BLANKEY JET CITY

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BLANKEY JET CITY
出身地 日本の旗 日本愛知県
ジャンル
活動期間 1987年 - 2000年
レーベル
共同作業者 土屋昌巳プロデューサー
公式サイト BLANKEY JET CITY OFFICIAL WEB
旧メンバー

BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)は、日本の3人組ロックバンド

1987年2月に結成、2000年に解散。略称はBJCブランキー

メンバー[編集]

ほぼ全ての楽曲において作詞・作曲。

来歴[編集]

1980年代

名古屋で浅井、照井がスキャッツというバンドで活動。その後浅井が上京し、友人である中村と活動を共にする。しばらくして中村が所属していたF.O.A.Dのツアーに運転手として雇われていた浅井が照井と名古屋で再会。それがきっかけで照井も上京。

1987年
  • 2月 - 浅井・照井がバンドとして活動を開始する際に、中村が加わり「THE BLANKEY JET CITY」を結成。結成当初は他のドラマーがおり、中村はバンドのマネージャーをしていたが浅井、照井、中村の3人でセッションして手応えを感じたことからその後中村はドラマーとして正式にメンバーに加入。「ブランキー・ジェット・シティ」というバンド名はボーカルの浅井健一曰く[要出典]「空虚な街」「不良たちが集まる架空の都市」、「ブランキー市長の都市(ジェットシティ)」ということである。
1990年
  • 8月4日 - 中村達也の提案で「イカ天」に出演[2]。これが彼らのテレビ初出演となった。1週目に「CAT WAS DEAD」を演奏、COLLAGEを下し、25代目イカ天キングとなった。2週目には、「MOTHER」を演奏。この週は有機生命体を5-2で下し、イカ天キングを保持した。そして3週目は、「不良少年のうた」を演奏し、So What!に7-0で勝利。4週目は、「僕の心を取り戻すために」を演奏し、審査員に好評だったウェザーコックスに7-0で勝利。そして最後の5週目は、「狂った朝日」を演奏、CHICK BEに勝利、5週連続勝ち抜きを果たし、第6代グランドイカ天キングを獲得し東芝EMIと契約。デビュー前に山本耀司パリコレのモデルやウォークマンのCMに出演。
1991年
  • 4月 - ロンドンでレコーディングされたデビュー・アルバム『Red Guitar And The Truth』を東芝EMIからリリース。オリコン初登場8位と好セールスを記録したが、プロデューサーであったJEREMY GREENとの意見が合わず、不満の残る仕上がりとなった[3]。当初プロデュースはビル・プライスを予定していたが条件が合わず、プライスのアシスタントだったJEREMY GREENが担当した。
  • 6月 - 神宮プールで行われた「東京コレクション」に登場。デニス・ホッパーと同じステージに立つ。
1992年
  • 1月 - 2ndアルバム『Bang!』をリリース。同アルバムから土屋昌巳がプロデュースを担当。「RAIN DOG」「SOON CRAZY」「ディズニーランドへ」など解散まで主要レパートリーとして取り上げる代表曲を多数収録し、オリコン初登場7位を記録する。
  • 2月 - ミュージックステーション初出演を果たし、「とにかく全ての人たちに自分たちの曲を聴いて欲しい」というメッセージと共に「冬のセーター」を演奏した。ちなみに浅井はタモリと一言も会話を交わさなかった。この時制作されたバンドロゴのセットはその後のライブでも使用された。
  • 9月 - ライブ・アルバム『Live!!!』をリリース。同年5月4日の渋谷公会堂でのライブを収録。CDには収録されなかったがアンコールにてPUNKY BAD HIPの原曲となる「たちの悪い友達」を披露する。
  • 11月 - 初期の代表曲「悪いひとたち」をシングルとしてリリース。歌詞に「麻薬」という言葉が入っているため東芝EMIからはリリースされず、バンド自身の事務所であった「東京ピストル」からリリースされた。後に3rdアルバム『C.B.Jim』に収録されたものとは別バージョンであり、ストリングスが後半部分にダビングされていない。
1993年
  • 2月 - 3rdアルバム『C.B.Jim』をリリース。
  • 12月 - ミニ・アルバム『Metal Moon』をリリース。
1994年
  • 5月 - 4thアルバム『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』をリリース。この頃にバンド名から定冠詞「THE」が抜け「BLANKEY JET CITY」と名乗るようになる。制作は土屋昌巳と当時ディレクターであった井ノ口弘彦の主導で行われ、それまでのBJCにはなかったジャズ的なフレーズやパターンが多用された。デビューから3年間でアルバムを5枚リリースしているが、これは当時のスタッフの意向[要出典]としてシングルの矢継ぎ早なリリースを避けたためである。
  • 12月 - 初の日本武道館ライブを行う。
1995年
  • 3月 - ベスト・アルバム『The Six』をリリース。これにはデビュー・アルバム『Red Guitar And The Truth』から新録された4曲(唯一、「不良少年のうた」は「Rude Boy」という曲名に変わっている)、更に「悪いひとたち」の完全バージョンが収録されている。このバージョンは『C.B.Jim』に収録されたバージョンの完全版である(ストリングスが導入され、「麻薬」という単語がカットされていない)。
  • 6月 - イングランドにて初の海外ライヴを行う。結成当初より個性の強い3人が激しくぶつかり合う音楽性のため、解散の話は絶えず出てきたが、このロンドンツアーにて一度解散を決意。5thアルバム『SKUNK』完成後、同年8月に行われる代々木公園でのライブを最後にする予定[要出典]であった。
  • 8月 - 代々木公園野外ステージにて「Are You Happy?」と題されたフリーライヴを敢行。13000人もの動員を記録した。この時のライブの出来がメンバー3人にとって会心の出来だったため、解散の予定が消滅する[要出典]
  • 11月 - 5thアルバム『SKUNK』をリリース。前作のオーバープロデュースの反動から、途中からほぼバンド自身のセルフプロデュースとなり、本作を最後に、土屋昌巳のプロデュースから離れる。ロンドンでのレコーディング風景は「ARE YOU HAPPY?」に収録。
1996年
  • メンバーそれぞれがソロプロジェクトを始動させる。浅井は「SHERBET(後にSHERBETSとなる)」、照井は「Joe Brown」、中村は「LOVE SHOP LOSALIOS(後にLOSALIOSとなる)」として活動。
1997年
  • 初のセルフプロデュースとなる6thアルバム「Love Flash Fever」をポリドールよりリリース。
1998年
  • 1月 - 東芝EMI在籍時楽曲を集めたベスト・アルバム「国境線上の蟻」リリース。
  • 6月 - 7thアルバム「ロメオの心臓」をリリース。本作は発売から1週間で30万枚以上のセールスを記録する。浅井と照井がレディオヘッド等のバンドに影響され打ち込みを導入したことが、それまでの鉄壁の3人の絆が崩れるきっかけになったのではとの見方もある[誰?]。ヒットシングル「赤いタンバリン」は元々収録する予定はなかったが、レコード会社の意向[要出典]により収録された。
1999年
  • 再びソロ活動期間に入る。
2000年
  • 沖縄、ロンドンの2箇所でレコーディングを開始。
  • 5月10日 - 8thアルバム『Harlem Jets』完成。発売前の朝日新聞広告上において「最高のアルバムが出来たのでおれたちは解散します」と、突然の解散宣言。アルバムは自己最高となるオリコン初登場2位を記録。
  • 7月5日 - ラストシングル 「SATURDAY NIGHT」をリリース。
  • 7月8日・9日 - 横浜アリーナにてバンドのラスト・ライブ「Last Dance」を敢行。
  • 7月28日 - フジロックフェスティバルのグリーンステージにてメインアクトを務め、これが実質最後のライブとなった。
  • 9月 - ラスト・ライブの模様を収録したCD・LP・VHS・DVD(いずれも題名は「Last Dance」)をリリース。
  • 10月 - バンドの全曲から選出され、前期と後期に分けてそれぞれ収録したベスト『Blankey Jet City 1991-1995』、『Blankey Jet City 1997-2000』をリリース。
2003年
  • HMVによるTop 100 Japanese pops ArtistsのNo.73に選ばれる[4]
2008年
  • 過去のアルバム作品をSHM-CD&紙ジャケット仕様で再発。
  • 未発表曲・未音源化楽曲をまとめたアルバムのリリースが発表された。
2012年
  • ラストツアーへ密着した映像に再編集を施した劇場版『VANISHING POINT』の公開を発表。
2013年
  • 1月26日、全国期間限定で『VANISHING POINT』公開。1月30日、DVD・Blu-ray『VANISHING POINT』リリース。『VANISHING POINT』公開を記念して、解散までに発表してきたシングル曲をコンプリートした『COMPLETE SINGLE COLLECTION SINGLES』を3月27日に発売。同時に、"BJCキャンペーン"と題し、過去のアルバム作品をSHM-CDにて、過去のDVD作品を廉価版にて再発。

概要[編集]

バンド名[編集]

自分たちで作った物語が由来。あらすじの概略は、「かつて黒人解放運動を行っていたブランキーという男がいた。ブランキーは、その後年をとった時にひとりぼっちになってしまった。ひとりで、あてもなく旅をして辿り着いたのが、ジェットシティというごきげんな街。この街をえらく気に入ったブランキーは、その街の市長になった。」[要出典]

デビュー当時から1994年初期までは、「THE BLANKEY JET CITY」であった。サインを書く際に面倒であるため[要出典]THEが抜けた。

メンバーの関係[編集]

浅井と中村は、中村の所属するバンドを浅井が観客として観に行く形で出会い、浅井と照井は名古屋のディスコで出会った。初期から中期にかけては浅井と照井がセッションを行って作曲を進めていくことが多かったため、まれに意見が対立する場合もあったという[要出典]が、その間で中村達也がバランスをとっていた。解散後は、2002年に照井が所属してたROSSOと中村のLOSALIOSが3バンド合同ツアー「WEEKEND LOVER」を行い、共演を果たしている。浅井と照井はサーフィンをきっかけにPONTIACSを結成。その他にもLOSALIOSや浅井のソロアルバムでメンバーの1人とが共演することはたびたびあったが、3人だけでステージに立ったことはない。プライベートの場では浅井と中村が共演し「ガソリンの揺れ方」を披露したことがある。

解散の理由[編集]

  • 3人共冒険好きなので、新たなる冒険に旅立ちたい。
  • ミュージックステーションで浅井健一が語ったところによると「色々あるんですよ」
  • 関係者[誰?]によればSkunk以前から解散の危機は度々あったとのこと。
  • 浅井はインタビューにて、ブランキーではなくソロを意識して制作する楽曲が多くなってきたと語っている。

海外でのライブ[編集]

BLANKEY JET CITYは定期的に、ロンドンやロサンゼルス、ニューヨークなどでライブを行っていた。初の海外ライブはロンドンにて1994年10月26日。1曲目は「Rude Boy」。

  1. 1994年10月26日、29日:「THE SIX」に収録するため、既存曲のリテイクと新曲のレコーディングのためにロンドンに渡った際に、2度ライブを実施。演奏曲は「Rude Boy」「3104丁目のダンスホールに足を向けろ」「嘆きの白」「Punky Bad Hip」「車泥棒」「D.I.Jのピストル」「鉄の月」「死神のサングラス」「Baby Baby」など。実現はしなかったが、「Dust & The World」の案もあった。
  2. 1995年:「SKUNK」のレコーディングの合間に同じくロンドンでライブを実施。この模様は「Are You Happy?」にて確認できる。演奏曲は「SKUNK」「D.I.Jのピストル」「Dynamite Pussy Cats」など

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

発売日 タイトル c/w 規格品番 オリコン最高位 収録アルバム 備考
1st 1991年4月12日 不良少年のうた 胸がこわれそう TODT-2644 73位 Red Guitar And The Truth
2nd 1991年7月5日 TEXAS Baby Baby (Live)/Mother (Live) TODT-269 80位 カップリング曲はライヴでの定番曲「Baby Baby」。
この曲はライブバージョンしか存在しない。
3rd 1991年12月11日 冬のセーター クリスマスと黒いブーツ TODT-2773 60位 Bang! ミュージックステーション」初登場の時、この曲を披露。
1992年11月9日 悪いひとたち TPS-001 1位(インディーズ) C.B.Jim 過激な歌詞のため、インディーレーベル「東京ピストル」からのリリース。
後に3rdアルバム「C.B.Jim」に収録されるが、歌詞は一部修正されている。
4th 1994年4月20日 青い花 CAT WAS DEAD (Live at NHK HALL, 16 Jan 1994)/悪いひとたち (Live at NHK HALL, 16 Jan 1994) TODT-3217 30位 幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする
5th 1994年9月7日 風になるまで いちご水 TODT-3301 42位
6th 1995年1月25日 Girl/自由 TODT-3420 40位 THE SIX 両A面
7th 1995年10月25日 くちづけ Dynamite Pussy Cats TODT-3620 51位 SKUNK
8th 1997年5月28日 ガソリンの揺れかた 嫌われ者/ピンクの若いブタ POCH-1634 32位 LOVE FLASH FEVER
9th 1997年9月3日 左ききのBaby ロメオ/Don't kiss My Tail POCH-1643 19位 Blankey Jet City 1997-2000 MVは青山の日焼けサロンで撮影
10th 1998年1月21日 赤いタンバリン ロンドン/ルーディー POCH-1673 11位 ロメオの心臓
11th 1998年6月10日 小さな恋のメロディ パイナップルサンド POCH-1418 10位
12th 1998年8月26日 ダンデライオン シェリル POCH-1435 5位 Blankey Jet City 1997-2000
13th 1998年11月18日 SWEET DAYS/DERRINGER POCH-1452 10位 Harlem Jets 両A面
14th 1999年6月2日 ペピン CD: I LOVE TOKYO/コスモス
ANALOG: I LOVE TOKYO (analog mix)(CD未収録)
CD: POCH-1790
ANALOG: POKH-1004
9位 COMPLETE SINGLE COLLECTION 『SINGLES』
15th 2000年4月12日 SEA SIDE JET CITY バナナのとりあい/リス POCH-1911 9位 Harlem Jets
16th 2000年7月5日 SATURDAY NIGHT EXCUSE ME POCH-3011 10位 Blankey Jet City 1997-2000

非売品シングル[編集]

発売日 タイトル 備考
1992年2月21日 My Way/僕の心を取り戻す為に ウォークマンのCMソング・タイアップ。「冬のセーター」と「BANG!!」連動した購入特典によって抽選により得られる作品。
同封の用紙に「2.21 ミュージックステーション出演決定!」と記されてあったものの、地域により2月22日以降に届けられた所もあった。
My Way2013年発売のベスト盤にボーナス・トラックで収録された。
1993年5月22日 SOON CRAZY (Unplugged Version)/ガードレールに座りながら (Unplugged Version) 限定1万部発行の写真集『BJC』の付属CD「Unplugged」に収録
1995年8月26日 fifteen 代々木公園のフリーライヴで配られたデモCD。
(15才の原曲)長らく一般入手は困難であったが、2009年発売のRARE TRACKSに収録された。

アルバム[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番 オリコン最高位 備考
1st 1991年4月12日 Red Guitar And The Truth TOCT-6087 8位
2nd 1992年1月22日 Bang! TOCT-6380 7位
3rd 1993年2月24日 C.B.Jim TOCT-6910 8位
1stmini 1993年12月1日 Metal Moon TOCT-8149 12位 6曲入りミニ・アルバム
4th 1994年5月25日 幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする TOCT-8372 5位
5th 1995年11月22日 SKUNK CD: TOCT-9240
ANALOG: TOJT-9241
20位 アナログ盤収録曲
SIDE-A:
  1. Skunk
  2. Dynamite Pussy Cats
  3. 15才
  4. Hell Inn
  5. くちづけ
  6. 斜陽

SIDE-B:

  1. Snow Badge
  2. Romance
  3. Fringe
  4. Purple Jelly
6th 1997年6月18日 LOVE FLASH FEVER POCH-1633 6位
7th 1998年6月24日 ロメオの心臓 POSH-1708 7位
8th 2000年5月10日 Harlem Jets CD: POCH-1919
ANALOG: POJH-1049
2位 アナログ盤収録曲
SIDE-A:
  1. バナナのとりあい
  2. PANTERA
  3. CAMARO
  4. DERRINGER
  5. Come On (Version 2)

SIDE-B:

  1. SEA SIDE JET CITY (Virgin Take)
  2. SALINGER
  3. 不良の森
  4. JET RAG(CD未収録)

ライブ・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番 オリコン最高位 備考
1992年9月30日 LIVE!!! TOCT-6685 29位 1992年5月4日、渋谷公会堂でのライヴ
2000年9月20日 Last Dance CD:UPCH-1005/6
ANALOG:UPJH-1003/4
5位 CDは2000年7月8日、横浜アリーナ"LAST DANCE"1日目をフル収録
アナログ盤は2000年7月9日、横浜アリーナ"LAST DANCE"から厳選された全18曲。全曲アナログのためのオリジナルMIX
アナログ盤収録曲
Side-A:
  1. CAT WAS DEAD
  2. SALINGER
  3. SKUNK
  4. ガソリンの揺れかた

Side-B:

  1. SATURDAY NIGHT
  2. DERRINGER
  3. SWEET DAYS
  4. RAIN DOG
  5. ロメオ

Side-C:

  1. PUNKY BAD HIP
  2. SESSION
  3. D.I.J.のピストル
  4. ぼくはヤンキー
  5. 赤いタンバリン

Side-D:

  1. 悪いひとたち
  2. 冬のセーター
  3. BABY BABY
2009年1月21日 MONKEY STRIP ACT2 TOCT-95019 20位 1994年6月25日・川崎CLUB CITTA'にて昼夜2回行われたライヴの2回目を収録。なお、1回目のライブは過去に映像として発表されている。

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番 オリコン最高位 備考
1995年3月1日 THE SIX CD: TOCT-8740
ANALOG: BIE-0001
9位 「Red Guiter and the Truth」から数曲、再録音された楽曲が収録。
アナログ盤収録曲
Side-A:
  1. ガードレールに座りながら、(OUT TAKE VERSION) (CD未収録)
  2. 胸がこわれそう (NEW VERSON)
  3. D.I.Jのピストル
  4. Rude Boy[不良少年のうた] (NEW VERSION)
  5. RAIN DOG

Side-B:

  1. 自由
  2. 冬のセーター
  3. ディズニーランドへ
  4. 風になるまで
1998年1月21日 国境線上の蟻 TOCT-10168 10位 未発表曲「水色」、「John Lennon」、アルバム初収録曲「悪いひとたち (Live Version with orchestra: at NHK HALL,16,JAN,1994)」収録
2000年10月25日 Blankey Jet City 1991-1995 TOCT-24419 8位 東芝EMI時代の全楽曲から選曲されたベスト・アルバム。
未発表曲「ハイヒール」、「フレッシュ」、アルバム初収録「いちご水」収録
Blankey Jet City 1997-2000 UPCH-1017 7位 ポリドール時代の全楽曲から選曲されたベスト・アルバム。
未発表曲「古い灯台-The first half-」、「黒い宇宙」収録。
アルバム未収録のシングル曲カップリング曲も多数収録されている。
2009年1月21日 RARE TRACKS UPCH-9455 19位 ユニバーサル時代のシングルのカップリングを中心に、未発表テイク・アナログバージョンなどを含めたコンピレーション。
2013年3月27日 COMPLETE SINGLE COLLECTION 『SINGLES』 UPCY-6688/9 39位 解散までに発表してきたシングル曲をコンプリート。「My Way」をボーナス・トラックに追加。※悪いひとたちのみ完全Version。

未発表曲[編集]

  1. DUST & THE WORLD
  2. 腐った野苺
  3. LOOKING FOR BABY
  4. 二人なら
  5. たちの悪い友達(Punky Bad Hipの原曲)
    ※上記以外にもタイトル不明のセッション風楽曲がライブで数多く演奏されている。

映像作品[編集]

発売日 タイトル 備考
ライブ VIDEO:1992年4月22日
DVD:2002年3月27日
DOG FOOD 1992年2月12日・渋谷公会堂でのライヴを収録。
ライブ VIDEO:1994年6月26日
DVD:2002年5月16日
Angel Fish (VIDEO)
Angel Fish Complete Edition (DVD)
1994年1月16日・NHKホールでのライヴを収録。インディーレーベル「東京ピストル」からのリリース。
DVDはVIDEOに収録されなかった演奏も全て収録された完全収録版のComplete Editionとして発売。
ライブ VIDEO:1994年9月28日
DVD:2002年5月16日
MONKEY STRIP 1994年6月25日・川崎クラブチッタにて昼夜2回行われたライヴの1回目を収録。
ライブ&ドキュメンタリー VIDEO:1995年12月13日
DVD:2002年3月27日
Are You Happy? 1995年8月26日・代々木公園野外ステージで行われたフリーライヴ『Are You Happy?』の模様と、ドキュメンタリー映像『We Are Happy.』を収録。
MV集 VIDEO:1995年8月28日
DVD:2002年3月27日
BLANKEY JET CITY SOLO WORKS ソロプロジェクトMV集第1弾。1996年のソロ活動を収録
MV集 VIDEO:1998年10月7日 BABYFACE PRESIDENT MV集第1弾。ガソリンの揺れ方~ダンデライオンまでの曲を収録。
ライブ VIDEO:1998年12月2日
DVD:2002年5月16日
BARRACUDA 1998年3月5-6日・渋谷公会堂、4月11-12日・赤坂BLITZ、7月11-12日・日比谷野外音楽堂にて行われたライヴを収録。
MV集 VIDEO:1999年11月10日
DVD:2002年5月16日
BLANKEY JET CITY SOLO WORKS II ソロプロジェクトMV集第2弾。1999年のソロ活動を収録
MV集 VIDEO:2000年7月26日 CANDY OR HELL MV集第2弾。SWEET DAYS~Harlem Jetsまでの曲を収録。
ライブ VIDEO・DVD:2000年9月20日 LAST DANCE オリコン4位。2000年7月8-9日・横浜アリーナでのラストライヴより7月9日の模様をノーカットで収録。
ヒストリー DVD:2001年7月11日 WORKS 1990-2000 BLANKEY JET CITYの歴史を総括したDVD。第6代目グランドイカ天キングからFUJI-ROCK FESTIVAL'00までの、ライブ映像、オフショット、インタビュー等を収録。
MV集 DVD:2002年5月16日 CLIPS オリコン49位。「BABYFACE PRESIDENT」と「CANDY OR HELL」を1枚にまとめてDVD化
映画 DVD:2013年1月30日 VANISHING POINT

映画[編集]

  1. VANISHING POINT(2013年1月)

写真集[編集]

タイアップ一覧[編集]

[注 1] 曲名 タイアップ
未収録 禿山の一夜[注 2] 毎日新聞 CMソング(1991年の題字変更時に製作された「毎日の毎日が変わる」ヴァージョン。)
1991年 冬のセーター テレビ朝日系『ウィークエンドライブ 週刊地球TV』エンディングテーマ(1993年以降)
1992年 My Way ソニーウォークマン」CMソング
1994年 青い花 朝日放送テレビ朝日系『速報!甲子園への道』テーマソング
1995年 Girl エポック社 スーパーファミコン用ソフト「Jリーグエキサイトステージ'95」CMソング
1997年 ガソリンの揺れかた NHK-FMミュージック・スクエア』1997年6月・7月度エンディングテーマ
左ききのBaby テレビ朝日系『ナイナイナ』オープニングテーマ
ロメオ ボブソン「BOBSON JEANS」CMソング
テレビ大阪ほか『吉本超合金K・ケンコバ大王』オープニングテーマ(2002年 - 2003年)
1998年 赤いタンバリン テレビ朝日系『サンデージャングル』オープニングテーマ
小さな恋のメロディ フジテレビ系『家族そろってボキャブラ天国』エンディングテーマ
VIOLET FIZZ フジテレビ主催「天野喜孝展 THINK LIKE AMAN0」CMソング[5][注 3]
ダンデライオン 日本テレビ水曜ドラマお熱いのがお好き?』主題歌
SWEET DAYS NHK総合ポップジャム』オープニングテーマ
DERRINGER 米映画『ダークシティ』イメージソング
1999年 ペピン NHK総合 水曜ドラマの花束女性捜査官アイキャッチャー』主題歌
2000年 SEA SIDE JET CITY テレビ朝日系『サンデージャングル』オープニングテーマ
グンゼ「ボディワイルド」CMソング
COME ON(VERSION1) サントリーザ・カクテルバー」CMソング
SATURDAY NIGHT フジテレビ系『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』エンディングテーマ

ミュージックビデオ[編集]

監督 曲名
丹修一 「左ききのBaby」「赤いタンバリン」「小さな恋のメロディ」
中野裕之 「ダンデライオン」

メディア出演[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

  • 東京の休日(1991年) - ライブハウスのロックバンドとして出演

関連バンド[編集]

浅井健一[編集]

照井利幸[編集]

中村達也[編集]

交友関係[編集]

セカンドアルバム「Bang!」から5枚目のアルバム「SKUNK」までプロデューサーを務めた。
藤井フミヤとBLANKEY JET CITY のメンバーは交流が深い。ミュージックステーションによると良く飲みに行く仲だとのこと。藤井フミヤによると、BJCの3人は酔っ払っても意外とおとなしいらしい。浅井は藤井フミヤに『マリア』という曲を提供している。
同時期に活動していたこともあり、プライベートでも交流が深い。

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で記載
  2. ^ インスト。モデスト・ムソルグスキー作曲のクラシック楽曲。
  3. ^ フジテレビ系『NONFIX』で天野喜孝を特集した時にも起用された

出典[編集]

  1. ^ a b c Schmidt, Jeremy. Blankey Jet City Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年9月19日閲覧。
  2. ^ 浅井健一- Key Person 第9回」OKMusic2020年11月20日
  3. ^ “BJC RESPECT”! 更なる進化をし続ける3人の1991-2000!」Rooftop2008年12月1日
  4. ^ Top 100 Japanese pops Artists - No.73|HMV ONLINE
  5. ^ フジテレビ「NONFIX」で流れていた曲は?”. CDJournal リサーチ (2000年6月20日). 2021年6月13日閲覧。

外部リンク[編集]