1988年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第40回大会である。
シーズンの概要[編集]
このシーズンより、ポイント入賞圏内が前年度の1~10位から1~15位までに拡大された。
500ccクラスでは、エディ・ローソンがワイン・ガードナーとの激しい争いを制しタイトルの奪回に成功した。ガードナーは前半戦に’88NSR500とのマッチングに苦しんだことが響き、中盤以降巻き返すも一歩及ばなかった。
一方で、ウェイン・レイニーとケビン・シュワンツがこの年から本格的にWGP参戦を開始し、それぞれ勝利を挙げた。レイニーは1984年に250ccクラスで12レースに出走して表彰台にも1度上がったことがあるが、500ccクラスではこの年がデビューシーズンとなった。サイクル・ニューズ誌でのアラン・カスカートのシーズン前の評価では「レイニーはグッド・ライダーには違いないが、グレート・ライダーにはなれないだろう。彼はランディ・マモラの替わりにはなれない」というものだった[1]が、その評価を見事に覆した。
ファクトリー・チームのV4マシンは、非常に強力なエンジンと高い剛性のシャーシの組み合わせによってパワースライドを生み出し、しばしば乱暴なハイサイドを引き起こしてライダーを空中に放り投げた。カジバは、レイニーの加入によってチーム・ロバーツを放出されたランディ・マモラをライダーに起用した。そして、23年ぶりのアメリカGPがカリフォルニアのラグナ・セカで開催された。
250ccでは、前年度チャンピオンのアントン・マンクが開幕戦を制したものの以降は精彩を欠き、今シーズン限りでの引退を発表。代わって終始安定した戦いぶりを示したシト・ポンスが4勝を挙げ、スペインの同胞で3勝を挙げたファン・ガリガとの争いを制し初のタイトルを獲得した。
125ccと80ccでは、ダブルエントリーをしたスペイン人のホルヘ・マルチネスが両タイトルを制覇し、母国メーカーのデルビダブルタイトルをもたらした。
最終成績[編集]
500ccクラス順位[編集]
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色 |
結果
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金色 |
優勝
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銀色 |
2位
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銅色 |
3位
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緑 |
ポイント圏内完走
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青灰色 |
ポイント圏外完走
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周回数不足 (NC)
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紫 |
リタイヤ (Ret)
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赤 |
予選不通過 (DNQ)
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予備予選不通過 (DNPQ)
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黒 |
失格 (DSQ)
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白 |
スタートせず (DNS)
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エントリーせず (WD)
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レースキャンセル (C)
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空欄
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欠場
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出場停止処分 (EX)
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太字:ポールポジション
斜体:ファステストラップ
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250ccクラス順位[編集]
125ccクラス順位[編集]
80ccクラス順位[編集]
- ^ Scott, Michael: "Wayne Rainey", page 95. Haynes Publishing, 1997.
外部リンク[編集]