アブダクション
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アブダクション、リトロダクション(古代ギリシア語: ἀπαγωγή[注釈 1]、英: abduction, retroduction)とは、個別の事象を最も適切に説明しうる仮説を導出する論理的推論。仮説形成や仮説的推論などと訳されている。
概要[編集]
古くはアリストテレスがアパゴーゲー(古代ギリシア語: ἀπαγωγή[注釈 1])について議論している[注釈 2]。のちに、アパゴーゲーはアブダクション(abduction)と英訳された。チャールズ・サンダース・パースは、演繹・帰納に対する第三の方法として、アブダクションの語をもちいた。
アブダクション、結果や結論を説明するための仮説を形成することを言うこともある。哲学やコンピュータの分野でも定義づけされた言葉として使われている。アブダクションの意味や思考法は、演繹法や帰納法ともまた異なるものであり、失敗の原因を探ったり、計画を立案したり、暗黙的な仮説を形成したりすることにも応用できる。例えば、プログラムの論理的な誤りを探し出し直す(デバッグ)という過程では、アブダクティヴな解釈と推論が行われており、一般的な立証論理の手法と通じるものがある。他にも、推理小説やミステリ映画などでも真相に迫る過程(推理)のアブダクションを体験できることが醍醐味となっている。
アブダクションは、関連する証拠を(真である場合に)最もよく説明する仮説を選択する推論法である。アブダクションは観察された事実の集合から出発し、それらの事実についても尤もらしく、ないしは最良の説明へと推論する。またアブダクションという用語は、たんに観察結果や結論を説明する仮説が発生することを意味するためにもときおり使われる。だが哲学やコンピュータ研究においては、前者の定義がより一般的である。心理学や計算機科学などではヒューリスティクスと呼ばれている。
論理的推論[編集]
- 演繹
- 演繹は、仮定 と規則「 ならば である」から結論 を導く。妥当な演繹は、仮定が真であれば結論も真であることを保証する。
- 帰納(枚挙的帰納法)
- 帰納は、仮定 が結論 を伴ういくらかの事例を観察した結果として規則「 ならば である」を蓋然的に推論する。帰納は、推論した規則が真であることを保証しない。
- アブダクション
- アブダクションは、結論 に規則「 ならば である」を当てはめて仮定 を推論する。帰納が仮定と結論から規則を推論するのに対し、アブダクションは結論と規則から仮定を推論する。アブダクションは、推論した仮定が真であることを保証しない。アブダクションそれ自体としては、形式的には論理学でいう後件肯定に等しい。このようにアブダクティヴな推論はそこで提起される仮定/原因が疑わしいので、「前後即因果の誤謬」という、時間の前後関係を因果関係と混同した虚偽の論法に似ている。アブダクションは非演繹的な推論という意味での広義の帰納的推論の一種に分類されることもある[2]。
論理に基づいたアブダクション[編集]
論理学では、説明はある領域を表現する論理的理論 、および観察の集合 、 から行なわれる。アブダクションは についての説明の集合を にしたがって導き、そしてそれらの説明のうち、捨象され得ずに残る一つを最終的に選択していく過程である。 が にしたがいつつ の説明であるためには、 は二つの条件を充足しなければならない。
- が、 かつ 、から導かれる。
- が と無矛盾である。
形式論理学では、 と はリテラルの集合であると想定されている。これら二つの文は が理論 にしたがいつつ の説明であるための条件である。通常これら二つの条件を充足する可能な説明 に対して、他の最小限の条件が課せられるが、これは( を内含することに寄与しない)的外れな事実がそれらの説明に含められることを避けるためである。アブダクションは の要素を選択する過程でもある。「最良の」説明を表現する一要素を選択する基準には、単純性が、より蓋然的であることが、ないしはその説明の説明力が、含まれる。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ a b 古代ギリシア語ラテン翻字: apagōgē
- ^ 井上はἀπαγωγήを還元法と訳している[1]。
出典[編集]
- ^ アリストテレス 著、井上忠 訳「第25章 還元[帰着法]」 『分析論前書』 第2巻、岩波書店〈アリストテレス全集〉、1971年。ISBN 9784000912815 。
- ^ 森田邦久『理系人に役立つ科学哲学』化学同人、2010年
関連文献[編集]
- 赤井清晃「アリストテレス『分析論前書』B25におけるアパゴーゲーについて」『シンポジオン』第44巻、1999年。
- アリストテレス 著、井上忠 訳「第2巻、第25章 還元[帰着]法」 『分析論前書』 1巻、岩波書店〈アリストテレス全集〉、1971年。
- 伊藤邦武「第四章 探究の本性とその方法」 『パースのプラグマティズム』勁草書房、1985年。
- 伊藤邦武「アブダクション」 『岩波哲学・思想事典』1998年。
- 伊東俊太郎「創造の機構 科学的発見の方法論的考察」『理想』第506巻、理想社、1975年。
- 魚津郁夫「5 パースの「アブダクション」と可謬主義」 『現代アメリカ思想』放送大学教育振興会、2001年。
- 上山春平「アブダクションの理論」 『上山春平著作集』 1巻、法藏館、1996年。
- NHK『ロンリのちから』制作班「07 仮説形成」 『ロンリのちから―イラスト・ストーリーで身につく』野矢茂樹 監修、三笠書房、2015年。
- 戸田山和久「6-5 ちょっと弱い論証形式の例②(アブダクション・仮説演繹法・アナロジー)」 『論文の教室』日本放送出版協会、2002年。
- 戸田山和久「第2章、2 ここで演繹と帰納について復習しよう」、「第2章、3 科学方法論としての仮説演繹法」『科学哲学の冒険』日本放送出版協会、2005年。
- 西脇与作「第3章、4 仮説の設定:最善の説明のためのアブダクション」 『科学の哲学』慶應義塾大学出版会、2004年。
- 野家啓一「6. 3 発見の論理」 『科学の哲学』放送大学教育振興会、2004年。
- 藤本隆志「アブダクション」 『記号学大事典』柏書房、2002年。
- 米盛裕二「第四章、四 論証の三分法」、「第四章、五 アブダクション」『パースの記号学』勁草書房、1981年。
- 米盛裕二「2-10 アブダクション」 『人工知能学事典』共立出版、2005年。
- 米盛裕二 『アブダクション 仮説と発見の論理』勁草書房、2007年。