ちはや (潜水艦救難艦・2代)

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潜水艦救難艦「ちはや」 ASR-403.jpg
艦歴
建造者 三井造船 玉野事業所
運用者  海上自衛隊
計画 平成8年度計画
発注 1996年
起工 1997年10月13日
進水 1998年10月8日
就役 2000年3月17日
主要諸元
艦種 潜水艦救難艦
排水量 基準 5,540トン
満載 6,900トン
全長 127.5m
全幅 20.0m
吃水 3.0m
機関 2軸推進
三井造船12V42M-Aディーゼル × 2基
機関出力 19,500PS
速力 最大速 20ノット[1]
乗員 125名
艦載機 着艦スペースのみ
レーダー OPS-20航海
その他 深海救難艇(DSRV)1隻[1]
深海潜水装置(DDS)
大気圧潜水装置
海底調査装置
自動艦位保持装置(DPS)
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ちはやローマ字JS Chihaya, ASR-403)は、海上自衛隊潜水艦救難艦[1]。艦名は千早城に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては4代目。

概要[編集]

老朽化していた「ASR-402 ふしみ」の代替艦として建造された[1]

ちよだ型潜水艦救難母艦の拡大改良型として設計され、排水量を増大しつつ母船機能を排除して医療設備の強化と潜水艦の潜航深度の増大に対応した装備が備えられた。艦橋内には救難情報センターが設けられている。

艦容は「AS-405 ちよだ」とほぼ同じで、潜水救難装置を艦の動揺が少ない中央部に集め暴露していた格納品を艦内に納め、DSRVの発進方向を艦尾へ変更(ソナーとの影響の改善の為。このため、「ちよだ型潜水艦救難母艦」のDSRVと充電池補充などの支援位置が異なるなどの為、両艦のDSRVに互換性はない。そのため、DSRVはLCACと異なり「母艦の搭載艇」扱いである。)し、センターウェル(ムーンプール)下部に油圧式開閉扉が採用され速度の向上などが図られている。喫水線下の艦体部位にはバルバス・バウサイドスラスターが前後に2基設けられている。サイドスラスターと主機を連携したDPS(Direct Positioning System)を装備し、洋上の一点に静止することが可能である。艦の後部にはヘリコプター甲板を有する(「ちはや」のヘリ甲板には、MH-53E固定用のアイが用意されており、SH-60用より頑丈な作りで外観から解る)。

艦歴[編集]

「ちはや」は、中期防衛力整備計画に基づく平成8年度計画潜水艦救難艦1103号艦として、三井造船玉野事業所で建造され、1997年10月13日起工、1998年10月8日進水、2000年3月17日に就役の後に第1潜水隊群直轄艦とされた。

2001年2月10日に発生したえひめ丸事故の遺体捜索の要請を愛媛県から受けた政府は防衛庁に対応を求め、災害派遣をもって2001年8月から遺体捜索作業を行った[2][3]

2002年4月に実施された「国際潜水艦救難訓練Pasific Reach2002」に参加。荒天にもかかわらず全てのオペレーションを成功させた他、DSRVは当初予定のソフトメイト(沈没潜水艦への達着)だけでなく、ハードメイト(ハッチを開ける、より実際的な救難訓練)も成功している。なお、この時点で、輸送ヘリコプターMH-53Eシードラゴンは着艦訓練には成功していたが、レギュレーションが承認されていなかった為に、代表取材陣や参加国海軍高官はいったん旗艦ぶんごにMH-53で移動し、「ぶんご」と「ちはや」の間はSH-60Jで移動した。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]