紀元前573年
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世紀 | 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀 |
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十年紀 |
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年 |
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紀元前573年(きげんぜん573ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元181年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前573年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
[編集]できごと
[編集]中国
[編集]- 晋の欒書・荀偃が程滑に命じて厲公を殺害した。成周から公孫周(悼公)が迎えられて即位した。
- 斉の霊公が華免に命じて国佐を殺害させた。国勝が清の人に殺され、国弱が魯に亡命した。
- 楚と鄭の連合軍が宋を攻撃した。楚に亡命していた宋の魚石が彭城に復帰した。
- 宋の老佐と華喜が彭城を包囲したが、老佐が死去したため、彭城は陥落しなかった。
- 楚の子重(公子嬰斉)が彭城救援のために出兵し、宋に侵攻した。晋軍が宋を救援し台谷に進軍し、靡角の谷で楚軍と遭遇すると、楚軍は撤退した。
- 晋の悼公・宋の平公・衛の献公・斉の崔杼・魯の仲孫蔑らが虚朾で会合し、同盟した。