紀元前533年

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紀元前533年(きげんぜん533ねん)は、西暦ローマ暦)による年。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元221年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前533年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

中国[編集]

  • 霊王の叔弓・の華亥・の游吉・の趙黶らとで会合した。
  • 楚の公子弃疾が許を葉から城父に移転させた。
  • の甘邑大夫の襄がの閻嘉と閻の田土を争い、晋の梁丙・張趯が陰戎を率いて潁を攻撃した。周の景王は詹桓伯を晋に派遣して、戎を動員したことを非難した。晋の韓起(韓宣子)は羊舌肸(叔向)の意見を容れて、閻の田土を周に贈り、潁で得た捕虜を送還した。景王は賓滑に甘邑大夫の襄を逮捕させ、その事情を晋に説明させると、晋は賓滑を礼遇して帰国させた。
  • 陳で火災があった。
  • 晋の荀盈が妻を迎えにに行き、帰国する途中に死去した。その葬儀がおこなわれないうちに、晋の平公が酒宴を催し、音楽を鳴らしたので、膳宰の屠蒯がこれを諫めた。
  • 魯の仲孫玃(孟僖子)が斉に赴いた。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]