多神教
多神教(たしんきょう、英: polytheism)は、神や超越者(信仰、儀礼、畏怖等の対象)が多数存在する宗教。対義語に一柱の神のみを信仰する一神教がある。
概要
その名のとおり多神教では多くの神々が崇拝され、それゆえに同じ宗教の中での信仰形態も多様である。また、特定の一神(主神)が最も高位にあると考え、主神を崇拝の中心とするものを、多神教的一神教と呼ぶことがある。例えば岩田慶治は、これを「カミと神」という言葉で区別する。かつてはエドワード・バーネット・タイラーのように、多神教は一神教への発展中途にある信仰だという主張が公然となされてきたが、現在ではそのような進化論的な議論がされることは少ない。
多神教のうち現存するものとして、民族的要素の強い日本の神道やアイヌの信仰、中国の道教、インドのヒンドゥー教などがある。現存しないものとしては、古代エジプトやメソポタミア、古代ギリシャの神々[1]、中南米のメソアメリカ文明やアンデス文明で信仰されていた神々などがある。仏教も多神教だという見解もあるが、汎神論または無神論的な宗教であるとする見解もあり、議論が分かれるところである。
多神教の宗教・神話
現代思想との関連性
環境を ecology と認識するのは、19世紀半ばのドイツのヘッケルの主張にさかのぼる。アンナ・ブラムウエル[2]はヘッケル以来のエコロジーの歴史を詳述している。それによれば、エコロジーに多神教の一翼をなすアニミズム的要素を認めている。エコロジーはドイツで生まれた一つの考え方である。ゲルマン民族がキリスト教化される前の自然との付き合い方への郷愁と言った側面もある。ドイツでは、18世紀になって英国の影響を受けた啓蒙主義からカント、ヘーゲルのドイツ観念論が展開して、ドイツの近代化の思想的根拠となった。しかし、近代化は現在で言うとグローバル化のようなもので、民族的深層意識を満足させないので、ヘーゲル以降ゲルマン的回帰と結びつくような思想運動が生じた。自然と親しむワンダーフォーゲル運動とも精神的な親近性がある。このようなことは、実は世界各地で見られることである。つまり、一神教が多神教の進化形態で優れているといった主張よりも、現代思想にも一神教的な考え方と多神教的な考え方のそれぞれが適合する面が生きており、新約聖書が「人はパンのみにて生きるにあらず」と喝破したように、人類のもつ一見合理性がないと思われるかもしれないが実は必要な活動にも支持をあたえつづけている。