草場良八

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草場良八
生年月日 (1925-11-16) 1925年11月16日(92歳)
出生地 大日本帝国の旗 大日本帝国福岡県
出身校 東京大学法学部

任期 1989年11月27日 - 1990年2月20日
任命者 第1次海部内閣

任期 1990年2月20日 - 1995年11月7日
任命者 第1次海部内閣
天皇 今上天皇
前任者 矢口洪一
後任者 三好達
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草場 良八(くさば りょうはち、1925年大正14年)11月16日 - )は、日本裁判官(刑事)。第12代最高裁判所長官

概要[編集]

1990年2月に最高裁長官に就任。長官就任の挨拶では「長年にわたって築き上げてきた司法のよき伝統を受け継ぎ、国民から一層、信頼されうる司法の確立のため全力を尽くす」と述べた[1]。司法行政では矢口前長官が敷いた司法制度の見直しの踏襲を明らかにした[1]。服部長官時代に始まった裁判官の民間会社や省庁への派遣研修では人員を40名に増やし参加させるなどした[1]。1992年3月13日に拘置質問の際に弁護士会が実施している当番弁護士制度を利用できることを容疑者に告知するように全国の地裁に指示した[2]

1995年2月には最高裁大法廷の裁判長としてロッキード事件丸紅ルートでは、19年前の1976年7月の藤林長官時代の最高裁裁判官会議でアメリカ側証人の刑事免責を保証した上で行われた嘱託尋問調書について証拠能力を否定する判決を出した[3]

1995年11月7日に最高裁長官の依願退官(最高裁長官の依願退官は日本国憲法下で初めて)[4]。これは11月下旬に高裁長官会合があり、草場退官に伴う高裁人事や新最高裁長官の管内事情把握のための時間的余裕を考慮した結果であった[4]

最高裁長官退官に先立ち首相だった村山富市に会いに官邸を訪ね、後任の最高裁判所長官に三好達を推薦したいと切り出したところ、「最高裁判所の判断を尊重する」と、草場案があっさり通った。この人事に関しては、前長官の矢口と草場との間で確執があったと囁かれたが、真意は定かではない。

草場を最高裁判所長官に決めるにあたり、矢口が「社会党が最高裁長官にリベラルな学者を据える可能性」に対して周到に準備したことは杞憂に終わった。歴代最高裁長官人事について、吉田茂田中耕太郎に固執し、佐藤栄作がリベラル派の田中二郎を排して、保守派の大物石田和外を登用した。それと比較して村山の判断は、三権分立の配慮はあったかもしれないが、政治的見地でみれば安易な決断であったと一部指摘されている。

退官にあたる挨拶では「裁判所に必要なのは見識。組織が生き生きとするためには、新しい血を入れる必要があるが、資格が要求される裁判所では簡単にいかない。裁判官が外の世界で新しいものを吸収して戻ってくることで裁判官に必要な見識が養われると思う」と裁判所活性化のために火との交流が必要と述べた[4]

略歴[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)98頁
  2. ^ 野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)191頁
  3. ^ 野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)68・98・99頁
  4. ^ a b c 野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)100頁

関連項目[編集]