remote

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remoteリモート)は、1980年代後期から1990年代前期まで活躍していた日本音楽バンド


remote
出身地 日本の旗 日本
活動期間 1988年1992年
レーベル ワーナーパイオニア
事務所 ホリプロ
メンバー 池田貴族 (ボーカル)
HIRO (ギター)
愛川弘樹 (ベース)
Maezaki (キーボード)
CHAPPY (ドラム)


略歴[編集]

  • 1986年12月、池田貴族と中博瑞(HIRO)にてremote を結成。1988年5月頃から東京都渋谷区原宿の代々木公園隣の歩行者天国でライヴ活動を始める。
  • 1988年9月それまでの衣装を赤に統一。当時、男性がメイクをするバンドはまだごく少数派だったため、赤い衣装とメイクのヴィジュアル戦略により歩行者天国でも異彩を放つ。「お化粧バンド」「美形バンド」などと言われ、ヴィジュアル系の最初期のバンドとして人気を集める。[1]
  • 1989年初め頃には既にホコ天で一番の人気を得たバンドとなり、多勢のファン、追っかけが付くようになる。ライブでは失神者続出、動員記録を毎回塗り替えた。自主制作でカセットテープを発表すると歩行者天国のライブの数時間のうちに数百本完売、即品切れ状態となる。またメンバーのブロマイドも販売、HIROのブロマイドは竹下通りでジャニーズアイドルらと並び販売された。
  • 満を持したような形で1989年3月18日放送のTBS『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)に出場、『Never Be!』を演奏、在宅審査員賞を受賞。この時にもファンが多数、放送スタジオのある日比谷シャンテ前まで追いかけてきていた。[2] 1989年4月「イカすバンド天国」初の特別番組において人気投票1位を受賞。番組内で「Wendy」を生演奏した。[3]
  • 1989年5月28日のライヴをもってホコ天を“卒業”。イカ天が人気番組となり、ホームである原宿歩行者天国でのライブに観客が殺到。多数のバンドが短い間隔で乱立し演奏していたため、「音楽を正しく聴かせたい」というメンバーの意向にそぐわないとして、名実ともにホコ天No.1という人気絶頂の中、ホコ天を去る事を決意した。
  • 1989年6月、ホコ天卒業後、原宿に自らの手で「ロック喫茶remote」をオープン。ストリートからロック喫茶に活動の拠点を移す(ロック喫茶はラフォーレと交差点を挟んだ斜めにオープンした)。毎日曜日限定で2ステージ開催。全国からファンが殺到し、イカ天番組内でもその特集が組まれた。
  • 社会現象となったバンドブームのシーンを先導した功績から、アエラ、週刊朝日等、音楽以外のフィールドでの取材を多数受ける。ライブ活動は音楽イベントのみならず、伊勢丹、豊島園、茨城県鹿島市、静岡県清水市、北海道帯広市等の企業、行政とコラボした各種イベントにも多数出演。早稲田大学等の学園祭にも数多く出演した。
  • 1989年末、アマチュア時代の総決算としてMZA有明の大ホールにてワンマンライブを行なう。
  • remote在籍中、池田貴族はみうらじゅんと人間椅子の和嶋慎治と共に「SEAMONKEYS(シーモンキーズ)」という音楽ユニットを結成。和嶋が不在の時は、愛川、HIROが代役を務めた。
  • 1990年ホリプロと契約、同年7月25日ワーナーパイオニアからシングル『NO!』をリリースし、メジャーデビュー。
  • デビューライブは、ロックバンドでは珍しいサンシャイン劇場にてリサイタルと銘打ち行われた。その後のライブでは弦楽四重奏を加えて行われるなど、従来のロックバンドの枠に囚われない活動が話題となった。
  • 1991年正月特別ドラマ『三婆』にてメンバー全員がドラマ出演。唐沢寿明がバンドメンバーとして加わった演奏シーンが披露された。
  • 1992年には日本初のエイズ撲滅イベントを岡本理研ゴム協賛にて行う。公開エイズ検査を実施、マスコミ各社からの取材が殺到。社会への問題提起をバンドが大手企業と手を組み行うことは当時ごく稀なことであった。
  • 1992年9月解散。活動中はシングル5枚、アルバム3枚、渋谷公会堂でのライブビデオ1本をリリースした。
  • 池田貴族はミュージシャン作家、霊感タレントとしても活動していたが癌を患い闘病生活へ。
  • 1999年4月28日、赤坂ブリッツにおけるみうらじゅんプロディースのイベント「貴族、本当に歌えるのか!?」で、remoteはオリジナルメンバーで再結成した。
  • 池田貴族は1999年12月25日に死去。HIROは音楽活動を離れた。愛川弘樹、前崎史郎、CHAPPY(前田忠男)はバンド、ソロ活動、サポートミュージシャン、プロデュースなどで現在も音楽活動を続けている。またアイドル池田美夕は池田貴族の一人娘である。
  • TBSの特番 2007年イカ天復活祭の番組内にてremoteが特集される。
  • 2018年イカ天30周年記念イベントにHIROが、トークと氏神一番のバックコーラスにて出演。19年ぶりに表舞台に顔を見せた。

メンバー[編集]

  • 愛川弘樹ベース6月24日 - )
    現在もThe Beanzというバンドで活躍、他にもバンドのサポート、作曲家としても活動(現在の名義は愛川ヒロキ)。因みに最初の楽曲提供はremote時代だった1990年7月21日千葉美加のシングル『フェイント勝ちね』のカップリング曲『8ビートのエチュード』、この曲は元々remoteの曲だったものをアレンジしたとのこと。後にこの曲は『Believe3』というタイトルでリモートのシングルとしてもリリースされる。
  • CHAPPY(前田忠男) (ドラム1月29日 - )
    『cloudloud』というバンドにも在籍。池田貴族のCD『MiYOU』のジャケット写真は彼の撮影。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  • No! (1990年7月25日、C/W『Wendy』)
  • Believe3 (1990年11月28日、C/W『Curtain Call』)
  • TRAFFIC JAM (1991年5月25日、C/W『OPEN THE WINDOW』)
  • Fairy (1991年11月28日、C/W『Rush Hour』)
  • Cylinder (1992年2月25日、C/W『Cylinder II』)

アルバム[編集]

  • remote ancestors (1990年8月25日)
    Never Be!/Call me back/Wendy/Misery Gigolo/あの頃 teenage/No!/Because,I'm so hard/Love Letter/Dream Again/All Night? All Right!/Believe2(インストルメンタルヴァージョン)
  • TRUE COLOURS  (1991年6月25日)
    RUSH HOUR/TRAFFIC JAM/24/EVERYBODY/TOO GOOD FOR ME/HOLY VOICE/OPEN THE WINDOW/TOSCA/DESPAIR/GOOD MORNING
  • CYLINDER  (1992年3月25日)
    All Love Is Not Forever/Cylinder/Sister/Fairy/My Pleasure/(I've always been)Alone/Top Secret/Cylinder II/Powder/Vibration/月食(Eclipse of the moon)

脚注[編集]

  1. ^ 衣装を赤にした経緯は、remote のライブを観に来た音楽事務所のスタッフが、当時のアマチュアバンドを凌駕した動員で盛り上がったライブを叱咤する様な「今の動員でいい気になってもしょうがない。まずはremoteと言えば〇〇といったモノを考えた方がいい」と言ったコメントに対し、その夜HIROが池田貴族に電話で相談を持ちかけ「来週の歩行者天国から俺は全身赤にする」と言った事がキッカケとなった。
  2. ^ この日、在宅審査員からのFAXで「ボーカルの目つきが良かった」との指摘にボーカル・池田は「当然ですよ」と返し、その後のイカ天の取材でも、「remote現象(げんしょう)と言われてますが…」とマイクを向けた相原勇に対し「いや、“げんしょう”じゃない。“シンドローム”と呼んでもらいたい」と即座に突っ込んだことでも、態度がでかい、ふてぶてしいと言われたが、その態度がまた魅力のひとつと言われ『リモートハリケーン』とも言われる人気を集めていった。
  3. ^ 視聴者からのはがき投票で順位を決めるイカ天内のコーナー『アマチュアバンドベスト10』では、1989年4月22日では1位になったものの、翌週4月29日から8月12日まで14週連続で2位(4月29日から7月1日までは10週連続でKUSU KUSU、続く7月22日から8月12日までは4週連続でA-CHIEFが1位)という記録がある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]