鷲尾隆聚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鷲尾 隆聚
生年月日 1843年1月25日
出生地 京都
没年月日 (1912-03-04) 1912年3月4日(69歳没)
称号 伯爵
勲二等瑞宝章

在任期間 1870年2月27日 - 1871年8月4日

在任期間 1871年8月4日 - 1873年5月30日

在任期間 1873年5月30日 - 1875年10月15日

在任期間 1882年9月9日 - 1887年3月3日
テンプレートを表示

鷲尾 隆聚(わしのお たかつむ、1843年1月25日天保13年12月25日) - 1912年明治45年)3月4日)は、幕末から明治期の公家

経歴[編集]

右近衛中将鷲尾隆賢の次男として京都で生まれる。母は高倉永雅の娘。勤王倒幕運動に身を投じ、慶応3年12月12日(1868年1月6日)、志士を集めて高野山で挙兵し、紀州藩を恭順させた(高野山挙兵)。奥州追討総督・陸軍少将として戊辰戦争を転戦し明治維新を迎えた。

剣術を好み、自邸に明鏡館という道場を開いた。1883年(明治16年)、宮内省済寧館御用掛に就任。1884年(明治17年)、山岡鉄舟とともに剣槍柔術永続社を設立し、社長を務めた。

エピソード[編集]

理財に疎いところがあり、負債を抱えて剣槍柔術永続社は解散した。あるとき東久世通禧から貴族院議員になることを勧められたが、「政治に通ぜざる者が、二千円の歳費を得るため、貴族院に入ろうとする者があれば、自分はその面に唾しよう。自分はたとえ餓死しようとも、かくの如き陋態をまなばず」と答えた。

官職[編集]

栄典[編集]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
  2. ^ 『官報』第1828号「叙任及辞令」1889年8月2日。
  3. ^ 『官報』第7841号「叙任及辞令」1909年8月13日。
  4. ^ 『官報』第8558号「叙任及辞令」1911年12月28日。
  5. ^ a b c 『人事興信録 初版』 353頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ a b c d 『人事興信録 3版』 ワ61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『人事興信録 第14版 下』 ワ22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
鷲尾家初代
1884年 - 1912年
次代
鷲尾隆信