アメリカ欧州陸軍

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アメリカ欧州陸軍
US Seventh Army SSI.svg
United States Army Europe Shoulder Patch.JPG
欧州陸軍章
創設 1943年7月10日
廃止 1946年3月31日
再編成 1950年11月
所属政体 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所属組織 Seal of the US Department of the Army.svgアメリカ陸軍
部隊編制単位
愛称 Pyramid of Power, Seven Steps to Hell
力のピラミッド、地獄への7つのステップ
標語 Born at sea, baptized in Blood, Crowned in Glory
海で生まれ 血の洗礼を受け 栄光の冠を授かる
上級単位 アメリカ欧州軍
主な戦歴
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アメリカ欧州陸軍(アメリカおうしゅうりくぐん、United States Army Europe: USAREUR)は、アメリカ欧州軍陸軍構成部隊。陸軍の野戦軍としては第7軍(だいななぐん、Seventh U.S. Army)と呼ばれる。

沿革[編集]

アメリカ欧州軍の前身であるアメリカ第7軍は、第二次世界大戦中の1943年に編成され、ジョージ・パットン中将の指揮のもと、ハスキー作戦で初陣を経験した。翌1944年8月にはドラグーン作戦に参加し、45年春にはライン川を渡河してドイツ本土に進入、5月3日、第5軍との連携に成功した。戦後、第7軍は欧州での任務を第3軍に引き継いで、編成解除された。

1950年11月、第7軍は、ドイツ・シュトゥットガルトで再編成された。西ドイツの主権回復後もドイツ駐留を継続し、北大西洋条約機構ドイツ防衛部隊におけるアメリカ陸軍の主力部隊となった。冷戦中の大部分のあいだ、第7軍は、第5軍団と第7軍団の2個軍団を基幹として編成されており、1962年6月の時点で、計277,342名の将兵が所属していた。1967年、第7軍はアメリカ欧州陸軍と合併した。

冷戦の終結により、欧州軍はその兵力を削減されることとなったが、その前に、第7軍は、湾岸戦争に参加することとなった。第7軍を構成していた部隊のうち、第7軍団は湾岸戦争に参加した後、ドイツに戻ることなくそのままアメリカ本土に帰還した。一方、第5軍団は第7軍の主力部隊としてヨーロッパに留まることとなった。

1990年代、第7軍はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争およびコソボへの平和維持任務を担当した。この間、第5軍団隷下に、由緒ある部隊である第173空挺旅団が再編成された。

第7軍は、2003年のイラク戦争において大きな関与をなした。第5軍団司令部はイラクに進出し、第7軍も戦時編成に入った。第173空挺旅団と第1機甲師団は2004年までにイラクから撤収したが、第1歩兵師団は占領任務のために残された。

米軍再編において、第5軍団の主力部隊であった第1歩兵師団と第1機甲師団はヨーロッパを去ることとなり[1]これら2個師団のかわりに第2騎兵連隊(ストライカー旅団戦闘団)と第12戦闘航空旅団が配属された。これにより、第5軍団の戦力はかなり削減されたことから、第5軍団としての組織を解体して、これらの旅団級部隊は欧州陸軍(第7軍)の直轄下とすることも検討された。しかし一時期、第5軍団の隷下には、さらに2個の重旅団戦闘団(第170歩兵旅団および第172歩兵旅団)が配属され、第5軍団は、2個重旅団戦闘団と1個ストライカー旅団戦闘団、1個歩兵旅団戦闘団から編成されていた。2013年には、以前検討されたように第5軍団は閉隊された。

また、欧州陸軍の司令官ポストは長らく大将(4つ星)が補職されてきたが、2011年3月、当時の司令官であるカーター・ハム大将のアフリカ軍司令官転出に関連する補職人事で、基礎軍事訓練担当陸軍訓練教義軍団副司令官のマーク・ハートリング中将が昇任なしで新たに司令官に補職された。これにより、欧州陸軍は中将(3つ星)クラスが指揮する部隊へ事実上縮小・格下げされたことになる。

編成(最新)[編集]

アメリカ欧州陸軍の組織図。


直属部隊

テナント部隊及びその他の在欧部隊

  • 第5通信集団
  • 欧州地域医療集団(ドイツ・ハイデルベルク)
    • 第30医療団(ドイツ・ハイデルベルク)
    • 欧州地域歯科団(ドイツ・ハイデルベルク)
  • 第66軍事情報旅団
  • 第5憲兵大隊(犯罪捜査任務、ドイツ・カイザースラウテルン

脚注[編集]

  1. ^ なお、第1歩兵師団は統合戦力軍に配属替えされたが、第1機甲師団は、アメリカ本土に駐屯しているものの、指揮系統上は、依然として第5軍団の隷下にあった。