ちはや (潜水艦救難艦・初代)

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艦歴
建造者 住友重機械工業 浦賀造船所
運用者 Flag of Japan.svg海上自衛隊
計画 昭和34年度計画
発注 1959年
起工 1960年3月15日
進水 1960年10月4日
竣工
就役 1961年3月15日
1985年2月27日(特務艦に転籍)
退役
除籍 1989年2月28日
除籍後
その後
母港 {{{母港}}}
主要諸元
艦種 潜水艦救難艦
艦級
排水量 基準 1,340トン
満載 1,850トン
全長 73.0m
全幅 12.0m
深さ
高さ {{{高さ}}}
吃水 3.9m
機関 * 三菱造船MANG6Z52/70ディーゼル × 2基
* スクリュープロペラ×1軸
機関出力 2,700PS
速力 最大速 15ノット
燃料
航続距離
潜航限界深度
乗員 90名
搭載量
兵装
艦載艇 {{{艦載艇}}}
艦載機 {{{航空機}}}
艦載機
搭載総数 {{{総搭載機数}}}
飛行甲板
C4I
レーダー OPS-4D 対水上捜索用
ソナー AN/SQS-11A 捜索用
探索装置・
その他装置
電子戦
対抗手段
愛称
モットー
その他 * レスキュー・チェンバー
* 4点係留装置

ちはやローマ字JS Chihaya, ASR-401SU-7011)は、海上自衛隊潜水艦救難艦。艦名は千早城に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては3代目。

概要[編集]

海上自衛隊初の潜水艦救難艦である。当時、就役済みの潜水艦は「SS-501 くろしお」のみで、「SS-511 おやしお」は建造中であるなかの建造であり、当初から潜水艦の安全が重視されていた。

アメリカ海軍フロリカン級潜水艦救難艦を参考に設計され、当時の潜水艦救難方式として一般的であった4点係留方式が用いられ、レスキュー・チェンバーや吊り上げクレーン、ダイバー用装備、減圧症治療装備、再圧タンク、水中通話器、水中テレビなど潜水艦救難に必要な諸装備を一通り揃えていた。これらの装備品はアメリカ海軍からの供与品や購入品であった。

レスキュー・チェンバーの限界深度は約200mであり、新型潜水艦が登場するごとに性能の陳腐化が進んでいった。

艦体は経済性を考慮され、商船船体を用いていた。特務艦に転籍後は「AS-405 ちよだ」が就役するまでの間、予備として扱われていた。

艦歴[編集]

「ちはや」は、第1次防衛力整備計画に基づく昭和34年度計画潜水艦救難艦1101号艦として、三菱造船横浜造船所で建造され、1960年3月15日起工、1960年10月4日進水、1961年3月15日に就役の後に呉地方隊に配属された。

1965年2月1日第1潜水隊群に配属、1985年3月27日に特務艦に種別変更され、艦籍番号がASU-7011に変更される。

1989年2月28日に除籍される。

参考文献[編集]

  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)

関連項目[編集]