さわゆき (護衛艦)
稚内港にて
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| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | 1979年 |
| 起工 | 1981年4月22日 |
| 進水 | 1982年6月21日 |
| 就役 | 1984年2月15日 |
| 要目 | |
| 排水量 | 基準 2,994 トン |
| 全長 | 130m |
| 全幅 | 13.6m |
| 吃水 | 4.19m |
| 機関 | 川崎ロールス・ロイス オリンパスTM3Bガスタービン 2基 川崎RRタインRM1C 2基 2軸推進、45,000PS |
| 最大速 | 29.6ノット |
| 乗員 | 200名 |
| 兵装 | 62口径76mm単装速射砲 1門 Mk15Mod220mmファランクスCIWS 2基 ハープーン艦対艦ミサイル4連装発射筒 2基 Mk29シースパロー艦対空ミサイル8連装発射機 1基 74式アスロック8連装発射機 1基 68式対潜短魚雷3連装発射管 2基 曳航式デコイ |
| 電子装置 | OPS-14B対空レーダー OPS-18-1水上レーダー 81式射撃指揮装置2型21A/12A OQS-4ソナー NOLR-6B ECM OLR-9B ECM Mk137チャフ発射機 2基 |
| 搭載機 | HSS-2B/SH-60Jヘリコプター 1機 |
さわゆき(ローマ字:JS Sawayuki, DD-125)は、海上自衛隊の護衛艦。はつゆき型護衛艦の4番艦。
目次 |
[編集] 艦歴
「さわゆき」は、昭和54年度計画2,900トン護衛艦、2213号艦として石川島播磨重工業東京第1工場で建造され、1981年4月22日起工、1982年6月21日進水、1984年2月15日に就役の後に第1護衛隊群第41護衛隊に配属された。
1990年1月31日に第1護衛隊群第48護衛隊に配属、1991年3月12日に第4護衛隊群第41護衛隊に配属され母港も大湊へ転籍となる。
2001年3月14日に横須賀地方隊第21護衛隊に配属され再び横須賀を母港とする。
2010年5月26日に東京港・晴海埠頭から練習艦「かしま」、同「やまぎり」と共に平成22年度遠洋練習航海部隊に出発する。航路をハワイ、北米西岸、メキシコのチアパス、ポルトガル、トルコのメルスィン、ジブチ、韓国の釜山に取り、10月28日に帰国した[1][2]。
現在は護衛艦隊第11護衛隊に所属し、母港(定係港)は横須賀である。
[編集] さわゆき放火事件
2008年7月6日午前3時35分ごろ、神奈川県・横須賀港から青森県・大湊港に向け航行中、青森県・尻屋崎の東南東約25キロの海上で、艦前部の揚錨機室内で出火、火災が発生した。同50分すぎに鎮火。
ところが、7月11日になって、火災の原因が21歳の海士長による放火であることが発覚し、自衛隊の規律について問題となった。この原因について石破茂防衛大臣(当時)は自衛隊が「極度の緊張感の中で色々な任務を遂行する場面が非常に増えてきた。実任務が増え、行動し、(防衛についての)役割が極めて強く求められている中にあって、非常に忙しすぎる」ために起きた事件であるとした[1]。
ただ、この事件の取材に向かっていた[3]青森朝日放送(ABA)チャーターのヘリが墜落して4名が死亡[4]したことについては「こういうことが起こらなければ、痛ましいことが起こらなかった」と石破防衛相(当時)が陳謝した[2]。
[編集] 歴代艦長
| 代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 香田洋二 | 1990.3 - | |||||
| 水田英幹 | 2008.8.1 - |
[編集] 脚注
- ^ 朝雲新聞 「遠航部隊が出発 世界一周コース 12カ国16都市を歴訪」2010年6月3日
- ^ 共同通信 「海自艦、帰港 11カ国15カ所を訪問」2010年10月28日
- ^ 2008年12月1日、青森海上保安部より取材用ビデオカメラがABAに返却されたが、同局でカメラを検証したところ、稼働はおろか録画の形跡もなかったことから、墜落は取材前ではないかとの見解がなされている。このことは当日放送された同局のニュースで報じられた。
- ^ 放火が判明した当時は副機長が遺体で発見されていた。機長の遺体はこの4日後(7月15日)に東通村沖で発見される。ABA側の2人(木村慎吾アナウンサーとカメラマン)はその後も見つからないまま、翌2009年6月17日に海上保安庁により死亡が認定された。
[編集] 参考文献
- 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
- 『世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)
[編集] 外部リンク
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