「松山竜平」の版間の差分
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* 初先発出場:2011年5月31日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]3回戦([[宮城球場|日本製紙クリネックススタジアム宮城]])、9番・[[指名打者]]で先発出場 |
* 初先発出場:2011年5月31日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]3回戦([[宮城球場|日本製紙クリネックススタジアム宮城]])、9番・[[指名打者]]で先発出場 |
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* 初本塁打・初打点:2011年6月9日、対埼玉西武ライオンズ3回戦([[西武ドーム]])、6回表に[[涌井秀章]]から右越2ラン |
* 初本塁打・初打点:2011年6月9日、対埼玉西武ライオンズ3回戦([[西武ドーム]])、6回表に[[涌井秀章]]から右越2ラン |
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* 初盗塁:2012年5月12日、対[[中日ドラゴンズ]]8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏に二盗(投手:[[岩田慎司]]、捕手:[[谷繁元信]]) |
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=== 背番号 === |
=== 背番号 === |
2013年10月24日 (木) 00:21時点における版
広島東洋カープ #37 | |
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2012年4月14日 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県曽於郡大崎町 |
生年月日 | 1985年9月18日(38歳) |
身長 体重 |
176 cm 94 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、一塁手、三塁手 |
プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
初出場 | 2008年4月24日 |
年俸 | 1,100万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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松山 竜平(まつやま りゅうへい、1985年9月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。背番号は37。
経歴
鹿児島県大崎町出身。小学3年生の時にソフトボールを始め、中学時代は硬式野球部に入部し、鹿屋中央高校では1年生からエースで4番だった(甲子園には出場していない)。九州国際大に進学し、1年春から出場。2007年6月の全日本大学野球選手権大会では、2回戦に早大の斎藤佑樹から二塁打を放ち注目された。4年間で首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回に輝き、通算安打は122本で、九州六大学リーグの新記録を作る。大学通算打率.412、通算三振数は18(1試合平均0.24個)。2007年11月19日のプロ野球大学生・社会人ドラフト会議で広島東洋カープに4巡目で指名された。同年11月26日に契約金5000万円、年俸1000万円(推定)で仮契約。
プロ入り後
1年目の2008年は開幕一軍を逃したものの、ウエスタン・リーグ開幕からチームの中軸として好調を保ち、4月24日に一軍昇格。代打による2打席のみで二軍に降格したが、その直後二軍では4番に定着。疲れや守備練習に時間を割くこともあって調子を落とすこともあったが、ウエスタン・リーグの打点王を獲得。安打もリーグ最多を記録した。課題の守備は将来を睨んで三塁の練習をしているが、ウエスタン・リーグの試合では主に一塁を守る機会が多かった。それまでやっていた外野は2試合のみの出場だった。
2年目の2009年は春季キャンプの途中に肉離れでリタイア。4月に二軍に合流すると5月にはウエスタン・リーグの月間MVPを受賞する活躍を見せたが、その後の不調が響いて一軍出場はなかった。守備では三塁の守備に就く機会が前年の5試合から33試合に増えた。
2010年は主に一塁手としてウエスタン・リーグの試合に出場。前年に続き一軍出場はなかった。
2011年は岩本や天谷の不振で1軍昇格すると、6月9日の埼玉西武ライオンズ戦で涌井秀章から決勝打となるプロ初本塁打を放ってチームの連敗を10で止めた[1]。7月5日の横浜ベイスターズ戦では初の3安打を放ち[2]、結局この年は自己最多68試合に出場。打率.270、3本塁打の成績を残した。
2012年は前年度の活躍が評価され、オープン戦でチーム唯一の全試合出場。打率.403の好成績を残し、オープン戦の首位打者となった。この活躍で開幕を一軍で迎えた[3]。ところがシーズンが始まると突如打てなくなり、一軍と二軍を往復する生活が続くも、8月21日の横浜DeNAベイスターズ戦では初の4番に座り[4]、8月30日の東京ヤクルトスワローズ戦では4番としての初打点を挙げた[5]。結局この年は打撃部門の全てで前年度を下回り、打率もあわや1割台と打撃不振に苦しむシーズンとなった。
人物
- 小学校3年の時にソフトボールスポーツ少年団の監督の勧めで左打ちに転向した。その監督が福留孝介を育てた新留勝郎監督である。ちなみに当時松山は捕手を務めており、同チームの1学年下には榎田大樹(現・阪神)が在籍していた。
- 高校3年の時の練習が実を結び、同年春には100mだった遠投が夏には123mにまで伸ばし、苦手だった50m走の記録も春の6秒5から夏には6秒まで伸ばしている。(詳細は外部リンク中国新聞の記事を参照)
- 同期で阪神のドラフト1位で指名された福岡大の白仁田寛和投手とは、九州六大学野球のリーグ戦で対戦したライバル。
- 大学時代のニックネームはアンパンマン。3年生の時に先輩から付けられた。この愛称の由来は容姿だけでなく、チームがピンチに陥ったとき必ずバットで救ってきた事から付けられた。プロに入団しても「アンパンマンで僕の名前を覚えてくれるなら喜んで呼ばれたい。」とファンに呼びかけた。ホームのマツダスタジアムで打席に向かう際の出囃子も「アンパンマンのマーチ」である。
- ドラフト指名を受け、直後の会見では所有していた牛を売って大学の学費を出してくれた祖父に感謝の意を述べながら感極まって大粒の涙を流した。
- 入団会見の際、背番号37について「永久欠番にします。何年先のことになるか分からないですけどね」登録名に関しても「最初は松山でいって、活躍してから“竜平”にできればいい」と語っている。
- お立ち台での極まり文句は、「鹿児島のじいちゃんばあちゃん、俺やったよ!」である。
- 2010年11月、大学時代に知り合った広島県出身の女性と結婚を発表[6]。すでに同年より、同居生活を送っており、12月12日(この日は自身の入団会見の日にあたる)に入籍。2011年2月には第一子が産まれる予定であることを明かした。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008 | 広島 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2011 | 68 | 204 | 196 | 15 | 53 | 6 | 1 | 3 | 70 | 19 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 20 | 5 | .270 | .299 | .357 | .656 | |
2012 | 48 | 146 | 137 | 4 | 28 | 4 | 0 | 0 | 32 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 1 | 13 | 3 | .204 | .253 | .234 | .487 | |
通算:3年 | 118 | 352 | 335 | 19 | 81 | 10 | 1 | 3 | 102 | 26 | 1 | 1 | 0 | 0 | 16 | 0 | 1 | 34 | 8 | .242 | .278 | .304 | .583 |
- 2012年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2011 | - | - | 50 | 67 | 0 | 1 | 0 | .985 | ||||||||||
2012 | 20 | 141 | 16 | 0 | 9 | 1.000 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 22 | 25 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 20 | 141 | 16 | 0 | 9 | 1.000 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 72 | 92 | 1 | 1 | 0 | .989 |
- 2012年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2008年4月24日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(広島市民球場)、6回裏に大竹寛の代打で出場
- 初打席:同上、6回裏に萩原淳から二塁ゴロ
- 初安打:2011年5月26日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏にブライアン・バリントンの代打で出場、牧田和久から左前安打
- 初先発出場:2011年5月31日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、9番・指名打者で先発出場
- 初本塁打・初打点:2011年6月9日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、6回表に涌井秀章から右越2ラン
- 初盗塁:2012年5月12日、対中日ドラゴンズ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏に二盗(投手:岩田慎司、捕手:谷繁元信)
背番号
- 37 (2008年 - )
脚注
- ^ “広島10連敗でストップ!松山プロ初弾でGに0・5差”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年6月10日) 2013年4月28日閲覧。
- ^ “広島打線をけん引!4年目・松山が初の猛打賞”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年7月6日) 2013年5月9日閲覧。
- ^ “【広島】マエケン、堂林、松山ら開幕切符”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2012年3月28日) 2013年5月8日閲覧。
- ^ “【広島】初4番「空回り…」松山”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2012年8月21日) 2013年5月8日閲覧。
- ^ “【広島】松山が4番で初打点”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2012年8月30日) 2013年5月8日閲覧。
- ^ “コイのアンパンマン”松山が結婚! - デイリースポーツ、2010年11月25日
関連項目
外部リンク
- ルーキーの挑戦 松山竜平外野手 中国新聞 2008年1月17日