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恋のピンチ・ヒッター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「恋のピンチ・ヒッター」
ザ・フーシングル
B面 サークルズ(インスタント・パーティ)(UK)
ワルツ・フォー・ザ・ピッグ(UK ,US)
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 1966年2月 ロンドン オリンピック・スタジオ[2]
ジャンル ロック
時間
レーベル イギリスの旗リアクション・レコード
アメリカ合衆国の旗アトコ・レコード
作詞・作曲 ピート・タウンゼント
プロデュース ピート・タウンゼント
チャート最高順位
  • 5位(イギリス[3]
ザ・フー シングル 年表
マイ・ジェネレーション
(1965年)
恋のピンチ・ヒッター
(1966年)
リーガル・マター
(1966年)
ミュージックビデオ
「Substitute」 - YouTube
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恋のピンチ・ヒッター」(Substitute)は、イギリスロックバンドザ・フーの楽曲。1966年に4枚目のシングルとしてリリースされた(実質5枚目)。作詞、作曲とプロデュースはピート・タウンゼント。オリジナルアルバムには未収録。

解説

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前作までのプロデューサーだったシェル・タルミーと決別し、タウンゼント自らプロデュースした最初の作品である。全英2位を記録した「マイ・ジェネレーション」に続き、全英5位につけるヒットとなった。この曲はタウンゼントのデモ・テープから作った最初の作品であった[2]アコースティックギターが使用され、前作に比べキャッチーな曲調になっている。人種問題に敏感なアメリカでは、「俺は白人に見えるが俺の親父は黒人だ」という歌詞が「俺は前に進もうとしてるのに足が後に向かう」に変更されている[2]。この曲のリアル・ステレオ・バージョンは存在しない[4]

ザ・フーのコンサートでは常連曲となっており、『ライヴ・アット・リーズ』(1970年)や『ワイト島ライヴ1970』(1996年)、『フーズ・ラスト』(1984年)等、数々の公式ライブアルバムに収録されている。

この曲は、2022年ローリング・ストーン誌の「ザ・フーの史上最高の50曲」の11位に[5]2023年ペースト誌の「ザ・フーの史上最高の20曲」の13位に[6]、それぞれ選ばれている。また、ギターワールド誌が選ぶ「偉大なる12弦ギターソング」で、18位に選ばれている[7]

発売をめぐるトラブル

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本作をリリースする前の1966年1月、ザ・フーはタルミープロデュースの下、「サークルズ」と「インスタント・パーティ」をレコーディングするが、それから間もなく印税の取り分をめぐる対立から、バンドはタルミーとの契約を破棄した[8]。だが、本作のB面に収録された「サークルズ」(タルミーのもとで録音したものとは別のバージョン)が著作権侵害に当たるとして、タルミーは裁判所に本作の発売停止を訴えた[9]。ザ・フー側はこの動きを見越してB面曲を「インスタント・パーティ」(音源は「サークルズ」と同じ)と表記したバージョンもリリースしていたが無駄に終わった[9]

本作は発売5日で発禁処分となってしまうが、注文が殺到していた事、またこの発禁処分に抵抗する意味もこめて、タルミーを揶揄した「ワルツ・フォー・ザ・ピッグ」という曲をB面にしたバージョンをリリースした。この曲は当時ザ・フーと同じリアクション・レーベルに所属していたグレアム・ボンド・オーガニゼーションが演奏したものであり(名義は"The Who Orchestra"となっている)、ザ・フーのメンバーは一切関わっていない[注釈 1][10]。このため「恋のピンチ・ヒッター」は、3つのバージョンがリリースされたことになる。なお、「ワルツ・フォー・ザ・ピッグ」の作者クレジットには"Harry Butcher"なる人物の名が刻まれているが、これは当時グレアム・ボンド・オーガニゼーションのメンバーで、後にクリームのドラマーとなるジンジャー・ベイカーの変名である[11]

タルミーはさらに、本作の売上に対抗するために、アルバム『マイ・ジェネレーション』からバンド側に無許可でシングルをカットした。その第一弾が皮肉にも「リーガル・マター」(法的問題)であり、そのB面にタルミープロデュース・バージョンの「サークルズ」が、「インスタント・パーティ」のタイトルで収録された[10]。タルミーはその後も「キッズ・アー・オールライト」、「ラ・ラ・ラ・ライズ」と執拗にシングルをカットしたが、いずれもチャートの上位には届かなかった[12]

このように様々な問題に苛まれた「恋のピンチ・ヒッター」だが、それでもUKチャートの5位に入るヒットとなった。アメリカでもこの人気に乗じシングルリリースするが、こちらはチャートインしなかった[10]。なお、タルミーは本作のプロデュースに関しても自分が行ったと主張している[2]

脚注

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出典

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  1. ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、324-325頁。
  2. ^ a b c d 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、107頁。
  3. ^ WHO | Artist | Official Charts
  4. ^ ア・クイック・ワン』コレクターズ・エディション(2012年)付属の犬伏功による解説より
  5. ^ The Who's 50 Greatest Songs” (英語). www.rollingstone.com. 2024年5月29日閲覧。
  6. ^ The Who's 20 Greatest Songs of All Time” (英語). www.pastemagazine.com/. 2024年5月29日閲覧。
  7. ^ The greatest 12-string guitar songs of all time” (英語). www.guitarworld.com (2020年5月20日). 2021年12月26日閲覧。
  8. ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、106頁。
  9. ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、108頁。
  10. ^ a b c 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、109頁。
  11. ^ 5CDボックス『Maximum As&Bs』(2017年)付属のマーク・ブレイクの解説より。
  12. ^ レコード・コレクターズ増刊『ザ・フー アルティミット・ガイド』(2004年)125頁

注釈

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  1. ^ このため、「ワルツ・フォー・ザ・ピッグ」を収録したザ・フーの公式作品は非常に少なく、日本独自の編集版『エキサイティング・ザ・フ―』(1967年)と、ザ・フーの全シングルを網羅したCD5枚組ボックス『Maximum As&Bs』(2017年)にのみ収録されている。

外部リンク

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