三室戸和光

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三室戸和光
Mimurodo Masamitsu.jpg
三室戸和光
時代 江戸時代末期 - 大正時代
生誕 天保13年11月9日1842年12月10日
死没 大正11年(1922年)5月22日[1]
官位 従二位子爵
主君 孝明天皇明治天皇
氏族 三室戸家
父母 父:三室戸陳光
兄弟 和光河辺長量河辺教長治光
養兄弟:雄光
正室:武者小路公香長女・唯子
継室:鷲尾隆聚四女・房
鷲尾光遍土御門晴善
受子(松浦治夫人)ら
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三室戸 和光(みむろど まさみつ)は、江戸時代末期の公卿三室戸家8代当主。明治になり子爵従二位伊勢神宮大宮司。「和光」の読みを「かずみつ」と読むのは誤記。

経歴[編集]

三室戸家藤原北家真夏日野流柳原庶流とされ、初め北小路を称したが寛文5年(1665年)、願いにより三室戸を家名とした。

天保13年(1842年)、6代当主・三室戸陳光の二男として誕生[1]

継嗣となるはずだった三室戸雄光の長男・治光平安神宮の宮司となる。各地の石碑に揮毫が残っている。

大正11年(1922年)、薨去。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、699-700頁。

参考文献[編集]


日本の爵位
先代:
三室戸雄光
子爵
三室戸家第2代
1901年 - 1922年
次代:
三室戸敬光