[編集] グループ名
グループ名はチンギス・カンのドイツ語表記に由来する。このグループ名は英語圏でもドイツ語表記のままで受け入れられている。しかし、日本版CDでは契約の関係から、英語表記の「Genghis Khan」が用いられている。
[編集] 結成
1979年、西ドイツの音楽プロデューサー、ラルフ・ジーゲル(de:Ralph Siegel)と、経済学者であったベルント・マイヌンガー(de:Bernd Meinunger)が、当時人気を博していた西ドイツのアーティスト、ボニーMのヒット曲『怪僧ラスプーチン』 (Rasputin) をモデルとして『ジンギスカン』という楽曲を作った。それをヨーロッパのポップ・ミュージックの登竜門でもある「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」に応募するためにメンバーが集められ、結成したのがこのグループである。
6人のうちルイスは企画当初からメンバーとなることが決まっており、彼を除く5人はオーディションで選ばれた。1979年のユーロビジョン、ドイツ国内予選ではグランプリを獲得したものの、本選では4位に終わりグランプリはならなかった。楽曲の多くの作詞はマイヌンガーが、作曲はジーゲルがそれぞれ担当したが、後にはグループのメンバーも作曲を手掛けるようになった。
[編集] メンバー
[編集] オリジナルメンバー
[編集] エディナ・ポップ (Edina Pop)
- ハンガリーのブダペスト出身。本名はケーシュマールキ・マリカ(hu:Késmárky Marika)。音楽学校卒業後から高級ホテルやコンサート、テレビなどを舞台に歌手活動をこなし、1969年に西ドイツに進出。1970年に Bei jedem Kuss (直訳:どの口づけの時にも)でデビューを果たし、1972年ユーロビジョンのドイツ予選では Meine Liebe ich will dir geben (直訳:あなたに捧げたいわたしの愛)で7位を獲得する。私生活では1971年にドイツ人俳優ギュンター・シュトル(de:Günther Stoll))と結婚しているが、1977年に死別。ジンギスカンの解散後もドイツで音楽活動をしている。着ている服は、典型的な女性の格好でスカートを履くというスタイルが定番だった。この点、下記のヘンリエッテ・ハイヒェルが男性風の服を着ていたのとは異なる。近視で、ジンギスカン加入前は眼鏡がトレードマークだった。ちなみに日本語盤アルバムのパッケージに記されているメンバーのプロフィールでは、彼女の名前が DEINA POP と誤記されている。
[編集] ヘンリエッテ・シュトローベル(ハイヒェル) (Henriette Pauline Strobel-Heichel)
- オランダのアムステルダム出身。身長171cm・体重52kg。アムステルフェーンの女学校を卒業後、西ドイツのオーバーストドルフで歯科助手(ちなみに彼女の実家は歯科医である)、マヌカン、美容師、フィギュアスケートの個人レッスンを受ける。結成前はマヌカンをしており、1976年に後のメンバーのヴォルフガンクと結婚、ジンギスカン活動時はハイヒェル姓であったが、解散後1986年に離婚。その後は友人と共にスペインのマヨルカ島でファッション関係の仕事をしていた。再結成後はシュトローベル姓で活動している。男性風の服を着ることが多かったが、曲によっては上記のエディナ・ポップの服と似た服を着ていた(現在は男性風の服は着ていない)。趣味はダイビング。
[編集] ヴォルフガング・ハイヒェル (Wolfgang Heichel)
- 旧東ドイツのマイセン生まれでベルリン育ち。身長188cm・体重80kg。芸術教育学と歯科学を修めたが、結成前はシンガーソングライター兼プロデューサーとして活躍していた。結成後もパフォーマーの傍ら『カスパル・ハウザー』などの作曲を担当。1976年に上記のヘンリエッテと結婚するが、解散後1986年に離婚。解散後しばらくは、ジーゲルがプロデュースするグループ "That's Life" で音楽活動を続け、1986年には"Telefon"(直訳:電話)でユーロビジョンのドイツ予選に参加するも、最下位に終わっている。ジンギスカン再結成に際して音楽活動を再開。歌っているときは低音パートのことが多いが、地声の高さを活かしたソロパートもある。
[編集] レスリー・マンドキ (Leslie Mandoki)
- ハンガリーのブダペスト出身。ハンガリー名はマーンドキ・ラースロー(hu:Mándoki László) 。ジャズ音楽の専門学校でドラムとパーカッションを学び、自らジャム (Jam) という名のジャズロックバンドを率いてボーカリスト兼パーカショニストとして活躍。共産主義政権の学生運動弾圧を逃れるため、1975年にアニメーターのガーボル・チュポー(Hu:Csupó Gábor)らと共にミュンヘンへ渡るも、ジンギスカン結成前まで酒場のバンドマンとして苦しい生活を送った。もともとはジャズシンガーになることを希望していたが、ジンギスカンに加入することによりダンサーとして活動することとなった。このことに当初彼は違和感を覚えていたが、その後ハンガリーを題材にした『プスタ』などの作曲をするようになった。解散後、友人と会社経営をしながら音楽活動をしてきた。1995年、エディナ・ポップ、スティーヴ・ベンダーとともに来日。会社経営をしている事実を公表したために話題を呼んだ。スケジュールの都合もあり、現在存命のメンバーの中では唯一再結成後のジンギスカンへの参加を見合わせている。またなぜかジンギスカンの公式サイトには彼のことは触れられていない。長髪と唇の上の大きな髭がトレードマーク。趣味および特技はハンガリー料理。ヴォルフガングとは対照的に地声は低いが、歌っているときの声は高い。
[編集] スティーヴ・ベンダー (Steve Bender)
(1946年11月2日 - 2006年5月7日(満59歳没))
- 旧西ドイツのマインツ出身。本名はカール=ハインツ・ベンダー(Karl-Heinz Bender)。生年が1942年とされているものもある。結成前に2年間の渡米経験があり、数々のロックバンドでギタリスト兼ボーカリストとして活躍。結成後もパフォーマーの他に『ディスコ・ドラゴン』『キャプテン・ネモ』などの作曲や、『ジンギスカン』『めざせモスクワ』などの英語版の作詞を担当したが、腰痛が原因で1981年脱退。脱退後はドイツの音楽プロデューサーとして活躍。ジンギスカン在籍当時はスキンヘッドにしており、一日に二度髪を剃っていた。1995年にエディナ、レスリーと共に来日。テレビに出演し『ジンギスカン』と『めざせモスクワ』を歌っている。2005年の再結成のため奔走し、モスクワのライブにも参加したが、2006年5月7日、肺癌により59歳で死去。娘は歌手のメラニー・ベンダー (de:Melanie Bender)。声域はヴォルフガングとレスリーのほぼ中間で、少々しわがれた声である。
[編集] ルイス・ヘンリック・ポンジェッター (Louis Hendrik Potgieter)
- 南アフリカ、プレトリア出身のドイツ系ブール人。身長184cm。パトリック・ベイリー (Patrick Bailey) の別名でも知られる。ヨハネスブルグでバレエとグラフィックアートを修めた後、1975年に渡欧。結成前までミュンヘンのゲルトナープラッツ劇場でソロのダンサーとして活躍していた。活動初期には主にダンスの担当だったが、後期ではボーカルを担当することもあった。解散後はジンギスカン・ファミリーのキーボード担当として、レスリー、ヘンリエッテらと共に短期間の活動を経た後、南アフリカに帰国。帰国後はホテルの支配人を務めていた。1993年、ケープタウンにてエイズによる合併症によって死去(死亡日時はわかっておらず1996年となっているものもある)。なお本項におけるメンバーの名前の表記は、日本語盤アルバムなどに基づくものである。敢えてよりドイツ語風に表記するならばヘントリック・ポットギーター、アフリカーンス語風ならばヘンドリック・ポットヒーテルとなる。
[編集] 2005年から2006年までのメンバー
[編集] ダニエル・ケスリンク(Daniel Käsling)
[編集] シュテファン・トラック(Stefan Track)
[編集] エプル・カーヤ(Ebru Kaya)
- 2005年の再結成ライブのときに参加したダンサー。2007年には同じメンバーでロッキング・サンとしてデビューした。このうちシュテファンは、メンバーとトラブルを起こしたために2006年1月をもって脱退した。またダニエルとエプルもその年限りの参加となり、公式サイトにも彼ら3人については触れられていない。
[編集] 2007年以降のメンバー
[編集] クラウス・カプリート(Claus Kupreit)
- ルイスの代わりのポジションで、役名はIgei。
[編集] カトヤ・ボーゲル(Katja Vogel)
- 女斧使いという設定で、役名はEltuya。
[編集] ヤスガン(Yesugan)
- 女剣士という設定。Yesuganは役名であり、本名は不明。2008年のライブツアーには参加しておらず、脱退した可能性が高い。
[編集] ベンジャミン・スクーベル(Benjamin Schobel)
- ジンギスカンの息子という設定で、役名はOegoedei(オゴデイ)。海賊のような容姿をしている。「ロッキング・サン」を歌う際は再結成に不参加のレスリーのパートを担当する。
[編集] ターニャ・ミューラー(Tanja Mueller)
- お姫様という設定で、役名はOhla。ベリーダンス風の衣装を着ている。
[編集] トーマス・グラベル(Thomas Graeber)
- モンゴルの戦士という設定で、役名はYassa。
[編集] キャッシュ(Cash)
- 危険な黒の戦士という設定。Cashは役名であり、本名は不明。他界したスティーヴのパートを歌うことが多い。
[編集] 代表曲
- 国や地名をモデルにしたもの
- めざせモスクワ(Moskau)
- ソビエト連邦(現在のロシア)のモスクワがモチーフ。1980年のモスクワオリンピックにちなんだ曲で[1]、これが縁で1980年のモスクワ・オリンピックに招待されたが[要出典]、当時の西ドイツは、前年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻に対する抗議として、日本を含む西側諸国ともどもオリンピックをボイコットしている。ドイツ語版のほかに英語版もある。
- 日本ではダークダックスとバオバブシンガーズによってカバーされた。後者は、メンバーである声優が自分のやっている役を演じながら、アニメのタイトルやキャラの名前を曲にあわせて羅列して歌う支離滅裂な内容で、原曲の歌詞の意味は全く引き継いでいない。
- 千葉ロッテマリーンズの西武ドーム限定の応援歌「西武には負けられない」の原曲でもある。
- また2005年、歌詞が日本語に聴こえるという空耳ソング「もすかう」としてインターネットを中心にブームとなり、シングルカットすることになった。
- メンバーは古代ローマをイメージした衣装を着ている。シングルとしては初めてジャケットに写真ではなくイラストを使っている。また、6人体制で発売されたシングル曲の中では珍しくダンスミュージックではない。
- インカ帝国(マチュ・ピチュ)(Machu Picchu)
- めざせメキシコ (Mexico)
- さらばマダガスカル (Madagaskar)
- シエラネバダ (Sierra Nevada)
- プスタ(Puszta)
- ハンガリーの大平原をモチーフにした、民俗音楽風の曲。『家に帰って』とは逆に、戦乱に巻き込まれて行方のわからなくなった女を訪ね歩く男の物語。間奏に入るバイオリンは、男が物悲しさをまぎらわせようとかき鳴らしているイメージである。
- KOREA
- メンバーのレスリー・マンドキとニュートン・ファミリーのエヴァによるデュエット曲。「めざせモスクワ」のように、1988年に行われたソウル・オリンピックをモチーフにして制作された。日本でも少女隊が英語と日本語でカバーした。
- 前人未到の地ヒマラヤ(Himalaja)
- 特定の人物をモデルにしたもの
- ジンギスカン(Dschinghis Khan)
- ハッチ大作戦(Hadschi Halef Omar)
- カール・マイの児童文学の主人公、ハッジ・ハレフ・オマル (de:Hadschi Halef Omar)がモチーフ。邦題に「大作戦」とあるが、敢えて言うなら後半部の自由を求めての脱出劇がそれにあたるだろうか。ちなみにサビの「ハッジ・ハレフ…アル・ゴサラ」のリフレインは全て主人公ハッチ(より正しくはハッジ)の名前であり、アラビア文化圏の長大な添え名の伝統を言葉遊び風にしたもの。
- ニュルンベルクに実在した謎の人物、カスパール・ハウザーの伝説がモチーフ。終始穏やかな印象のゆったりした曲だが、詞の最後の方ではカスパール・ハウザーが絶命している。
- コンチキ号の冒険(Kontiki)
- その他
- 家に帰って(Komm doch heim)
- 騎兵である男の帰りを甲斐甲斐しく待ち続ける女の心情を切々と描いた異色のバラード。「よそに別の女性がいるならそれでも構わない、生きているならわたしの許へ帰ってきてほしい」という悲痛な叫びが胸を打つ。
- ディスコ・ドラゴン(Pass auf, der Drache kommt)
- 原題の意味は「気をつけろ、ドラゴンが来るぞ!」で、冒頭から勇ましくリフレインされる。歌詞の方は、街一番の美しい少女の優しい心のこもった口づけによって、恐ろしいドラゴンに変身していた青年の呪いが解け、平和になった森で2人仲良く暮らしていく、というファンタジー。
- 密告者のテーマ(Der Verräter)
- 原題の単語には「密告者」の意味もあるが、歌詞中には「密告」が出てこない。したがって邦訳題は「裏切り者(のテーマ)」の方が適切なのだが、それではオージェイズ (The O'Jays) のヒット曲『裏切り者のテーマ』(Back Stabbers) とかぶってしまう。歌詞は、敵の女にそそのかされて城門を開放してしまったために、襲撃を受けた責任を取るべく吊るし上げられる男(スティーブ)の物語。街の人々が男を詰問する場面での差し迫った曲調から一転、男の言い訳の場面ではスローなジャズになったりと、なかなかユニークな構成である。
- 男と女(Mann und Frau)
- フェミニズムを題材とし、男尊女卑の社会を皮肉った曲。「男と女は両者があってはじめて人間、たまに仲違いすることはあっても、どっちかが欠けたら成り立たない」というような内容の詞で、爽やかなダンスナンバーに乗せて女性陣と男性陣に分かれた彼らがコミカルな掛け合いを演じている。
- 宇宙からのメッセージ(Die Fremden)
- 原題は「エイリアン」を意味する。「遥か昔の地球で天地創造をした存在を我々は「神」と名付けた。彼らが再び地球を訪れる時、世界は滅びるだろう。それまでに彼らが残してくれたメッセージを探さなくては」というような、ニューエイジ思想的なファンタジーに溢れた詞で、彼らの楽曲の中でもとりわけ落ち着いたムードのあるスローな一曲。
- 女豹のように(Tiger, Tiger)
- 邦題では女豹だが、原語では(雄)虎である。いずれにせよ、すこぶるつき美しく魅力的ではあるが放縦かつ神秘的で底知れない猛獣に例えた女性の姿を、打楽器を多用した軽快なリズムとジャングルの効果音に乗せて語っている。
- チャイナボーイ(China Boy)
- 中国をモチーフにした曲。「チンギス・ハーンの軍隊にさらわれた中国人の少年が、やがて成長してハーンの軍師としてモンゴル軍を勝利に導いた」という中国人男性の与太話に対し、それに腹を立てたモンゴル人たちが男性の命を脅かす、という穏やかでない詞の内容だが、曲調や節回しは非常にポップかつコミカル。
- ロッキング・サン(Rocking Son of Dschinghis Khan)
- 「目指せモスクワ」のB面として発売。内容は、ロックにはまりリンゴ・スターに憧れる息子(レスリー)に腹を立てた父チンギス・ハーン(ルイス)が、息子のすばらしいドラムの演奏に感動して、最後は自らノリノリになって息子を許すというもの。途中のドラムソロはレスリーが担当している。物語の構成からステージパフォーマンスまで非常に質の高い作品であった。
- 2006年、この曲も「もすかう」同様、歌詞の「カザチョーク」(ロシア語でコサックダンスの意)が日本語ぽく聴こえる(「母さん、ちょ」)という空耳ソングとしてインターネットを中心にブームとなっている。
- サムライ(Samurai)
- 日本の侍をモチーフとしているが、楽曲は中国風である。詞の内容は、何者かにさらわれた帝の姫君を単身救出に向かう孤独な侍の物語となっている。日本でのみシングル化。
- キャプテン・ネモ(Kapt'n Nemo)
- ローレライ(Loreley)
- 世界はひとつ(Wir sitzen alle im selben Boot)
- 妖精クラバウターマン(Klabautermann)
- 船に住み着く海の妖怪、クラバウターマンがモデル。
- アルプスのドゥーデルモーザー(Dudelmoser)
- 哀愁のピストレーロ (Pistolero)
- 闘牛士の死にオーレ! (Olé Olé)
- 夢をつかみ、死んでいったスペインの闘牛士を称える歌。ちなみに喝采や称賛の間投詞「オーレ」は、アクセント符号が示す通り実際の発音は「オレー」に近く、この歌でも当然そのように歌われている。
- テムジン(Temudschin)
- テムジン=ジンギス・カン(チンギス・ハーン)の本名であり、テムジンの生い立ちから若き戦士ゆえに囚われの身となりながらも脱獄し、やがてモンゴル帝国の初代皇帝「ジンギス・カン」へと成長することを称えた歌。
- ドイツ語上での発音は「ティムジン」が正しい。
- ヴォルフガング・ハイヒェルは2007年に「グループとしてのジンギスカンを次世代へとつなげる歌だ」とし、「私たち3人を支えてくれている若い彼らこそテムジンだ」とMySpaceのブログに綴ったことがある(現在、MySpaceに公式なジンギスカンのブログは残っていない)。
- 燃え上がるタイガ (Brennende Taiga)
ドイツのチャートでは「ジンギスカン」が1位、「めざせモスクワ」が3位、「ローレライ」が6位、「ハッチ大作戦」が7位と4曲のTOP10入り楽曲がある。
[編集] ディスコグラフィ
- アルバム
- Dschinghis Khan(1979)
- Rom(1980)
- ボーナストラックを抜いたものが"Viva"として同年リリース。日本では『ザ・グレイテスト・ヒッツ』として発売。本作までは6人体制で発売された。
- Wir sitzen alle im selben Boot(1981)
- 日本で発売された最後のアルバム。
- Helden, Schurken & der Dudelmoser(1982)
- Corrida(1983,"Bullfighting")
- Die Großen Erfolge(1999)
- 7 Leben(2007)
- シングル
- Dschinghis Khan(1979)
- Moskau(1979)
- Hadschi Halef Omar(1979)
- Rom (1980)
- Rom(邦題「栄光のローマ」)まではメンバー6人体制で発売された。次作Pistolero(邦題「哀愁のピストレーロ」)からは5人体制
- Pistolero(1981)
- Loreley (1981)
- 本作を最後に日本でのシングルリリースをしていない。
- Wir sitzen alle im selben Boot(1981)
- Klabautermann(1982)
- Der Dudelmoser(1982)
- Himalaja(1983)
- Olé Olé(1983)
- Mexico(1985)
[編集] 日本への影響
ジンギスカンは、楽曲「ジンギスカン」の強烈なインパクトにより、1970年代後半からディスコなどのダンスシーンでアラベスクなどとともに人気を博した。また、それにより当時の竹の子族と呼ばれる若者にも多大な影響を与え、数多くのカバー曲も生まれた。
以降もモーニング娘。の楽曲『恋のダンスサイト』などでフレーズが引用されたり、『めざせモスクワ』の動画が話題となっている。
[編集] なるほど!ザ・ワールド出演時
1995年エディナ・ポップ、スティーヴ・ベンダー、レスリー・マンドキの3人が来日して『なるほど!ザ・ワールド』に出演した(日本公演を行っていないため、この日が初来日)。この時3人は『ジンギスカン』と『めざせモスクワ』を生で歌っている。また、インタビューの時レスリー・マンドキは「友人と会社を経営しています」と答えていたという(外部リンクを参照)。
[編集] 関連アーティスト
- ロッキング・サン(Rocking Son)
[編集] 脚注
- ^ “「めざせモスクワ」のジンギスカン、ベスト・アルバム登場”. リッスンジャパン 2010年9月23日..閲覧。
[編集] 外部リンク
- 公式サイト
- Legends of Rock ― レスリー・マンドキのオフィシャルサイト(ドイツ語・英語)
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