グレーム・クロスビー
| グレーム・クロスビー | |
|---|---|
|
ヨシムラスズキ 1983年 | |
| グランプリでの経歴 | |
| 国籍 |
|
| 活動期間 | 1980 - 1982 |
| チーム | スズキ、ヤマハ |
| レース数 | 27 |
| 優勝回数 | 0 |
| 表彰台回数 | 10 |
| 通算獲得ポイント | 173 |
| ポールポジション回数 | 4 |
| ファステストラップ回数 | 1 |
| 初グランプリ | 1980 500cc イタリア |
| 最終グランプリ | 1982 500cc 西ドイツ |
グレーム・クロスビー(Graeme Crosby, 1955年7月4日 - )は、ニュージーランド出身の元グランプリライダーである。非常に多才なライダーであり、デイトナ200、イモラ200、鈴鹿8時間耐久レース、マン島TTレースなどで勝利を挙げており、後のワイン・ガードナーやマイケル・ドゥーハンへと続くオセアニア出身のグランプリライダーの先駆けともいえる人物である。
来歴
[編集]1974年に地元のニュージーランドでレースデビューを飾ったクロスビーは、1976年、オーストラリアのスーパーバイク選手権で印象的な走りを見せて注目を浴びた。日本のモリワキエンジニアリングから誘いを受け、1978年の鈴鹿8時間耐久ロードレースにモリワキによるパワーアップが施され150馬力以上を絞り出していた「モリワキZ[1]」(ベース車はカワサキ・Z1)で参戦。トニー・ハットンと組んだチームはヨシムラ・スズキGSXと優勝争いをしていたがガス欠による途中ストップの不運があり3位でのチェッカーとなる[2]。
1980年、ヨーロッパに渡って活躍の場をイギリスに移したクロスビーは、マン島TTレースのシニアクラスで優勝[3]する速さを見せる。同年はスズキのRG500でWGP500ccクラスへ参戦を開始。ヘロン・スズキチームでランディ・マモラのチームメイトとなった。7月の鈴鹿8時間耐久レースにはヨシムラからウェス・クーリーとのペアで参戦し、GS1000[4]でポールポジションから勝利を挙げる[5]。更にTT-F1世界選手権のチャンピオンをスズキにもたらした。
1981年もヘロン・スズキに残留し、イギリス選手権TT-F1クラスチャンピオンとなると同時にWGP500ccクラスでもランキング5位を獲得し、ジャコモ・アゴスチーニ率いるマールボロ・ヤマハ・ワークスチームに移籍する。
1982年、伝統のデイトナ200で優勝して幸先の良いスタートをきったクロスビーは、シーズン中の怪我にもかかわらずWGP500ランキング2位となる活躍を見せる。しかしチーム内の政治的なゴタゴタに嫌気がさし、シーズン終了後にグランプリからの引退を発表した。

引退後はニュージーランドに戻り、いくつかのモーターサイクル関連のビジネスで成功を収めた。また、主にニュージーランドやオーストラリアで行われる4輪のツーリングカー・レースに参戦して、好成績を挙げている。2輪レースではGP引退後も日本の鈴鹿8時間耐久レースだけには出場し続けた。
1995年にニュージーランド・スポーツ殿堂入りを[6]、2007年にはニュージーランド・モーターサイクル殿堂入りを果たした。
主な戦績
[編集]ロードレース世界選手権
[編集]- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジションを記録。
| 年 | クラス | チーム | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ポイント | 順位 | 勝利数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980 | 500cc | ヘロン・スズキ | RGB500 | ITA NC |
SPA 12 |
FRA 5 |
NED 8 |
BEL 4 |
FIN - |
GBR 13 |
GER 2 |
29 | 8位 | 0 | ||||
| 1981 | RGB500 | AUT 2 |
GER 13 |
ITA 2 |
FRA 3 |
YUG 4 |
NED NC |
BEL 7 |
RSM 3 |
GBR NC |
FIN 5 |
SWE 5 |
68 | 5位 | 0 | |||
| 1982 | マールボロ・ヤマハ・アゴスチーニ | YZR500 | ARG NC |
AUT 4 |
FRA - |
SPA 4 |
ITA 3 |
NED 4 |
BEL - |
YUG 2 |
GBR 3 |
SWE 3 |
RSM 3 |
GER - |
76 | 2位 | 0 | |
- 太字はポールポジション。
全日本ロードレース選手権
[編集]| 年 | チーム | マシン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984年 | ヨシムラMOTUL | スズキ・GSX750 | TT F1 | SUZ - |
SUG C |
SUZ - |
SUG C |
SUZ 3 |
SUZ 3 |
- | - | ||
| 1990年 | モリワキレーシング | モリワキ・ZERO-VX7 | SUZ 12 |
SUZ |
SUZ |
TSU |
SUG |
SUZ |
SUG |
TSU |
28位 | 4 |
鈴鹿8時間耐久ロードレース
[編集]| 年 | 車番 | ペアライダー | チーム | マシン | 予選順位 | 決勝順位 | 周回数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1978 | 1 | トニー・ハットン | モリワキレーシング | モリワキ-カワサキ・Z1 | 3 | 3 | 188 |
| 1979 | 2 | 富江昭孝 | モリワキ-カワサキ・Z1 | 1 | Ret | 52 | |
| 1980 | 12 | ウェス・クーリー | ヨシムラR&D | スズキ・GS1000 | 1 | 1 | 200 |
| 1981 | 8 | ウェス・クーリー | スズキ・GS1000R | 2 | Ret | 58 | |
| 1983 | 12 | ロブ・フィリス | チームヨシムラ・モリワキ | スズキ・GSX1000 | 1 | 13 | 177 |
| 1984 | 12 | レン・ウィリングス | ヨシムラ | スズキ・GSX750ES | 3 | Ret | 84 |
| 1985 | 15 | ケビン・シュワンツ | チームヨシムラ・モチュール | スズキ・GSX-R750 | 11 | 3 | 192 |
| 1988 | 33 | アンドリュー・ストラウド | チーム・クロスビー | モリワキ・Zero-ZX7 | 17 | Ret | 39 |
| 1989 | 19 | マルコム・キャンベル | 生活創庫アピタNTTレーシング | モリワキ・Zero-ZX7 | 32 | 6 | 197 |
| 1990 | 19 | マルコム・キャンベル | NTTモリワキレーシング | モリワキ・Zero-VX7 | 24 | Ret | 117 |
脚注
[編集]- ↑ モリワキZ1000/スーパーネイキッドのルーツ的存在 カワサキバイクマガジンvol.119 (2016年4月1日)
- ↑ ヒストリー「モリワキZ1」第1回鈴鹿8耐参戦マシン モーターサイクリスト (2021年6月15日)
- ↑ Graeme Crosby Isle of Man TT career results(英語)
- ↑ 【ヨシムラヒストリー16】鈴鹿8耐2勝目を勝ち取った決断と強運 バイクブロス (2021年8月20日)
- ↑ 鈴鹿サーキット 鈴鹿8耐第3回大会1980年
- ↑ Graeme Crosby at the New Zealand Sports Hall of Fame(英語)