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* [[豊ノ海真二]](前1・福岡)10代・11代弟子 ※藤島部屋独立に同行→藤島部屋から再移籍 |
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* [[魁ごう功|魁罡功]](二子竜功)(前5・青森)10代弟子 |
* [[魁ごう功|魁罡功]](二子竜功)(前5・青森)10代弟子 ※花籠部屋から移籍 |
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2015年10月6日 (火) 23:33時点における版
二子山部屋(ふたごやまべや)とは、かつて日本相撲協会に所属していた相撲部屋である。
8代二子山時代
沿革
1921年(大正10年)5月場所限りで引退した友綱部屋(前頭筆頭・海山)所属の元前頭筆頭・土州山役太郎が年寄・二子山を襲名して、友綱部屋より分家独立して二子山部屋を創設した。中立部屋(大関・伊勢ノ濱)が中立親方の死去で部屋が閉鎖された時には、後の幕内・灘ノ花、銚子灘らを一時預かり(彼らはその後出羽海部屋に移籍)、幕内・土州山好一郎らを育てたが、1947年(昭和22年)限りで二子山部屋を閉じた。なお、こうした関係のため、同系統とみなされて、二子山部屋の力士と二所ノ関部屋の力士との対戦はなかった。
弟子の土州山好一郎は高知県出身ということで同郷の横綱・玉錦の露払いなどを務め、引退後は年寄・大嶽を襲名したが部屋は興さなかった。
師匠
- 8代:二子山役太郎(ふたごやま やくたろう、前頭1・土州山、高知)
力士
幕内
- 前頭
- 土州山好一郎(前4・高知)8代弟子
10代・11代二子山時代
沿革
1962年(昭和37年)5月場所直前に現役を引退し、年寄・10代二子山を襲名した花籠部屋所属の第45代横綱・初代若乃花が、8人の内弟子を連れて同年9月2日に創設した。10代二子山は横綱2代若乃花、隆の里、大関初代貴ノ花、若嶋津をはじめとして多くの関取を育て上げた他、日本相撲協会の第7代理事長を務めて、1993年(平成5年)3月15日に停年(定年)退職した。
10代二子山の停年退職を目前に控えた同年2月1日付で、引退後は独立して藤島部屋の師匠となっていた10代二子山の実弟の元大関・初代貴ノ花が11代二子山を襲名。二子山部屋と藤島部屋が合併して新・二子山部屋が誕生した。この時に二子山部屋は幕内10名を含んだ力士50名を抱える大所帯となった。11代二子山は、3代若乃花、2代貴乃花、の2人の実子を横綱まで育てた他、大関貴ノ浪など多くの関取を育て上げたが、2004年(平成16年)2月1日付で二男の2代貴乃花こと一代年寄・貴乃花が部屋を継承し、部屋の名称も貴乃花部屋に変わった。11代二子山は貴乃花部屋の部屋付き年寄となったが、2005年(平成17年)5月30日に死去した。
師匠
- 10代:二子山勝治(ふたごやま かつじ、第45代横綱・初代若乃花、青森)
- 11代:二子山満(ふたごやま みつる、大関・貴ノ花、青森)
力士
横綱・大関
- 横綱
- 若乃花幹士 (2代)(56代・青森)10代弟子
- 隆の里俊英(59代・青森)10代弟子
- 貴乃花光司(65代・東京)11代弟子 ※藤島部屋から移籍
- 若乃花勝(66代・東京)11代弟子 ※藤島部屋から移籍
- 大関
幕内
- 関脇
- 小結
- 前頭
- 飛騨乃花成栄(前1・岐阜)10代弟子
- 豊ノ海真二(前1・福岡)10代・11代弟子 ※藤島部屋独立に同行→藤島部屋から再移籍
- 大旺吉伸(前4・富山)10代弟子
- 魁罡功(二子竜功)(前5・青森)10代弟子 ※花籠部屋から移籍
- 大觥吉男(前8・青森)10代弟子