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1982年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第34回大会となる。
1982年シーズンはロベルト・ガリーナ率いるガリーナ・スズキ・チームのイタリア人、フランコ・ウンチーニが500ccタイトルを手に入れた。対するヤマハはケニー・ロバーツのタイトル奪還のために新たなV4エンジンのマシンを投入したが、ニューマシンの熟成が進まずにシーズンを通して苦しむことになった。ホンダは4ストロークのNR500を諦め、2ストロークV3エンジンのNS500を新人のフレディ・スペンサーとディフェンディングチャンピオンのマルコ・ルッキネリ、ベテランの片山敬済に与えた。スペンサーはベルギーGPで1967年以来の、そして2ストロークのマシンでは初めてとなる勝利をホンダにもたらした。フランスGPでは、ノガロ・サーキットのコースの危険性に対する抗議として、ほとんどのトップ・ライダーがレースをボイコットするという騒ぎが起きた。
前年、250ccと350ccのダブルタイトルを獲得したカワサキのアントン・マンクは、350ccクラスでは1勝しか挙げられなかったにもかかわらずタイトル防衛に成功した。マンクはこの年限りで廃止が決まっていた350ccクラスの最後のチャンピオンとなったのである。
250ccクラスでは逆に、マンクは5勝を挙げたにもかかわらず、ボイコット騒ぎのあったフランスGPでの1勝しか挙げられなかったジャン=ルイ・トルナドールにわずか1ポイント差でタイトルを奪われてしまった。
125ccクラスではガレリのアンヘル・ニエトが通算11度目のチャンピオンを決めた。
50ccクラスでは、エウジーニョ・ラッツァリーニとステファン・ドルフリンガーが全6戦を3勝ずつで分け合ったが、勝てなかった3レース全てで2位となったことが決め手となってドルフリンガーがタイトルを獲得した。
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| 色 |
結果
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| 金色 |
優勝
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| 銀色 |
2位
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| 銅色 |
3位
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| 緑 |
ポイント圏内完走
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| 青灰色 |
ポイント圏外完走
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| 周回数不足 (NC)
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| 紫 |
リタイヤ (Ret)
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| 赤 |
予選不通過 (DNQ)
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| 予備予選不通過 (DNPQ)
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| 黒 |
失格 (DSQ)
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| 白 |
スタートせず (DNS)
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| エントリーせず (WD)
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| レースキャンセル (C)
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| 空欄
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欠場
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| 出場停止処分 (EX)
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太字:ポールポジション
斜体:ファステストラップ
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