紀元前506年

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紀元前506年(きげんぜんごひゃくろくねん)は、西暦ローマ暦)による年。

当時、古代ローマにおいては、「ルフスアクィリヌス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降においてはローマ建国紀元248年とされた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前506年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

中国[編集]

  • ・許・曹などの諸国が召陵に会盟し、に対する進攻を決議した。
  • 蔡が召陵の会に参加しなかった沈を滅ぼした。
  • 楚が蔡を包囲した。
  • 晋の士鞅と衛の孔圉が軍を率いて鮮虞を攻撃した。
  • ・蔡・が楚に侵攻した。
  • 柏挙の戦い - 孫武の率いる呉の軍勢が楚軍を柏挙で破り、楚の都であったを破壊し、楚の昭王は逃亡を余儀なくされた[1]

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

  1. ^ Warfare”. Ancient History Encyclopedia Limited. 2014年4月25日閲覧。

関連項目[編集]