「弘南鉄道黒石線」の版間の差分
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2014年4月28日 (月) 14:20時点における版
黒石線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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川部駅(1997年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線総延長 | 6.2 km | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 1067 mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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黒石線(くろいしせん)は、かつて弘南鉄道が運営していた鉄道路線。青森県南津軽郡田舎館村の川部駅から黒石市の黒石駅までを結んでいたが、1998年に廃止された。日本国有鉄道(国鉄)の特定地方交通線で、同じ青森県内の大畑線とともに純民間資本の民営鉄道に転換された数少ない例であった。
路線データ(廃止時)
- 区間(営業キロ):川部 - 黒石 (6.2km)
- 駅数:3(起終点を含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化方式:全線非電化
- 閉塞方式:自動閉塞式(弘南鉄道転換前はスタフ閉塞式)
- 交換可能駅:なし(全線1閉塞)
運行形態
最短30分 - 最長2時間程度の間隔で運行されていた。当初は朝の4往復のみ2両で運行されていたが、乗客減のため廃止直前は全て単行で運行されていた。また、転換当初は車掌乗務であったが、後に全列車ワンマン運転となった。
車両
転換当初は国鉄から譲り受けた気動車キハ22形3両を使用していたが、老朽化のため1995年に小坂製錬小坂線で使用されていた気動車キハ2100形2両を譲り受けて、キハ22形は予備車1両を残して廃車にした。
廃線後、キハ22形1両、キハ2100形2両が田舎館村で保存されていたが、2013年11月17日にこの気動車3両が同月18日以降解体されることになったと報道された[1]。
利用状況
輸送実績
黒石線の転換後の輸送実績を下表に記す。転換後輸送量は減少し、転換時の約半分になった時点で廃止されている。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 |
特 記 事 項 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | |||
1984年(昭和59年) | 3.8 | 7.5 | 6.0 | 17.3 | 962 | 国鉄より転換 |
1985年(昭和60年) | 5.5 | 13.0 | 12.2 | 30.7 | 711 | |
1986年(昭和61年) | 4.6 | 13.0 | 11.5 | 29.1 | 685 | |
1987年(昭和62年) | 4.2 | 12.6 | 10.6 | 27.4 | 648 | |
1988年(昭和63年) | 3.7 | 11.0 | 9.7 | 24.4 | 579 | |
1989年(平成元年) | 3.3 | 11.3 | 9.1 | 23.7 | 565 | |
1990年(平成2年) | 3.0 | 12.7 | 8.7 | 24.4 | 592 | |
1991年(平成3年) | 2.7 | 13.4 | 8.6 | 24.7 | 598 | |
1992年(平成4年) | 2.9 | 13.8 | 8.2 | 24.9 | 609 | |
1993年(平成5年) | 2.7 | 12.0 | 7.6 | 22.3 | 544 | |
1994年(平成6年) | 2.3 | 10.6 | 7.1 | 20.0 | 487 | |
1995年(平成7年) | 2.3 | 9.6 | 6.6 | 18.5 | 449 | |
1996年(平成8年) | 2.2 | 10.1 | 6.4 | 18.7 | 454 | |
1997年(平成9年) | 1.6 | 9.4 | 5.4 | 16.4 | 407 | 路線廃止 |
収入実績
黒石線の転換後の収入実績を下表に記す。旅客運賃収入は一時増加したがその後減少し、廃止を迎えた。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||
1984年(昭和59年) | 10,792 | ←←←← | 11,157 | 0 | 21,949 | 336 | 22,285 |
1985年(昭和60年) | 18,873 | ←←←← | 24,839 | 0 | 43,712 | 1,382 | 45,094 |
1986年(昭和61年) | 17,995 | ←←←← | 23,401 | 0 | 41,396 | 3,000 | 44,396 |
1987年(昭和62年) | 6,487 | 12,030 | 22,095 | 0 | 41,612 | 3,854 | 45,466 |
1988年(昭和63年) | 5,767 | 10,455 | 21,488 | 0 | 37,710 | 816 | 38,526 |
1989年(平成元年) | 5,004 | 10,765 | 20,583 | 0 | 36,352 | 884 | 37,236 |
1990年(平成2年) | 4,677 | 12,009 | 19,317 | 0 | 36,003 | 867 | 36,870 |
1991年(平成3年) | 3,959 | 12,887 | 19,261 | 0 | 36,107 | 1,161 | 37,268 |
1992年(平成4年) | 4,394 | 13,397 | 18,540 | 0 | 36,331 | 988 | 37,319 |
1993年(平成5年) | 4,403 | 12,636 | 18,296 | 0 | 35,335 | 962 | 36,297 |
1994年(平成6年) | 3,694 | 11,084 | 17,525 | 0 | 32,303 | 1,003 | 33,306 |
1995年(平成7年) | 3,571 | 10,067 | 16,220 | 0 | 29,858 | 1,008 | 30,866 |
1996年(平成8年) | 3,355 | 10,957 | 15,672 | 0 | 29,984 | 1,600 | 31,584 |
1997年(平成9年) | 2,487 | 10,737 | 14,031 | 0 | 27,255 | 1,070 | 28,325 |
歴史
この路線は軽便鉄道法に基づいて計画されたもので、1912年に黒石軽便線(くろいしけいべんせん)として開業した。1950年に弘南鉄道弘南線が弘南黒石まで延伸されると、旅客は弘南線に流れ、黒石線の乗客は減少していった。1968年10月には弘南鉄道から国鉄東北支社に対し経営委託の申し入れを行っている。
1980年に国鉄再建法が成立すると廃止対象の第1次特定地方交通線に指定され、かつてのライバルであった弘南鉄道は、黒石線が第三セクター化などで輸送改善がされると自社路線が打撃を受けると考え、自社線に取り込んで経営を引き継ぐこととなった。その際、国鉄と弘南で別れていた黒石駅は、国鉄黒石駅の直前から弘南黒石駅に渡り線を新設して弘南黒石駅に統合されている。しかし、国鉄時代には弘前からの直通列車や五能線への乗り入れ列車もあった反面、国鉄線との直通運転を行わなかったために川部経由では乗り換えを強いられることになった。運賃も国鉄・弘南の合算となって割高となるなど乗客にとってのメリットは少なく、弘南鉄道自身にとっても自社の弘南線が弘前 - 黒石間を結んでいる上、黒石線のためだけに気動車を保有するという非効率もあって、黒石線を取り巻く状況は国鉄時代よりさらに悪化したといってよい。また、わずか6.2kmという短距離路線であったことも致命的であった。黒石線は、転換特定地方交通線のトップを切って1998年に廃止された。
なお、『JTB時刻表』『JR時刻表』では通常、旧国鉄・JR路線は第三セクターおよび他社に転換された路線でも、JR線に準ずる扱いを受けている。しかし、黒石線は転換線で唯一、他に路線を持っている私鉄への転換だったため、黒石線の時刻表は巻末の私鉄・バス路線のページに移されていた(下北交通大畑線は、大畑線が下北交通唯一の鉄道線だったためこの扱いは受けていない)。ただし、弘南鉄道の他線と違い、全列車を掲載することで利用者への配慮はしていた。
年表
- 1912年(大正元年)8月15日 川部 - 黒石間 (4.1M=6.6km) が黒石軽便線として開業、黒石駅を新設[2]
- 1922年(大正11年)9月2日 黒石線と改称
- 1935年(昭和10年)4月15日 ガソリンカー運転開始[3]。前田屋敷駅を新設
- 1973年(昭和48年)3月 蒸気機関車の運転を廃止[4]
- 1981年(昭和56年)9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)4月1日 弘南川部駅を川部駅に、弘南黒石駅を黒石駅に改称
- 1988年(昭和63年)8月1日 ワンマン運転開始
- 1998年(平成10年)4月1日 全線 (6.2km) 廃止。弘南バスに転換。
駅一覧
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
川部駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:奥羽本線・五能線 | | | 南津軽郡田舎館村 |
前田屋敷駅 | 2.9 | 2.9 | | | ||
黒石駅 | 3.3 | 6.2 | 弘南鉄道:弘南線 | ◇ | 黒石市 |
脚注
- ^ 旧黒石線の3車両解体へ/田舎館 - 東奥日報、2013年11月17日。
- ^ 1912年8月15日付東京朝日新聞(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ 「国鉄蒸気線区別最終運転日一覧」『Rail Magagine 日本の蒸気機関車』1994年1月号増刊
外部リンク
- 弘南鉄道黒石線 路線跡の現状レポート