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日枝丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日枝丸
日枝丸。
基本情報
船種 貨客船
クラス 氷川丸級貨客船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 日本郵船
運用者 日本郵船
 大日本帝国海軍
建造所 横浜船渠
母港 東京港/東京都
姉妹船 氷川丸
平安丸
信号符字 JGYC
IMO番号 36219(※船舶番号)
建造期間 433日
就航期間 4,856日
経歴
起工 1929年5月25日
進水 1930年2月12日
竣工 1930年7月31日
就航 1930年
除籍 1944年1月5日
最後 1943年11月17日被雷沈没
要目
総トン数 11,621トン
純トン数 6,787トン(1930年)
6,818トン(1931年)
載貨重量 10,397トン
排水量 不明
全長 163.3m
登録長 156.2m(1930年)
155.9m(1931年)
垂線間長 155.91m
型幅 20.12m
型深さ 12.50m
高さ 29.26m(水面からマスト最上端まで)
12.19m(水面から船橋・煙突最上端まで)
11.88m(水面から船橋後方デリックポスト最上端まで)
9.75m(水面から後部船倉用デリック最上端まで)
主機関 B&Wディーゼル機関 2基
推進器 2軸
最大出力 13,112BHP
定格出力 11,000BHP
最大速力 18.0ノット
航海速力 15.0ノット
航続距離 15ノットで18,700海里
旅客定員 一等:58名
二等:64名
三等:186名
1941年11月26日徴用。
高さは米海軍識別表[1]より(フィート表記)。
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日枝丸
基本情報
艦種 特設潜水母艦
特設運送船
艦歴
就役 1942年2月15日(海軍籍に編入時)
連合艦隊第六艦隊第8潜水戦隊/横須賀鎮守府所管
要目
兵装 15cm砲[2]4門
九三式13mm機銃連装2基4門
110cm探照灯1基
90cm探照灯1基
三米半測距儀1基
装甲 なし
徴用に際し変更された要目のみ表記。
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日枝丸(ひえまる)は、かつて日本郵船が保有していた貨客船である。氷川丸級の2番船として建造された。船名は日枝神社(東京都千代田区)に依る[3]

戦前はシアトル航路に就航した。第二次世界大戦における太平洋戦争では日本海軍に徴用され、特設潜水母艦として行動した。1943年(昭和18年)10月1日付で特設運送艦に指定される[4]。11月17日[5]アメリカ海軍潜水艦ドラム」より魚雷攻撃を受けて沈没した。

船歴

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シアトル航路

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日本郵船は北米シアトル航路を強化するため、1万1000トン級貨客船3隻の建造を決定し、浅間丸型「秩父丸」を建造中の横浜船渠は2隻の建造を受注した[6]。これが「氷川丸」と「日枝丸」である[6]。船橋には東京千代田区日枝神社を祀る[3]。「氷川丸」、「日枝丸」、「秩父丸」は並んで同時に建造された[7]。また氷川丸級3隻(氷川丸日枝丸平安丸)は頭文字『H』を持つ神社名(氷川神社、日枝神社、平安神宮)に由来している[3]1930年昭和5年)7月、横浜船渠で竣工。シアトル航路に就航した。同航路はグレート・ノーザン鉄道と日本郵船の提携により1896年明治29年)開設された航路で、当時人口6000人だったシアトルは「ノーザングレート鉄道を父、NYK(日本郵船)を母」として目覚ましい発展を遂げ60万都市になった。[8]

就航後、往行では生糸、日本茶、綿製品、玩具などを運び,復航は屑鉄、銅、亜鉛,ニッケル、牛皮、航空機用特殊木材などを運搬した[9]

爆破未遂事件

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1938年(昭和13年)、支那事変の影響でアメリカやカナダの対日感情は悪化していた。同年1月20日[注釈 1]シアトル港内に停泊していた「日枝丸」に爆破未遂事件が発生した。

港内の桟橋で他人の服を抱えた挙動不審な男を警察が職務質問したところ、「日枝丸」に爆弾を仕掛けるために海に入った主犯の男を待っている旨の供述をした。付近の海面を捜索した結果、主犯の男の水死体とダイナマイト300本と時限装置を設置した筏が見つかった。時限装置はなぜか予定時刻の30分前で止まっていた。低温の海で凍死していた主犯格の男は、カナダ ビクトリア在住の29歳大学講師であることが判明した。共犯の男は詳しい事情を知らず、共産主義者や中国機関による関与も疑われたが、結局背後関係は不明で[10]その後も不安を抱えながらシアトル航路は維持された[8]

戦争

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1941年(昭和16年)7月、ABCD包囲網に関連して連合国陣営アメリカ合衆国イギリス帝国カナダなど)が対日資産凍結に踏み切ったためシアトル航路は8月の日米関係悪化から閉鎖・休止された。本船は9月から11月まで英印東アフリカ蘭印の在留邦人引き揚げのための特別航海についた[11]。11月下旬、「日枝丸」と「高千穂丸」は相次いで神戸港に到着する[注釈 2]。つづいて海軍に徴用され、太平洋戦争開戦直前の12月7日、マーシャル諸島クェゼリン島に軍需物資を輸送した[8]

1942年(昭和17年)2月15日付で特設潜水母艦に定められ横須賀鎮守府所管となる[13]。4月に特設潜水母艦への改装が終了し、第六艦隊隷下の第八潜水戦隊の母艦となった[8]1943年(昭和18年)7月にはインド洋上で、ドイツに向かう遣独潜水艦伊8」に補給を行なった。

最期

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1943年(昭和18年)10月1日、特設潜水母艦の定めを解かれ[14]、特設運送船(雑用船)となる。横須賀鎮守府所管[15]。 同時期、連合艦隊は第十四戦隊(那珂五十鈴)司令官伊藤賢三少将を総指揮官とするT四号輸送部隊を編成した[16][注釈 3]中国に駐屯していた日本陸軍第17師団(師団長酒井康陸軍中将)を、南東方面へ輸送する任務である[18]。 第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐を指揮官とする第三輸送隊(野分、舞風、日枝丸、粟田丸)が編成された[19]

10月10日、第三輸送隊はトラック泊地を出発、10月17日上海に到着した[20][注釈 4]。20日に出発してラバウルに向かうが、22日に宮古島北方海域において[22]、「粟田丸」がアメリカ潜水艦グレイバック」に撃沈される[23]。生存者を救出後、第三輸送隊は目的地をトラック泊地へ変更し、30日に到着した[21]。トラック泊地で丁四号輸送部隊の編成変更がおこなわれ、第三輸送隊(野分、舞風、山雲、日枝丸ほか2隻)となる[24]。 11月3日、第三輸送隊はトラック泊地を出発したが[25]、4日夕刻に敵潜水艦より雷撃を受けて「日枝丸」が魚雷の自爆で損傷、最大発揮速力12ノットとなる[26]。その後もB-24に触接されたり、幾度か潜水艦らしきものと遭遇、トラック泊地に引き返した[注釈 5]

11月7日にトラック到着後、ふたたび輸送部隊の編成変更があった[28]南東方面部隊に編入された丁四号輸送部隊(舞風、野分、山雲、日枝丸)は、9日にトラック泊地を出発した[注釈 6]11月12日、「日枝丸」はニューブリテン島ラバウルに到着して任務を終えた[22]。同方面に進出した第十七師団は、第三水雷戦隊駆逐艦による鼠輸送などによって各地に展開した[30]。 「日枝丸」はマニラからラバウルに陸軍部隊を輸送した後、トラック島に向かっていた[8]11月17日昼前、アメリカ潜水艦ドラム」に発見され、「ドラム」はラバウル北西300海里北緯01度48分 東経148度24分 / 北緯1.800度 東経148.400度 / 1.800; 148.400で14時40分に4本の魚雷を発射、内1本が命中した[31]。護衛の駆潜艇2隻が爆雷攻撃をおこなったが[注釈 7]、「ドラム」は逃げ切った。 「日枝丸」は約4時間後に沈没したが、生存者は救援にかけつけた「名古屋丸」に収容される[33]。乗船者全員が救助され、トラック島に上陸した[8]。助かった乗員は軽空母冲鷹」に便乗して内地に向かったが、同艦は12月3日から4日にかけてアメリカ潜水艦「セイルフィッシュ」の魚雷攻撃により沈没する[注釈 8]。「日枝丸」乗組員21名中20名が戦死した[8]

1944年(昭和19年)1月5日、除籍・解傭[35]

艦長等

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艦長
  • 篠田清彦 大佐:1942年2月15日[36] - 1942年12月28日
  • 有馬直 大佐:1942年12月28日[37] - 1943年8月16日
  • 原田文一 大佐:1943年8月16日[38] - 1943年10月1日
指揮官
  • 原田文一 大佐:1943年10月1日 - 1943年10月5日
  • 富田賢四郎 大佐:1943年10月5日[39] - 1944年2月29日[40]

脚注

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注釈

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  1. ^ 昭和12年11月との資料もあるが[8]、ここでは外務省の資料[10]に従う
  2. ^ 母國の懷へ歸る 日枝丸 高千穂丸[12] 先立ちつて南方蘭印及びアフリカ、西南アジア、印度、ビルマ各地に使ひした日枝丸、高千穂丸の兩船はこれら各地における不法な反日態度に決然歸國する邦人多數を乗せ十一月二十一日、二十三日相ついで神戸に歸港した(以下略)
  3. ^ T四號輸送部隊任務報告 一、任務[17](イ)GF電令作第七三八號(GFキデ五一七二〇(十月))ニ依リT四號輸送部隊トシテ第十四戰隊、多摩木曽、第四駆逐隊、護國丸清澄丸、日枝丸、粟田丸ヲ指揮シ、上海ヨリ南東方面ニ轉進ノ陸軍第十七師団ノ「ラバウル」第二次輸送ニ任ズ(以下略)
  4. ^ (3)第三輸送隊[21] 第四駆逐隊(野分、舞風)日枝丸、粟田丸十日〇六〇〇「トラツク」発十七日一四〇三上海着(繋留、搭載物件略)第三輸送隊二十日一四〇〇上海発 二十二日〇三四八基準針路一五〇度速力一四.五節之字運動航行中二六度四九分北一二五度三分東ニ於テ粟田丸敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ四本命中沈没 舞風直ニ爆雷攻撃ヲナセル外 野分、舞風探信掃蕩セルモ手懸ナシ効果不明 〇九四〇粟田丸生存者全部収容日枝丸ヲ護衛「ラバウル」ニ向フ/粟田丸生存者 海軍准士官以上 三名 下士官兵八五名 陸軍准士官以上五名 下士官兵七一名/GFキデ二八〇六四二(十月))ニ依リ第三輸送隊ハ「ラバウル」直行予定ヲ変更二八〇八三〇 五度〇分北一四二度〇分東附近ヨリ変更「トラツク」ニ向ヒ三十日〇八三〇「トラツク」着 
  5. ^ (中略)[27] 第三輸送隊GF電令作第七八四號及T四號輸信電令作第二號ニ依リ四駆(野分、舞風、山雲)日枝丸、日威丸、神風丸 三日〇四三〇PT發南下中四日一六四五敵B-24一機ト交戰撃退被害ナシ、四日一七五九敵潜ノ雷撃ヲ受ケ、内一本日枝丸附近ニテ自爆、日枝丸中間軸受六個損傷セルモ出シ得ル速力十二節 四日二二〇〇行動予定ヲ変更北西方ニ反轉 五日〇九三五神風丸敵潜望鏡ヲ發舞風爆雷攻撃ヲ行ヒ広範囲ニ油多量湧出効果概ネ確実六日〇八一五更ニ行動予定ヲ変更PTニ向フ 七日一一〇〇PT着(以下略)
  6. ^ (ヘ)GF電令作第七九二號(GFキデ〇八一〇二四)ニ依リ 八日一〇二四T四號輸送部隊ハ左ノ通改編NTBニ編入サル[29](中略)改編T四號輸送部隊(四駆、日枝丸)NTB電令策第一二八號(NTBキデ〇八一〇四七)ニ依リ九日〇四三〇「ラバウル」ニ向ケ「トラツク」発(以下略)
  7. ^ (昭和18年11月17日記事)[32]〔 一、一二四五 駆潜二九、駆潜三〇護衞中ノ日枝丸北緯一度四五分東経一四八度三五分ニテ雷撃ヲ受ケ航行不能直ニ爆雷攻撃実施|一、効果確実 日枝丸一七三〇沈没 〕
  8. ^ (昭和18年12月)[34]〔 3|2310|八丈島ノE180′ニテ冲鷹ハ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク| |前部ニ魚雷×1命中航行自由 瑞鳳雲鷹摩耶、7dg、浦風同航 トラツクヨリ横須賀ニ回航中 横浜ヨリ沢風館空(飛行機)ヲ遣派中 4日早朝再ビ雷撃ヲ受ク 0845/4沈没 〕

出典

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  1. ^ Hikawa_Maru_class
  2. ^ 四十糎口径四一式十五糎砲照準演習機装備図・日枝丸四十五口径毘式十五糎砲ニ兼用/40口径41年式15糎砲  照準演習機装備図」 アジア歴史資料センター Ref.A03032236200 
  3. ^ a b c #三菱、20話16頁『船名の由来は埼玉県氷川神社』
  4. ^ 昭和18年10月1日付 内令第2038号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070181100 
  5. ^ #二護1811 p.12〔 (七)管区内被害船舶調査表(含特設艦船)自十一月一日至十一月三十日 〕
  6. ^ a b #三菱、20話14頁『「秩父丸」に続き、2隻の客船を受注』
  7. ^ #三菱、20話16頁『図3、5つの船台で建造が進む昭和4年6月19日の風景(写真)』
  8. ^ a b c d e f g h 竹野2008, p.175ff
  9. ^ 日枝丸 - エリック、2013年2月19日閲覧。
  10. ^ a b 昭和13年/1.日枝丸爆破事件」 アジア歴史資料センター Ref.B10074487800 
  11. ^ 日英両国民の引揚に関する了解並に在留邦人引揚の為船舶派遣の件」 アジア歴史資料センター Ref.C04014856900 
  12. ^ 写真週報 197号 昭和16年12月3日」 アジア歴史資料センター Ref.A06031079200 
  13. ^ 昭和17年2月15日付 内令第285号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070160900 
  14. ^ 昭和18年10月1日付 内令第2038号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070181100 
  15. ^ 昭和18年10月1日付 内令第2041号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070181100 
  16. ^ 戦史叢書62 1973, pp. 436–438第十七師団の南東方面への派遣
  17. ^ #S18.04第十四戦隊日誌(4) p.2
  18. ^ 戦史叢書40 1970, pp. 520–521第十七師団の派遣問題
  19. ^ #S18.04第十四戦隊日誌(4) p.3(軍隊区分)〔 (一)自上海至「トラツク」〔 第三輸送隊|本職/四駆司令|第四駆逐隊(野分、舞風)日枝丸、粟田丸|第三次輸送 〕、同資料 p.4(軍隊区分)〔 (二)自「トラツク」至「ラバウル」〔 第三輸送隊|本職/四駆司令|第四駆逐隊、日枝丸|第三次輸送 〕
  20. ^ 戦史叢書58 1972, pp. 228–229第十七師団のラバウル進出
  21. ^ a b #S18.04第十四戦隊日誌(4) pp.14-15
  22. ^ a b 戦史叢書58 1972, p. 230第十七師団転進輸送の状況
  23. ^ #S18.10護衛対潜 p.7(昭和18年10月)〔 22|0348|粟田丸(7397tGF附)ハ沖縄西方140′ニテ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|(空欄)|沈没 17師団ノ一部東舩ニアリ 〕
  24. ^ #S18.04第十四戦隊日誌(4) p.17(軍隊区分)〔 部隊名:第二輸送隊|指揮官:本職|兵力:第十四戦隊、護国丸、清澄丸、十七駆(浦風磯風)|第二次輸送 〕〔 第三輸送隊| 四駆司令|四駆(野分、舞風、山雲)日威丸、神風丸、日枝丸|第三次輸送 〕
  25. ^ #S18.04第十四戦隊日誌(5) pp.25-26(作戦経過概要、11月3日~4日)
  26. ^ #S18.04第十四戦隊日誌(4) pp.25-26〔 (2)第三輸送隊 〕
  27. ^ #S18.04第十四戦隊日誌(5) p.10
  28. ^ #S18.04第十四戦隊日誌(5) p.19〔 七|日|一一〇〇 第三輸送PT着 〕〔 八|月|T四號輸送部隊改編 第十四戰隊、護國丸 清澄丸ヲ原隊ニ復皈 〕
  29. ^ #S18.04第十四戦隊日誌(4) pp.26-27
  30. ^ 戦史叢書58 1972, p. 244挿図第二十一 第十七師団展開状況要図(昭和十八年十月~十二月)
  31. ^ (issuu) SS-228, USS DRUM, Part 1. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-228_drum_part1 166/200
  32. ^ #二護1811 pp.26-27
  33. ^ #S18.11護衛対潜 p.6(昭和18年11月)〔 17| |日枝丸(11621t)ハ カビエン ノN260′ニテ(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|附/6F|沈没 乗員ハ名古屋丸ニ収容セラレタリ 〕
  34. ^ #S18.12護衛対潜 p.1
  35. ^ 昭和19年1月5日付 内令第54号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070198400 
  36. ^ 海軍辞令公報(部内限)第812号 昭和17年2月16日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072084200 
  37. ^ 海軍辞令公報(部内限)第1022号 昭和17年12月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088700 
  38. ^ 海軍辞令公報(部内限)第1194号 昭和18年8月18日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092500 
  39. ^ 海軍辞令公報(部内限)第1234号 昭和18年10月7日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093700 
  40. ^ 海軍辞令公報(部内限)第1351号 昭和19年3月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300 

参考文献

[編集]
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030052500『昭和18年4月1日~昭和18年11月15日 第14戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。 
    • Ref.C08030052600『昭和18年4月1日~昭和18年11月15日 第14戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。 
    • Ref.C08030101400『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。 
    • Ref.C08030142900『自昭和十八年十一月一日至昭和十八年十一月三十日 第二海上護衛隊司令部戦時日誌』。 
    • Ref.C16120658600『「昭和18年10月」、昭和16.12~昭和18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)』。 
    • Ref.C16120658700『「昭和18年11月」、昭和16.12~昭和18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)』。 
    • Ref.C16120658800『「昭和18年12月」、昭和16.12~昭和18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)』。 
  • 竹野弘之『豪華客船の悲劇』海文堂出版、2008年 ISBN 978-4-303-63446-9
  • 日本郵船戦時船史編纂委員会 『日本郵船戦時船史』上、日本郵船、1971年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南太平洋陸軍作戦<3> ムンダ・サラモア』 第40巻、朝雲新聞社、1970年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南太平洋陸軍作戦<4> フィンシハーヘン・ツルブ・タロキナ』 第58巻、朝雲新聞社、1972年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦<2> 昭和十七年六月以降』 第62巻、朝雲新聞社、1973年2月。 
  • 三菱重工業株式会社横浜製作所「第3話 貨客船「氷川丸」」『20話でつづる名船の生涯』三菱重工業株式会社横浜製作所総務勤労課、2013年8月。 

関連項目

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外部リンク

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