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ブライアン・ハータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブライアン・ハータ
Bryan Herta
インディアナポリス500でのハータ (2004年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1970-05-23) 1970年5月23日(54歳)
出身地 ブライアン・ジョン・ハータ
Bryan John Herta
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州ウォーレン
親族 コルトン・ハータ(息子)
基本情報
インディ・レーシング・リーグ/インディカー・シリーズでの経歴
所属 アンドレッティ・グリーン・レーシング
活動時期 2003-2006
出走回数 58
優勝回数 2
ポールポジション 3
シリーズ最高順位 8位 (2005)
基本情報
CARTでの経歴
所属 A.J.フォイト・エンタープレイゼス英語版
チップ・ガナッシ・レーシング
チーム・レイホール
ウォーカー・レーシング英語版
モー・ナン・レーシング英語版
ザクスピードフォーサイス・レーシング
PK・レーシング
活動時期 1994-2001,2003
出走回数 121
優勝回数 2
ポールポジション 7
シリーズ最高順位 8位 (1996 & 1998)

ブライアン・ジョン・ハータBryan John Herta, 1970年5月23日 - )は、アメリカ合衆国レーシングドライバーミシガン州ウォーレン出身。自身のチーム、ブライアン・ハータ・オートスポートを率いてインディ・ライツに参戦している。

経歴

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CART

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ハータは当初下位のカテゴリーに参加し、バーバー・フォーミュラ・フォードやバーバー・サーブ・シリーズなどで成功を収める。1993年にはタスマン・モータースポーツからインディ・ライツに参戦、シリーズチャンピオンとなった。

1994年A.J.フォイト・エンタープライズ英語版からインディカー・ワールドシリーズ(CART)に参戦。何度か好成績を収めたものの、シーズン後半のトロント戦で負傷した。

1995年にはチップ・ガナッシ・レーシングから参戦する。第3戦フェニックスポールポジションを獲得したものの、それ以外に目立った成績を収められず、チームメイトのジミー・バッサーはシリーズ8位となったが、ハータは20位と振るわぬ成績であった。翌1996年、ハータはチーム・レイホールへ移籍した。

続く数年間でハータはロードコースでのパフォーマンスを評価されるようになり、特にラグナ・セカでの評価が高まった。ラグナ・セカでは予選順位でセカンドロー以下になることは滅多になく、1998年英語版1999年英語版に優勝している。1996年は最終ラップ開始時にラップリーダーに立っていたが、名物区間「コークスクリュー」でアレックス・ザナルディオーバーテイクを許して初優勝を目前で逃している。ハータはのキャリアにおける絶頂時、チームオーナーのデイヴィッド・レターマンは彼のファンを「ハータマニア(: Hertamania)」と呼んだ。

2001年、ハータのドライブするフォーサイス・レーシングの77号車

1998年の第14戦ロード・アメリカのオープニングラップで、ハータは北米モータースポーツ史上最も恐るべき事故の一つに捲き込まれた。4マイルのロードコースの5番目のターンで、ハータはチームメイトでありオーナーでもあるレイホール車の後部に接近しすぎてスピンし、ランオフエリアに飛び出したところ、数秒後に後続のアレックス・バロン車がコースアウトしハータの車に正面から乗り上げた。ESPNのカメラはハータのヘルメットをクローズアップし、拳を握りしめた瞬間バロンの車が乗り上げるところを撮影している。しかしながら両名とも大きな負傷もなく、ハータはバロンの車が実際には顔から数インチのところに乗り上げたと報告した。

2000年から2003年まで、ハータはフォーサイス・レーシングモー・ナン・レーシングPKレーシングといった様々なチームでドライブした。しかしながら、90年代後半のパフォーマンスを取り戻すことはできなかった。2002年、ミナルディの「サンダー・イン・ザ・パーク」イベントがドニントン・パークで行われ、彼は初めてF1カーをドライブした。このことによりハータがミナルディからF1に参戦するのではと取りざたされたが、実現することはなかった。

IRL インディカー

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スポーツカーに短期間参戦した後、彼は2003年途中に負傷したダリオ・フランキッティの代役としてIRLに参戦、オープンホイール・レースに復帰した。

アンドレッティ・グリーン・レーシングから参戦したハータは、IRLにおける3度目のレースであるカンザス戦で初の優勝を遂げた。2004年にはアンドレッティ・グリーン・レーシングの4号車をドライブ、エンジン開発を担当した。2005年7月31日、ミシガン戦で2度目の優勝を遂げる。チームメイトのダン・ウェルドンを破っての僅差での優勝であった。

2006年始め、IRLのシーズン前にラグナ・セカおよびファンディドラ・パークでA1チームUSAからA1グランプリに出場した。

2006年までハータはインディ500に5回 (1994-1995, 2004-2006) 出場しており、3度トップ10でフィニッシュしている。最高位は2005年の3位であった。ハータのヘルメットは AliveDesignCo.com による塗装が施されている。

スポーツカー

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2006年10月31日、ハータは2007年のアメリカン・ル・マン・シリーズに参戦するアンドレッティ・グリーン・レーシングの新たなアキュラ「ル・マン」プロトタイプ開発プログラムドライバーとして採用された。彼はダリオ・フランキッティの弟、マリーノ・フランキッティと共に開発を担当した。2007年1月3日、ダリオ・フランキッティがマリーノ、ハータと共に開発車をドライブすると発表された。ハータは1度のクラス優勝を遂げ、シーズンを7位で終了した。彼はまた、A1チームUSAでA1GPマシンをドライブし、オーストラリア戦では10位でフィニッシュした。

現役引退後

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レースから引退して以来、ハータはヴィジョン・レーシング英語版のドライバーコーチとなり、自らのチーム、ブライアン・ハータ・オートスポート英語版を結成してインディ・ライツに参戦している。チームは、ヴィジョン・レーシングのインディ・ライツチームと技術提携している。2009年には、ダニエル・ヘリントンを擁してフルタイム参戦した。また、現在では息子のコルトン・ハータのストラテジストを務めている。

2011年、現役時代にアンドレッティ・グリーン・レーシングのチームメイトだったダン・ウェルドンをドライバーに、ブライアン・ハータ・オートスポート・ウィズ・カーブ/アガジェニアンチームとしてインディ500にスポット参戦し、見事インディ500優勝を飾った。ドライバー、オーナー・監督を通して、ハータ自身初のインディ500優勝だった。

2012年からはインディカー・シリーズにフル参戦し、ドライバーはアレックス・タグリアーニを起用する。

レース戦績

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アメリカン・オープン・ホイール

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インディ・ライツ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ランク ポイント
1992年 ランド・フォード・レーシング PHX
16
LBH
13
DET
7
POR
7
MIL
6
NHA
4
TOR
1
CLE
2
VAN
5
MDO
4
NAZ
3
LS
2
5位 120
1993年 タスマン・モータースポーツ PHX
2
LBH
3
MIL
1
DET
2
POR
4
CLE
1
TOR
1
NHA
13
VAN
1
MDO
1
NAZ
1
LS
1
1位 213

CART

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 ランク ポイント
1994年 A.J.フォイト・エンタープライゼス ローラ・T94/00 フォ-ド XB V8t SRF PHX LBH INDY
9
MIL
10
DET
9
POR
27
CLE
13
TOR
DNS
MIS MDO NHM VAN ROA NZR LS 23位 11
1995年 チップ・ガナッシ・レーシング レイナード・95i MIA
10
SRF
15
PHX
20
LBH
26
NZR
23
INDY
13
MIL
24
DET
27
POR
26
ROA
14
TOR
27
CLE
2
MIS
15
MDO
5
NHA
19
VAN
16
LS
25
20位 30
1996年 チーム・レイホール レイナード・96i メルセデス・ベンツ IC108C V8t MIA
10
RIO
13
SRF
17
LBH
12
NZR
11
500
15
MIL
14
DET
13
POR
26
CLE
5
TOR
6
MIS
2
MDO
4
ROA
5
VAN
6
LS
2
8位 86
1997年 レイナード・97i フォ-ド XB V8t MIA
10
SRF
22
LBH
6
NZR
7
RIO
6
STL
22
MIL
15
DET
7
POR
21
CLE
3
TOR
17
MIS
5
MDO
24
ROA
11
VAN
8
LS
6
FON
21
11位 72
1998年 レイナード・98i MIA
8
MOT
28
LBH
3
NZR
8
RIO
4
STL
23
MIL
11
DET
21
POR
3
CLE
13
TOR
5
MIS
10
MDO
25
ROA
23
VAN
22
LS
1*
HOU
8
SRF
10
FON
15
8位 97
1999年 レイナード・99i MIA
12
MOT
23
LBH
3
NZR
22
RIO
13
STL
23
MIL
25
POR
6
CLE
6
ROA
15
TOR
15
MIS
20
DET
9
MDO
21
CHI
8
VAN
24
LS
1*
HOU
5
SRF
4
FON
14
12位 84
2000年 ウォーカー・レーシング レイナード・2Ki ホンダ HR-0 V8t MIA LBH
5
RIO
20
MOT NZR MIL DET 18位 26
モー・ナン・レーシング メルセデス・ベンツ IC108F V8t POR
16
CLE
9
TOR
18
MIS CHI MDO ROA VAN
フォーサイス・チャンピオンシップ・レーシング フォ-ド XB V8t LS
4
STL HOU SRF FON
2001年 ザクスピードフォーサイス・チャンピオンシップ・レーシング レイナード・01i MTY
16
LBH
10
TXS
NH
NZR
21
MOT
21
MIL
22
DET
15
POR
14
CLE
3
TOR
18
22位 28
フォーサイス・チャンピオンシップ・レーシング MIS
5
CHI
21
MDO
25
ROA
24
VAN
17
LAU
27
ROC
15
HOU
13
LS
12
SRF
18
FON
25
2003年 PK・レーシング ローラ・B02/00 フォ-ド XFE V8t STP MTY LBH BRH LAU MIL LS
11
POR CLE TOR VAN ROA MDO MTL DEN MIA MXC SRF 25位 2

インディカー・シリーズ

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チーム シャシー No. エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ランク ポイント
2003年 アンドレッティ・グリーン・レーシング ダラーラ・IR-03 27 ホンダ HI3R V8 HMS PHX MOT INDY
Inj
TXS
5
PPIR RIR
14
KAN
1
NSH
12
MIS
19
STL
21
KTY
3
NZR
3
CHI
3
FON
22
TX2
5
13位 277
2004年 ダラーラ・IR-04 7 ホンダ HI4R V8 HMS
13
PHX
7
MOT
14
INDY
4
TXS
19
RIR
4
KAN
5
NSH
18
MIL
9
MIS
6
KTY
9
PPIR
9
NZR
8
CHI
2
FON
17
TX2
16
9位 362
2005年 ダラーラ・IR-05 ホンダ HI5R V8 HMS
14
PHX
7
STP
4
MOT
5
INDY
3
TXS
10
RIR
8
KAN
15
NSH
22
MIL
6
MIS
1
KTY
19
PPIR
12
SNM
13
CHI
14
WGL
8
FON
11
8位 397
2006年 ホンダ HI6R V8 HMS
13
STP
4
MOT
6
INDY
20
WGL
13
TXS
11
RIR
6
KAN
13
NSH
11
MIL
7
MIS
11
KTY
10
SNM
10
CHI
15
11位 289

インディアナポリス500

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シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
1994年 ローラ・T94/00 フォード XB V8t 22 9 A.J.フォイト・エンタープライゼス
1995年 レイナード・95i 33 13 チップ・ガナッシ・レーシング
2003年 ダラーラ・IR-03 ホンダ HI3R V8 負傷欠場 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2004年 ダラーラ・IR-04 ホンダ HI4R V8 23 4
2005年 ダラーラ・IR-05 ホンダ HI5R V8 18 3
2006年 ホンダ HI6R V8 16 20

アメリカン・ル・マン・シリーズ

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エントラント クラス シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ランク ポイント
2002年 パノス・モーター・スポーツ LMP900 パノス・LMP01 Evo エラン 6L8 6.0L V8 M SEB
ovr:8
cls:7
SON
ovr:3
cls:3
MID
ovr:4
cls:4
AME
ovr:Ret
cls:Ret
WAS
ovr:6
cls:6
TRO
ovr:4
cls:4
MOS
ovr:5
cls:5
MON
ovr:6
cls:6
MIA
ovr:11
cls:8
PET
ovr:5
cls:5
10位 153
2003年 チーム・ナサマックス レイナード・01Q コスワース XDE 2.6L Turbo V8
バイオ=エタノール
G SEB
ovr:Ret
cls:Ret
ATL SON TRO MOS AME MON MIA PET NC 0
2007年 アンドレッティ・グリーン・レーシング LMP2 アキュラ・ARX-01a アキュラ 3.4L V8 M SEB
ovr:2
cls:1
STP
ovr:21
cls:7
LNB
ovr:6
cls:6
TEX
ovr:2
cls:2
UTA
ovr:Ret
cls:Ret
LIM
ovr:7
cls:6
MID
ovr:10
cls:7
AME
ovr:9
cls:7
MOS
ovr:5
cls:3
DET
ovr:19
cls:8
PET
ovr:Ret
cls:Ret
MON
ovr:6
cls:4
13位 98
2008年 アキュラ・ARX-01b M SEB
ovr:18
cls:6
STP
ovr:6
cls:5
LNB
ovr:6
cls:4
UTA
ovr:8
cls:7
LIM MID AME MOS DET PET MON 24位 38

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
2002年 アメリカ合衆国の旗 パノス・モーター・スポーツ オーストラリアの旗 デビッド・ブラバム
デンマークの旗 ヤン・マグヌッセン
パノス・LMP01 Evo LMP900 90 DNF DNF

A1グランプリ

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エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 DC ポイント
2005-06年 USA GBR
FEA
GBR
SPR
GER
FEA
GER
SPR
POR
FEA
POR
SPR
AUS
FEA

15
AUS
SPR

10
MYS
FEA

10
MYS
SPR

7
UAE
FEA
UAE
SPR
RSA
FEA
RSA
SPR
IDN
FEA
IDN
SPR
MEX
FEA

6
MEX
SPR

13
USA
FEA

9
USA
SPR

Ret
CHN
FEA
CHN
SPR
16位 23

外部リンク

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タイトル
先代
ロブ・ウィルソン
バーバー・サーブ・プロ・シリーズ・チャンピオン
1991
次代
ロバート・アムレン
先代
ロビー・ブール
インディ・ライツ・チャンピオン
1993
次代
スティーブ・ロバートソン