コマツヒカリ
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コマツヒカリ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1956年2月28日 |
死没 | 不明 |
父 | トサミドリ |
母 | イサベリーン |
生国 | 日本(青森県七戸町) |
生産者 | 盛田牧場 |
馬主 | 小松重雄 |
調教師 | 大久保房松(中山) |
競走成績 | |
生涯成績 | 35戦6勝 |
獲得賞金 | 990万6275円 |
コマツヒカリは日本の競走馬。第26回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。第24回の勝馬ヒカルメイジの異父弟であり東京優駿は兄弟制覇となる。
経歴
[編集]デビュー戦から東京優駿までに10戦3勝、重賞は未勝利だったがトライアル競走のNHK杯を3着と好走しており、3番人気で東京優駿に出走した。1番人気は皐月賞優勝馬でNHK杯も制していたウイルデイールだったが、競走数日前より雨が降り続き、当日は同馬が苦手とする不良馬場となっていた。
逆にコマツヒカリは、騎乗する古山良司が「雨が降ったら勝つ」と宣言していたほどの重馬場巧者であり、古山は後に「夢のようだった。内心で小躍りしながら『もっと降れ、もっと降れ』と叫んでいた」と述懐している[1]。レースでも重馬場に苦労するウイルデイールを尻目に第3コーナーで中団から進出、直線入り口から他馬が避ける荒れた馬場内側を付いて鋭く伸び、カネチカラに2馬身半の差をつけ優勝。史上2組目の兄弟ダービー馬となり、古山もダービー初勝利を果たした。
その後は菊花賞でハククラマの6着、有馬記念はガーネツトの5着となかなか勝てなかったが、東京優駿からほぼ1年後の東京杯をレコードで制覇し、2つ目の重賞タイトルを獲得する。その年の有馬記念でスターロツチの3着に敗れ翌年の金杯7着を最後に現役を退いた。
引退後は種牡馬となったが産駒は京都4歳特別に優勝したメイセイヒカリ程度で1973年に種牡馬を引退している。
血統表
[編集]コマツヒカリの血統(ブランドフォード系 / Dark Ronald4×5=9.38%・母内) | (血統表の出典) | |||
父 トサミドリ 1946 鹿毛 日本 |
父の父 *プリメロPrimero 1931 鹿毛 イギリス |
Blandford | Swynford | |
Blanche | ||||
Athasi | Farasi | |||
Athgreany | ||||
父の母 *フリッパンシーFlippancy 1912 鹿毛 イギリス |
Flamboyant | Tracery | ||
Simonath | ||||
Slip | Robert le Diable | |||
Snip | ||||
母 *イサベリーン Isabelline 1944 黒鹿毛 |
Canon Law 1930 鹿毛 イギリス |
Colorado | Phalaris | |
Canyon | ||||
Book Law | Buchan | |||
Popingaol | ||||
母の母 Legal Tender 1928鹿毛 イギリス |
Son-in-Law | Dark Ronald | ||
Mother-in-Law | ||||
Beloved | Beppo | |||
Silesia F-No.10-a |
脚注
[編集]- ^ 『書斎の競馬』第12号(飛鳥新社、2000年)113頁。