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1981年(昭和56年)5月場所に現役を引退して[[時津風部屋]]の部屋付き親方となっていた年寄・22代[[湊 (相撲)|湊]](元[[小結]]・[[豊山広光|豊山]])が、1982年12月に内弟子2人を連れて時津風部屋から分家独立する形で湊部屋を創設した。[[埼玉県]]に創設された部屋としては戦後初となる相撲部屋である。部屋に図書室を設置したことが話題となったこともある。22代湊は幕内力士として[[湊富士孝行|湊富士]]を育て上げ、他にも大湊ら幕下力士を輩出したが、いずれも怪我で低迷するなどして関取昇進を果たせず、22代湊が師匠を務めた時期に輩出した関取は湊富士だけであった。
1981年(昭和56年)5月場所に現役を引退して[[時津風部屋]]の部屋付き親方となっていた年寄・22代[[湊 (相撲)|湊]](元[[小結]]・[[豊山広光|豊山]])が、1982年12月に内弟子2人を連れて時津風部屋から分家独立する形で湊部屋を創設した。[[埼玉県]]に創設された部屋としては戦後初となる相撲部屋である。部屋に図書室を設置したことが話題となったこともある。22代湊は幕内力士として[[湊富士孝行|湊富士]]を育て上げ、他にも大湊ら幕下力士を輩出したが、いずれも怪我で低迷するなどして関取昇進を果たせず、22代湊が師匠を務めた時期に輩出した関取は湊富士だけであった。


それまで部屋の唯一の関取だった湊富士は2002年(平成14年)9月場所で現役を引退し、年寄・16代[[立田川 (相撲)|立田川]]を襲名して湊部屋の部屋付き親方となった後、2010年(平成22年)7月27日に22代湊と年寄名跡を交換する形で23代湊を襲名して湊部屋を継承した。翌28日に[[仲の国将|仲の国]]の新十両昇進が決定し、湊部屋では史上2人目となる関取が誕生した。2014年(平成26年)5月場所において[[逸ノ城駿|逸ノ城]]が新十両へ昇進し、23代湊の直弟子としては初となる関取が誕生。逸ノ城は十両を2場所で通過して同年9月場所で新入幕を果たし、部屋創設から34年目で初の幕内力士を輩出した{{main|逸ノ城駿#来歴}}
それまで部屋の唯一の関取だった湊富士は2002年(平成14年)9月場所で現役を引退し、年寄・16代[[立田川 (相撲)|立田川]]を襲名して湊部屋の部屋付き親方となった後、2010年(平成22年)7月27日に22代湊と年寄名跡を交換する形で23代湊を襲名して湊部屋を継承した。翌28日に[[仲の国将|仲の国]]の新十両昇進が決定し、湊部屋では史上2人目となる関取が誕生した。2014年(平成26年)5月場所において[[逸ノ城駿|逸ノ城]]が新十両へ昇進し、23代湊の直弟子としては初となる関取が誕生している


==所在地==
==所在地==

2014年9月22日 (月) 12:21時点における版

湊部屋(みなとべや)は、日本相撲協会所属で時津風一門相撲部屋

歴史

1981年(昭和56年)5月場所に現役を引退して時津風部屋の部屋付き親方となっていた年寄・22代(元小結豊山)が、1982年12月に内弟子2人を連れて時津風部屋から分家独立する形で湊部屋を創設した。埼玉県に創設された部屋としては戦後初となる相撲部屋である。部屋に図書室を設置したことが話題となったこともある。22代湊は幕内力士として湊富士を育て上げ、他にも大湊ら幕下力士を輩出したが、いずれも怪我で低迷するなどして関取昇進を果たせず、22代湊が師匠を務めた時期に輩出した関取は湊富士だけであった。

それまで部屋の唯一の関取だった湊富士は2002年(平成14年)9月場所で現役を引退し、年寄・16代立田川を襲名して湊部屋の部屋付き親方となった後、2010年(平成22年)7月27日に22代湊と年寄名跡を交換する形で23代湊を襲名して湊部屋を継承した。翌28日に仲の国の新十両昇進が決定し、湊部屋では史上2人目となる関取が誕生した。2014年(平成26年)5月場所において逸ノ城が新十両へ昇進し、23代湊の直弟子としては初となる関取が誕生している。

所在地

師匠

  • 22代:湊広光(みなと ひろみつ、小結・豊山、新潟)1982年12月-2010年7月
  • 23代:湊孝行(みなと たかゆき、前2・湊富士、群馬)2010年7月-

力士

現役の関取経験力士

幕内

前頭

十両

外部リンク