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稲葉正親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稲葉正親
時代 江戸時代中期
生誕 元禄5年(1692年
死没 享保19年9月14日1734年10月10日
改名 正命、正親
別名 式部
戒名 大義院
墓所 京都府京都市右京区花園妙心寺町の妙心寺麟祥院
官位 従五位下、従四位下、越中守、佐渡
幕府 江戸幕府
山城淀藩
氏族 大田原氏稲葉氏
父母 父:大田原晴川
養父:稲葉正直稲葉正恒
兄弟 大田原扶清正親
柴田氏稲葉正直の養女)
正益正福正明正名正春(五男)
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稲葉 正親(いなば まさちか)は、山城淀藩の第4代藩主。正成系稲葉家宗家8代。

生涯

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元禄5年(1692年)、大田原晴川大田原政清の六男)の次男として大田原で生まれる。淀藩の初代藩主稲葉正知の叔父に当たる稲葉正直の養嗣子となる。宝永7年(1710年)4月19日、将軍徳川家宣御目見する。享保8年(1723年)7月23日、正直の隠居により家督を継いだ。旗本稲葉家は、相模国上・下足柄郡内の新田2000石の所領を持っていた。享保9年(1724年)1月28日、御使番に就任する。同年6月25日、火事場見廻を命じられる。同年12月28日、布衣となる。享保13年(1728年)7月1日、小姓組番頭に就任する。同年12月21日、従五位下・越中守に叙任する。

享保15年(1730年)3月27日、本家の先代藩主稲葉正恒が早世したため、その跡を継いだ。なお、旗本稲葉家は絶家となった。同年5月28日、将軍徳川吉宗に御目見した。享保16年(1731年)6月28日、奏者番に就任した。享保19年(1734年)6月6日、大坂城代に就任し、従四位下に昇進した。同年7月1日、大坂へ赴任の許可を得た。同年9月14日、大坂で死去した。享年43。跡を長男の正益が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女