NORMA JEAN (日本のバンド)

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NORMA JEAN
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
ロック
活動期間 1986年 - 1994年
2006年
レーベル BMGビクター
(1990年 - 1994年)
メンバー ダイナマイトMARI(ボーカル)
くり坊(キーボード)
山田ROGER(ベース)
粟野ERI(ギター)
沼倉ユウキ(ドラムス)
旧メンバー TOKIE(ベース)
MOTOKO MIZUTANI(ギター)

NORMA JEAN(ノーマ・ジーン)は、主に1990年代前期に活躍していた日本ガールズバンド。バンド名はマリリン・モンローの本名に因んでいる。いわゆるイカ天出身バンドの一つである。

アメリカメタルコアバンド、ノーマ・ジーンとは別のバンドである。

来歴[編集]

イカ天出場時代[編集]

1989年8月5日に『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場し、「NO PAINS NO GAINS」を演奏した。その結果、当時イカ天キングだった宮尾すすむと日本の社長(楽曲は「夏はあきらめた」)に審査員投票にて4対3で勝利し、11代目イカ天キングとなる。この週のみ、ベースTOKIEが担当していたが、翌週を待たずに脱退する[1]。この週には、プリンセス プリンセスからファクシミリが届いている。

2週目に急きょ山田ROGERがベーシストで加入[2]。NORMA JEANとはそれまでのライブでセッションをしたことがある関係であり、当時山田は海外にいたが国際電話で依頼されて承諾した[3]。落ち着いた曲ながら小刻みなリズムが特徴の「YOU CAN CRY FOR ME」で、「Let's Go³」を演奏したGROUND NUTSを、3週目には本人曰く「大人しめの」バラード「Just Take My Hand」で、「シェイキング・スター」を演奏したスラッシュメタルバンド鬼松 & BEES KNEES、4週目にはアクションドラマのテーマ曲を思わせる「Matter Of The Time」で「BODY SONIC SYNDROME」を演奏したBEに勝利した。大勝したGROUND NUTSとの対決を除いて、票決は全て4対3であり、接戦となることが多かった。また、ボーカルが風邪をひき、声に変調をきたすなど、数度にわたるアクシデントにも見舞われた。スタジオでは終始フレンドリーなトークが展開されたが、ボーカルが風邪をひいた週には三宅に釘を刺される一幕もあった。

4週連続で勝利し、2代目グランドイカ天キング獲得に王手をかけたが、9月2日の対決にて登場した挑戦者のBEGINに、審査員投票にて6対1の大差で敗北し、グランドイカ天キングは獲得できなかった。演奏直前には、賞金の使い道や賞品の楽器の話などの明るいトークを展開し、ライブさながらに曲名をコールし、これまでのナンバーとは毛色の異なる明るくダンサブルな「腰神さま」で対抗したが、BEGINの「恋しくて」はその上を行っており、演奏前のパフォーマンスも軽快なサウンドも余韻を打ち消すには至らなかった。イカ天キングの4週目での敗北は、NORMA JEANが最初に勝利した宮尾すすむと日本の社長など数例があったが、グランドイカ天キング獲得のかかった5週目での敗北は初めてであった。なお、いかすバンド天国での名言の一つでもあるラッシャー木村の「耐えて燃えろ!」は、このNORMA JEANの敗北がきっかけといわれている。

その後、1990年1月1日の『輝く!日本イカ天大賞』に出場した。なお、イカ天本編出場時とこの時の間にメンバー変更があり、ギターが粟野ERI、ドラマーが沼倉ユウキに交替している。初代ギタリストの水谷基子はNOKKOとSHORT HAIRSを結成し、1曲をリリースしている。

メジャー・デビュー後[編集]

1990年4月25日にBMGビクター(現:BMG JAPAN)からシングル『GET A CHANCE!!』でメジャー・デビュー。オリコンのチャートで最高9位を記録し、『夜のヒットスタジオSUPER』などにも出演する活躍ぶりを見せた。その後、バンドとしての活動はメンバーの結婚などもあり、1994年頃に休止している。

2006年7月22日、四谷フォーバレー移転に伴うイベント出演のため、一日限定で再結成。メンバーはダイナマイトMARI、くり坊、沼倉ユウキ。ギターとベースはサポートとなった(山田ROGERは都合により不参加、粟野ERIは不詳)[2]

2023年の時点でもメンバーは全員現役でミュージシャンとして活動しており、MARIは取材に対し「再結成、可能性は0%ではないけど…」といったコメントをしている[3]

メンバー[編集]

メジャーデビュー時のメンバー

ダイナマイトMARI(ボーカル、9月23日 - )
もとは女子プロレスラー志望で、この名前は大好きだったダイナマイト・キッドから独自で付けたリングネームとのこと[3]。その後『ナーバスヴィーナス』というバンドのメンバーを経て、LUCY(ルーシー)と改名(由来は海外ドラマルーシー・ショー』から)、LUC-Y meets misanthrope elevatorというバンドで活動。
くり坊(キーボード
山田ROGER(ベース、1970年10月26日 - )
ROGERの由来は同じベーシストのロジャー・グローヴァーから[3]。後に本名の山田直子として、「SPEAK」で活動。その他、長井ちえ(元・千年コメッツ)・角田美喜SHOW-YA)との女性3ピースバンド「e-ha?(エハ)」など、多数のバンドに参加。またベース講師も勤め、教則ビデオもリリース。
粟野ERI(ギター)
沼倉ユウキ(ドラム)

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  • GET A CHANCE!!(1990年4月25日発売、C/W『あの頃の“君”と“僕”へ』 オリコン最高9位)
    • 1989年8月5日のいかすバンド天国出場時に演奏していた曲である。この曲で宮尾すすむと日本の社長を倒した。当時のタイトルは『NO PAINS NO GAINS』。
  • バカンス(1990年7月21日発売、C/W『TOMORROW』 同21位)
  • TOMORROW(1990年11月7日発売、C/W『くもりのち晴れ』 同47位)
  • TOP SECRET(1991年2月6日発売、C/W『恋をしようよ』)
  • シャボンと彼女(1992年1月21日発売、C/W『C'MON BIRD』)

アルバム[編集]

  • FREE MARKET(1990年9月21日発売)
    • 収録曲:HELLO!Everybody/アドバイス/バカンス/あの頃の“君”と“僕”へ/CENTERFOLD/リフレインのあとに/GET A CHANCE!!/TOMORROW/TOP SECRET/I FEEL GOOD/風をうけて
  • C'MON BIRD(1992年1月21日発売)
    • 収録曲:月影蝶々/DAY'S IN LOVERS/シャボンと彼女/とんだ影ふみ/LET'S MAKE A MEMORY/今日も楽しく大陸人/DAY AND NIGHT AND NIGHT/TO THE MOON/90's Gun/フラッシュ・バックのBaby Blues

タイアップ一覧[編集]

使用年 曲名 タイアップ
1990年 GET A CHANCE!! カネボウ食品「Call」CMソング
TOMORROW テレビ朝日系『ワールドトップ4バレー』オープニングテーマ
くもりのち晴れ テレビ朝日系『ワールドトップ4バレー』エンディングテーマ
1991年 TOP SECRET フジテレビ系『ビデオの女王様』エンディングテーマ

出典[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]