論理的真理

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論理的真理(ろんりてきしんり、英語: logical truth)は、論理学の基本的な概念の一つであり、その性質については様々な説がある。論理的真理とは、であり、かつ、論理定項以外の構成要素を全て解釈英語版しても真であり続ける言明英語版のことである。これは分析的な言明英語版の一種である。全ての哲学的論理学は、論理的帰結と同様に、論理的真理の性質についての説明を提供していると考えることができる[1]

論理的真理(恒真式を含む)は、必然的真理(necessarily true)であると考えられる真理である。これは、それが真実でないことはありえないと考えられ、論理的真理が拒否されるような状況は生じないと考えられるということを意味している。それは、直感、実践、信念の総体(body of beliefs)のあらゆる意味で真理でなければならない。しかし、「必然的」真理でなければならない言明があるということは、普遍的には認められていない。

一部の哲学者は、論理的真理とは全ての可能世界において真実である言明であると考えている。これは、事実(fact、偶発的主張(contingent claims)や合成的主張(synthetic claims)と呼ばれることもある)が、「この」世界では真実であっても、少なくとも一つの可能世界において真実ではないことがあるのとは対照的である。命題「pかつqならばp」や命題「結婚している人はみんな結婚している」は、それが、世界における何らかの事実によってではなく、固有の構造によって真理であるので、論理的真理である。その後、形式論理学の台頭により、論理的真理とは、全ての可能な解釈の下で真理であると考えられるようになった。

論理的真理の存在は、理性主義の哲学者によって経験主義への反論として提唱されてきた。なぜなら彼らは、論理的真理の知識を経験主義的に説明することは不可能だと考えているからである。経験主義者はこの反論に対し、論理的真理(彼らは通常、これは単なる恒真式であると考えている)は分析的なものであり、世界を説明することを目的としていないと主張している。

論理的真理と分析的真理[編集]

論理的真理は、分析的な言明であるため、事実(fact)に関する情報は一切含まれていない。論理的真理とは別に、"no bachelor is married"[注釈 1]のような第二種の分析的言明がある。この種類の言明の特徴は、類義語salva veritate英語版に(真偽に影響を与えずに)代入することで、論理的真理に変えることができることである。"no bachelor is married"は、"bachelor"をその類義語である"unmarried man"を置き換えることで、"no unmarried man is married"[注釈 2]に変えることができる。

哲学者ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは著書『経験主義の二つのドグマ英語版』において、分析的言明と合成的言明の区別に疑問を呈した。それは、この第二種の分析的言明についてであり、明確化の必要性に立っている類義語の概念に依存しているように見えることが、分析的であるという概念自体が明確化の必要性に立っていることに彼が注意する原因となった。クワインは結論として、論理的真理が必然的真理であることを否定している。その代わりに、論理的真理も含めて、それ自身の完全な理論の中の他の全ての言明の真理値を再解釈すれば、どんな言明の真理値も変えられるという仮説を立てている。

真理値と恒真式[編集]

同じ言明の異なる解釈英語版を考慮することは、真理値の概念につながる。真理値に対する最も単純な説明は、ある場合には言明が「真」であっても、別の場合には「偽」である可能性があるということを意味する。恒真式(トートロジー)とは、どのような解釈の下でも真であることが判明した任意の種類の論理式(well-formed formula)や命題である(文脈によっては、付値英語版(valuation)または割り当て(assignment)と呼ばれることもある)。これは論理的真理と同義である。

しかし、恒真式という用語は、より具体的には真理関数的恒真式と呼ばれるものを指すためにも一般的に使用されている。恒真式や論理的真理は、それが一般的に含む論理学の用語(「全ての」(every)、「いくつかの」(some)、「は」(is)など)に対してのみ真であるのに対し、真理関数的恒真式は、それが含む論理連結語(「または」(or)、「かつ」(and)、否定論理和(nor)など)に対しても真である。全ての論理的真理がこの種の恒真式であるとは限らない。

論理的真理と論理定項[編集]

論理連結語量化子などの論理定項は、全て概念的に論理的真理に還元することができる。例えば、2つ以上の言明が論理的に両立しないのは、それらの論理連結語が論理的に偽である場合かつその場合に限る(if and only if)。ある言明が他の言明の否定と論理的に両立しない場合、その言明はその他の言明を論理的に暗示する。ある言明が論理的に真であるのは、その否定が論理的に偽である場合のみである。ある言明とその否定の言明は互いに矛盾していなければならない。このようにして、全ての論理連結語は、論理的真理を保持するという観点から表現することができる。言明の論理的な形式は、その意味的または統語的構造と論理定項の配置によって決定される。論理定項は、言明の意味を制限する言語と組み合わせたときに、その言明が論理的真理であるかどうかを決定する。従って、言語に関係なく全ての論理定項数を区別する方法が決まらない限り、言明や論証の完全な真理を知ることは不可能である[2]

論理的真理と推論規則[編集]

論理的真理の概念は、推論規則の概念と密接に結びついている[3]

論理的真理と論理実証主義[編集]

論理実証主義は、科学の推論過程を純粋な論理に還元しようとした20世紀初頭の動きである。論理実証主義者は、経験的に検証可能ではない命題は真でも偽でもなく、ナンセンスであると主張した。この動きは、彼らのアプローチでは様々な問題があり、実証主義者が説明した方法では科学は動作しないことが次第に判明したためにフェードアウトした。もう一つの問題は、運動でよく掲げられたスローガンの一つである「経験的に検証可能ではない命題はナンセンスである」が、それ自体が経験的に検証可能ではないので、それ自体がナンセンスであるということだった。

非古典論理[編集]

非古典論理とは、命題論理述語論理などの、標準的な論理体系とは大きく異なる形式体系の名称である。これらの目的は、論理的帰結と論理的真理の異なるモデルを構築できるようにすることである[4]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 日本語においてはこのような構文はなく、文の構造を維持したまま訳出しようとすると不自然な文章になる。通常は「全ての独身者は結婚していない」と意訳することになるが、あえて文の構造を維持して直訳しようとすれば「0人の独身者は結婚している」のようになる。
  2. ^ 直訳すれば「0人の結婚していない人は結婚している」。意訳すれば「全ての結婚していない人は結婚していない」。

出典[編集]

  1. ^ ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン『論理学の哲学』(Philosophy of logic)
  2. ^ MacFarlane, J. (2005年5月16日). “Logical Constants”. 2020年4月1日閲覧。
  3. ^ アルフレッド・エイヤー, 『言語・真理・論理』(Language, Truth, and Logic)
  4. ^ セオドア・サイダー英語版, (2010). Logic for philosophy

外部リンク[編集]

  • Zalta, Edward N. (ed.). "Logical Truth". Stanford Encyclopedia of Philosophy (英語).
  • 論理的真理 - Indiana Philosophy Ontology Project
  • 論理的真理 - PhilPapers