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コマツヒカリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コマツヒカリ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1956年2月28日
死没 不明
トサミドリ
イサベリーン
生国 日本の旗 日本青森県七戸町
生産者 盛田牧場
馬主 小松重雄
調教師 大久保房松中山
競走成績
生涯成績 35戦6勝
獲得賞金 990万6275円
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コマツヒカリ日本競走馬。第26回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。第24回の勝馬ヒカルメイジの異父弟であり東京優駿は兄弟制覇となる。

経歴

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デビュー戦から東京優駿までに10戦3勝、重賞は未勝利だったがトライアル競走NHK杯を3着と好走しており、3番人気で東京優駿に出走した。1番人気は皐月賞優勝馬でNHK杯も制していたウイルデイールだったが、競走数日前より雨が降り続き、当日は同馬が苦手とする不良馬場となっていた。

逆にコマツヒカリは、騎乗する古山良司が「雨が降ったら勝つ」と宣言していたほどの重馬場巧者であり、古山は後に「夢のようだった。内心で小躍りしながら『もっと降れ、もっと降れ』と叫んでいた」と述懐している[1]。レースでも重馬場に苦労するウイルデイールを尻目に第3コーナーで中団から進出、直線入り口から他馬が避ける荒れた馬場内側を付いて鋭く伸び、カネチカラに2馬身半の差をつけ優勝。史上2組目の兄弟ダービー馬となり、古山もダービー初勝利を果たした。

その後は菊花賞ハククラマの6着、有馬記念ガーネツトの5着となかなか勝てなかったが、東京優駿からほぼ1年後の東京杯をレコードで制覇し、2つ目の重賞タイトルを獲得する。その年の有馬記念でスターロツチの3着に敗れ翌年の金杯7着を最後に現役を退いた。

引退後は種牡馬となったが産駒京都4歳特別に優勝したメイセイヒカリ程度で1973年に種牡馬を引退している。

血統表

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コマツヒカリ血統ブランドフォード系 / Dark Ronald4×5=9.38%・母内) (血統表の出典)

トサミドリ 1946
鹿毛 日本
父の父
*プリメロ
Primero 1931
鹿毛 イギリス
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
父の母
*フリッパンシー
Flippancy 1912
鹿毛 イギリス
Flamboyant Tracery
Simonath
Slip Robert le Diable
Snip

*イサベリーン
Isabelline
1944 黒鹿毛
Canon Law 1930
鹿毛 イギリス
Colorado Phalaris
Canyon
Book Law Buchan
Popingaol
母の母
Legal Tender 1928
鹿毛 イギリス
Son-in-Law Dark Ronald
Mother-in-Law
Beloved Beppo
Silesia F-No.10-a


脚注

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  1. ^ 『書斎の競馬』第12号(飛鳥新社、2000年)113頁。

外部リンク

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