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この原告女性は匿名での報道を望んでいたが、2015年1月4日に、イギリス王室が出した2度目の声明では、アンドルーの性的接触ないし関係を持ったとする疑惑を、1度目より強い調子で否定するとともに、原告女性[[バージニア・ロバーツ・ジュフリー|バージニア・ロバーツ]]の名前を公表している。イギリスでは、性的犯罪は、関係者が実名報道を望まない限り、匿名で報じる慣習があるが、イギリス王室はこの慣例に反して、被害者の実名を出して批判した<ref>{{cite news |title=「3回関係持った」英王子の少女買春疑惑 王室はなぜ実名を出して非難したのか… |newspaper=[[産経新聞]] |date=2015-1-5 |url=http://www.sankei.com/world/news/150105/wor1501050008-n1.html |accessdate=2015-1-6 }}</ref>。 |
この原告女性は匿名での報道を望んでいたが、2015年1月4日に、イギリス王室が出した2度目の声明では、アンドルーの性的接触ないし関係を持ったとする疑惑を、1度目より強い調子で否定するとともに、原告女性[[バージニア・ロバーツ・ジュフリー|バージニア・ロバーツ]]の名前を公表している。イギリスでは、性的犯罪は、関係者が実名報道を望まない限り、匿名で報じる慣習があるが、イギリス王室はこの慣例に反して、被害者の実名を出して批判した<ref>{{cite news |title=「3回関係持った」英王子の少女買春疑惑 王室はなぜ実名を出して非難したのか… |newspaper=[[産経新聞]] |date=2015-1-5 |url=http://www.sankei.com/world/news/150105/wor1501050008-n1.html |accessdate=2015-1-6 }}</ref>。 |
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2019年11月19日放送の[[英国放送協会|BBC]]のNewsnightのインタビューで |
2019年11月19日放送の[[英国放送協会|BBC]]のNewsnightのインタビューでエプスタインとの親交について語り、原告女性と会った記憶も無いと語ったことが被害者への配慮に欠けると社会的な非難を受けた<ref>{{Cite web|title=エリザベス女王の次男 性犯罪歴ある資産家と交友、波紋:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASMCM0CCMMCLUHBI04X.html|website=朝日新聞デジタル(2019年11月19日)|accessdate=2019-11-26|language=ja|publisher=}}</ref>。アンドルーはこのインタビューで娘のベアトリス王女の18歳の誕生日パーティーにエプスタインを招待していたことも明らかにしたが、この時すでにエプスタインには未成年に対する性的虐待の容疑で逮捕状が出されていた<ref>{{Cite web|title=疑惑渦中の英アンドルー王子、BBCインタビューで火に油注ぐ結果に|url=https://www.cnn.co.jp/showbiz/35145565.html|website=CNN.co.jp(2019年11月18日)|accessdate=2019-12-03|language=ja|publisher=}}</ref>。 |
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インタビュー放映後に多数の企業がアンドルーとの協力関係の中断を決定し、アンドルーが名誉総長を務める[[ハダースフィールド大学|ハダーズフィールド大学]]でも総長辞任を求める学生運動が起きた<ref>{{Cite web|title=英王子に批判噴出 企業が関係中断、公務も停止―性虐待疑惑:時事ドットコム|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2019112100708&g=int|website=時事ドットコム(2019年11月21日)|accessdate=2019-12-03|language=ja|publisher=}}</ref>。21日、アンドルーは王族としての公務から退き、230の後援団体からも身を退くことを明らかにしている<ref>{{Cite news|title=Prince Andrew to step back from public duties 'for foreseeable future'|url=https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/20/prince-andrew-to-step-back-from-public-duties-for-foreseeable-future|work=The Guardian|date=2019-11-20|accessdate=2019-11-26|issn=0261-3077|language=en-GB|first=Ben|last=Quinn|first2=Kevin|last2=Rawlinson}}</ref><ref>{{Cite web|title=エリザベス女王、アンドルー王子に対してかなりご立腹!?|url=https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a29936734/queen-reaction-andrew-allegations-191125-hns/|website=ELLE|date=2019-11-25|accessdate=2019-11-26|language=ja-JP|first=Alanna Lauren|last=Greco}}</ref><ref>{{Cite news|title=Prince Andrew to stand aside from all 230 of his patronages|url=https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/24/prince-andrew-to-withdraw-from-scores-of-charities|work=The Guardian|date=2019-11-24|accessdate=2019-11-26|issn=0261-3077|language=en-GB|first=Robert|last=Booth}}</ref>。 |
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== 家族 == |
== 家族 == |
2020年1月26日 (日) 12:33時点における版
アンドルー Prince Andrew | |
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ヨーク公 Duke of York | |
ファイル:Prince Andrew August 2014 (cropped).jpg 2014年8月4日撮影 | |
在位 | 1986年7月23日 - 在位中 |
続柄 | エリザベス2世第2王子 |
全名 |
Andrew Albert Christian Edward アンドルー・アルバート・クリスチャン・エドワード |
称号 |
ヨーク公爵 インヴァネス伯爵 キリレイ男爵 |
身位 | Prince(王子) |
敬称 | His Royal Highness(殿下) |
出生 |
1960年2月19日(64歳) イギリス イングランド、ロンドン、バッキンガム宮殿 |
配偶者 |
セーラ・ファーガソン (1986年 - 1996年) |
子女 |
ベアトリス ユージェニー |
家名 | ウィンザー家 |
父親 | エディンバラ公爵フィリップ |
母親 | エリザベス2世 |
ヨーク公爵アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York、洗礼名: アンドルー・アルバート・クリスチャン・エドワード; Andrew Albert Christian Edward、1960年2月19日 - )は、イギリス王室の成員・貴族・軍人で、ヨーク公爵(第8期:1986年 - )。エリザベス2世女王の第3子で次男(第2王子)。名前については、伝統的なカタカナ転写のアンドリューという表記も、BBCなど各種のメディアで用いられている。
王位継承順位は2019年5月6日現在、アーチー・マウントバッテン=ウィンザーに次いで第8位。
公式の称号および敬称は“His Royal Highness The Duke of York”(ヨーク公爵殿下)。公邸はロイヤル・ロッジ。
略歴
イギリス王室 |
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出生
1960年2月19日、エリザベス2世女王とエディンバラ公フィリップ王配の次男として、バッキンガム宮殿にて誕生した。兄にウェールズ公チャールズ、姉にプリンセス・ロイヤル・アン、弟にウェセックス伯エドワードがいる。
同年4月8日に、宮殿内でカンタベリー大主教のジェフリー・フィッシャーから洗礼を受けた。代父母には、グロスター公ヘンリー、アレクサンドラ・オブ・ケント等がいる。
アンドルーという名前は、父方の祖父であるギリシャ王子アンドレアスにちなんだものである。
教育
幼い頃は、兄チャールズと同様に家庭教師によって就学前教育を施された。1973年9月に、兄と同じスコットランドのゴードンストウンに進学した。その間、1977年1月から6月までの6ヶ月間、カナダ・オンタリオ州のレイクフィールド・カレッジ・スクールに交換留学した。2年後の1979年7月に英語・歴史・経済学の3科目でAレベルの成績を修めて卒業した。その後は、海軍兵学校へ進学する事を志望した。
軍歴
1978年11月に、アンドルーが海軍に入隊する事を志願している事が発表され、12月より体力測定や面接など様々な試験を受ける事となった。1979年の3月から4月にかけて、海軍兵学校においてパイロットとしての試験を受け、ヘリコプターパイロット見習として認められ、同年5月11日より12年間の契約を結ぶ事となった。
1979年9月1日に、アンドルーは海軍少尉候補生に任命され、9月12日に海軍兵学校に入学した。他の少尉候補生の例に漏れず、アンドルーも1980年の1年間は、海兵隊のコマンド部隊に参加する義務を負った。
兵学校を卒業した後は、空軍で基礎的な飛行トレーニングを終えた後、海軍で汎用小型ヘリコプター“ガゼル”を操縦する技術を学んだ。
その後、アンドルーは対潜水艦攻撃用ヘリコプター“ウエストランド シーキング”の操縦士に転向し、同機の操縦技術を習得した。1982年には、第820海軍航空隊に加わり、航空母艦“インヴィンシブル”に乗艦した。
フォークランド紛争
1982年のフォークランド紛争勃発に伴い、アンドルーもヘリコプターのパイロットとして従軍することとなった。アンドルーが乗艦していたインヴィンシブルは、海軍が使用できる航空母艦2隻のうちの1隻で、島を奪還するために南方に航行する特別編成艦隊の中心的役割を果たすこととなっていた。
当初、イギリス政府はアンドルーが戦死することを避けるため、インヴィンシブルに乗り組み続けることを懸念し、彼を後方事務の仕事へ異動させることを望んでいた。しかし、母のエリザベス女王が許可したため、アンドルーはシーキングの副操縦士として、インヴィンシブルに乗艦し続けることとなり、アンドルーは対潜戦や対水上戦作戦などの任務を、他の将兵と同様に遂行するようになった。
紛争中のエピソードとしては、イギリス艦隊はアルゼンチン軍のミサイル攻撃に苦しんでいたのだが、アルゼンチン軍の対艦ミサイル、エグゾセが艦よりも小さな対象―ヘリコプターも追尾してしまうことが判明した。艦を守るためにヘリをデコイにすることが出来ることに気付いたパイロットたちは、自発的に囮の任についた。空襲警戒警報発令と共に空中に飛び立ち、ミサイルが飛来したならばわが身を持って艦を守るのである。この任に当たる者はジャンケン(のようなもの)で順番を決め、ローテーションで交代していたが、アンドルーもまた当然のようにこの任に当たっていたという(なお、この行動を始めた後、実際に対艦ミサイル攻撃が行なわれることはなかった)[1]。
紛争終了後、エリザベス女王・フィリップ王配夫妻は、ポーツマスの軍港まで、他の搭乗員の家族に交じって帰港を出迎えた。
児童買春スキャンダル
2014年12月29日、フロリダ州ウェストパームビーチの地裁に訴状が提出された訴訟において、アンドルーが未成年の少女と性交渉を持ったとする疑惑が浮上した。原告は、未成年だった1999年から2002年の間に、アンドルーの友人であるアメリカ人実業家、ジェフリー・エプスタインから、アンドルーを含む複数の男と性的関係を持つよう強要されたとしている。エプスタインは、2008年に未成年を売春させた罪で有罪となり、18ヶ月の刑期のうち13ヶ月を獄中で過ごし[2]、2009年に釈放された[3]。その後2011年に、エプスタインはプライベート・ジェットで英空軍基地を使用してアンドルーを訪問している[4]。イギリス王室は、アンドルーと未成年者との性的関係に関する疑惑について、「全くの虚偽」と否定する声明を出したが[5][6]、(相手の年齢についてアンドルーが認識していたかどうかは別としても)各種証拠からアンドルー本人が未成年の少女と性的関係を持ったことは明らかであり、王室のイメージの大幅な毀損は避けられない事態となっている。
この原告女性は匿名での報道を望んでいたが、2015年1月4日に、イギリス王室が出した2度目の声明では、アンドルーの性的接触ないし関係を持ったとする疑惑を、1度目より強い調子で否定するとともに、原告女性バージニア・ロバーツの名前を公表している。イギリスでは、性的犯罪は、関係者が実名報道を望まない限り、匿名で報じる慣習があるが、イギリス王室はこの慣例に反して、被害者の実名を出して批判した[7]。
2019年11月19日放送のBBCのNewsnightのインタビューでエプスタインとの親交について語り、原告女性と会った記憶も無いと語ったことが被害者への配慮に欠けると社会的な非難を受けた[8]。アンドルーはこのインタビューで娘のベアトリス王女の18歳の誕生日パーティーにエプスタインを招待していたことも明らかにしたが、この時すでにエプスタインには未成年に対する性的虐待の容疑で逮捕状が出されていた[9]。
インタビュー放映後に多数の企業がアンドルーとの協力関係の中断を決定し、アンドルーが名誉総長を務めるハダーズフィールド大学でも総長辞任を求める学生運動が起きた[10]。21日、アンドルーは王族としての公務から退き、230の後援団体からも身を退くことを明らかにしている[11][12][13]。
家族
1986年7月23日に、セーラ・ファーガソンとウエストミンスター寺院で結婚式を挙げた。それに伴い、ヨーク公爵・インヴァネス伯爵・キリレイ男爵に叙された[14]。
夫妻は
の2女をもうけたが、1996年に離婚した。
系図
- 赤枠の人物は、存命中。
- 黒枠の人物は、故人。
- 太枠の人物は、イギリス君主の子女。
ウィンザー朝の家系図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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- 注釈
公務
その他
- ゴルフ好きとして知られており、ハンディキャップはローシングルの実力を持つ。現在は、ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフ・クラブ・オブ・セント・アンドリュースのキャプテンを務めている。一方で、ゴルフ道具などの輸送の為に、空軍の飛行機を使用して、国民から批判を浴びた事もあった。
- 2012年9月3日に、ヨーロッパで最も高いビルディングであるザ・シャードで、英国の著名な登山家クリス・ボニントンら40人と共に屋上から同時に懸垂下降を行った。これは教育関連慈善団体「Outward Bound Trust」と退役海兵隊員基金「Royal Marines Charitable Trust Fund」により支援されたもので、現役および退役軍人のための資金集めが目的である。なお、アンドルー王子はこれに先立つ7月5日の当建物の落成式にも出席している。[15]
- 2013年09月4日、バッキンガム宮殿の庭で警官から職務質問を受けた[16]。エリザベス女王一家が避暑のためバルモラル宮殿に出かけて留守だった上に、2日に厳重な警備を突破して侵入した男の身柄が拘束されたため、警備を強化したための事件だった。本人はこの件を謝罪した警察を不問に処している。
- 2013年9月30日、笹川平和財団と英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)アジア本部所長の秋元千明が手配した日英安全保障協力会議に招かれて来日し、イギリス海軍と自衛隊との親善訓練をしたい首相安倍晋三と会合を持った[17]。
称号
- 1960年2月19日 – 1986年7月23日
- アンドルー王子殿下(His Royal Highness The Prince Andrew)
- 1986年7月23日 -
- ヨーク公爵殿下(His Royal Highness The Duke of York)
脚注・出典
- ^ 日本海事新聞 2008年7月
- ^ Paul Lewis (2015年1月2日). “Jeffrey Epstein: rise and fall of the teacher turned tycoon”. The Guardian 2015年1月4日閲覧。
- ^ JOSH GERSTEIN (2014年12月31日). “Woman who sued convicted billionaire over sex abuse levels claims at his friends”. Politico 2015年1月4日閲覧。
- ^ Fay Schlesinger and Daily Mail Reporter (2011年3月10日). “Prince Andrew's billionaire paedophile friend given permission to land private jet at RAF base for visit Sandringham”. The Daily Mail 2015年1月4日閲覧。
- ^ JACOB GERSHMAN (2015年1月3日). “アンドルー王子に未成年者買春の疑惑、英王室は否定”. ウォール・ストリート・ジャーナル 2015年1月3日閲覧。
- ^ Robert MACPHERSON (2015年1月3日). “英アンドルー王子に少女買春疑惑、英王室は否定”. AFPBB News 2015年1月3日閲覧。
- ^ “「3回関係持った」英王子の少女買春疑惑 王室はなぜ実名を出して非難したのか…”. 産経新聞. (2015年1月5日) 2015年1月6日閲覧。
- ^ “エリザベス女王の次男 性犯罪歴ある資産家と交友、波紋:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル(2019年11月19日). 2019年11月26日閲覧。
- ^ “疑惑渦中の英アンドルー王子、BBCインタビューで火に油注ぐ結果に”. CNN.co.jp(2019年11月18日). 2019年12月3日閲覧。
- ^ “英王子に批判噴出 企業が関係中断、公務も停止―性虐待疑惑:時事ドットコム”. 時事ドットコム(2019年11月21日). 2019年12月3日閲覧。
- ^ Quinn, Ben; Rawlinson, Kevin (2019年11月20日). “Prince Andrew to step back from public duties 'for foreseeable future'” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077 2019年11月26日閲覧。
- ^ Greco, Alanna Lauren (2019年11月25日). “エリザベス女王、アンドルー王子に対してかなりご立腹!?”. ELLE. 2019年11月26日閲覧。
- ^ Booth, Robert (2019年11月24日). “Prince Andrew to stand aside from all 230 of his patronages” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077 2019年11月26日閲覧。
- ^ "No. 50612". The London Gazette (英語). 29 July 1986. 2014年8月9日閲覧。
- ^ アンドルー英王子、欧州最高層の「シャード」を235メートル降下 [1]
- ^ バッキンガム宮殿の庭で王子に職務質問 英警察[2]
- ^ 首相官邸『基調講演』、2013年。
アンドルー (ヨーク公)
ヴェッティン家分家
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爵位・家督 | ||
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先代 アルバート・ウィンザー王子 |
ヨーク公爵 1986年 - |
次代 受爵中 |
先代 アルバート・ウィンザー王子 |
インヴァネス伯爵 1986年 - |
次代 受爵中 |
先代 アルバート・ウィンザー王子 |
キリーリー男爵 1986年 - |
次代 受爵中 |
上位 アーチー・マウントバッテン=ウィンザー |
イギリス王位継承順位 継承順位第8位 他の英連邦王国の王位継承権も同様 |
下位 ベアトリス王女 |