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「杉浦幸」の版間の差分

* 1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系で放送された[[大映テレビ]]制作の[[テレビドラマ|ドラマ]]「[[ヤヌスの鏡]]」でヒロインとしてデビューし、アイドル女優として活躍した。歌手としては、デビュー曲「悲しいな」はオリコン・ウィクリーチャートで堂々4位初登場と好調な出足。当時、雑誌[[Momoco]]にて、同期アイドルデビューの[[西村知美]]、[[島田奈美]]等と猛プッシュされた。その後、彼女の持ち味の[[毒舌]]がいかされ、同期デビューの[[山瀬まみ]]をラジオ共演中泣かせたりもした(山瀬まみが、[[ガチャポン]]のガムベンダーを購入した事に対して、杉浦幸の「アホらしい、まみちゃん」の一言で)。1990年に入り、ホリプロを退社して移籍。その後は[[パチンコ]]への造詣を深めて、CSテレビ放送の番組のMCを担当している他、バラエティーやテレビショッピングにも出演している。
* TBS系の人気クイズ番組・「[[クイズダービー]]」にゲスト出演した際(当時19歳)、丸文字で答えを書くため、それを見た司会者の[[大橋巨泉]]はかなりにやけていた。巨泉は杉浦のことを「みゆきちゃん」と呼ぶが、当時2枠レギュラーに[[井森美幸]]が居たため、かつての[[斉藤慶子]]、[[竹下景子]]の「けいこちゃん」違いと同様紛らわしかったが、その時巨泉は井森を「イモリ」と苗字で呼んでいた。ゲスト出演時代の成績は4勝20敗、勝率1割6分6厘。ちなみに井森が2枠レギュラーに起用された時、杉浦もレギュラー候補に挙がっていた。
* [[2003年]]に[[TBSテレビ|TBS]]「ロンロバハイティーンブギ」で[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]の楽屋で歌手・[[森川美穂]]と、殴り合いの喧嘩をしたことも暴露する。(ADが止めにきてその場はおさまったらしいが、森川と横並びの時、目も合わせず募金をしてそうとのこと
* [[2005年]][[11月2日]]放送の[[愛のエプロン]]では80年代アイドル対決と称し初登場を飾り、[[オムレツ]]と[[ラザニア]]を作ったが、時間配分をミスしたためか[[オムレツ]]は全ての味がバラバラとなり、[[ラザニア]]はパスタは生のままだったのと[[チーズ]]と間違えて[[バター]]をブロックごと入れたため、バターがオーブンの熱で溶けてしまいその油分が底に溜まってしまった。このため結局ジャッジは最下位となり、今までこの番組で多くのジャッジマンを地獄へ導いた[[インリン・オブ・ジョイトイ]]や初代ワーストエプロン女王である[[堀越のり]]を越えると言われた。「エチケットタイム」(ジャッジマンがあまりのマズさに耐え切れず、リバースをすること)では、「ヤヌスの鏡」の映像が流れていた。
*デビュー20周年記念アルバム『STILL CONTINUING LIVING』が自主制作にてリリース。
*中学校時代、「売られた喧嘩は買う」がポリシーだったようで、よく喧嘩をしてたそう。
*未婚である。
*ドラマ「このこ誰の子?」に出演していた際、相手役である[[岡本健一]]のファンからカミソリやゴキブリの死骸が送られて来たことがあり、酷いときには段ボール2箱分もあった。さらに、イベントでその岡本と一緒に登場したときには「帰れ!」と罵声を浴びせられ、非常に落ち込んだ。また「ヤヌスの鏡」で共演した[[初井言榮]]には「(杉浦を)いじめないでください」との手紙が多数届いた。杉浦演ずる主人公を厳しくしつける役だったからだが、実際にはスタッフに叱られた際などに庇ってもらったなど本当に優しいいい人で、大好きだったと語っている。<ref>ハウス・オブ・ドレッド編著、「懐かしの青春ドラマ大図鑑」、ジャパン・ミックス㈱1997年6月25日発行(杉浦幸インタビュー、147ページ)</ref>
*雑誌のインタビューで、「嫌いな人を一箇所に集めて爆弾を投げてやりたい!」など彼女らしい発言も印象に残る。その他、TVにて視聴者の悩みに対し、「彼女をラブホテルに誘いたいが、勇気がないからどうすればいい?」という質問に対して、杉浦「男なんだから、強引に連れこめば!だらしない!ついてるもんついてるんでしょ!」と当時のアイドル歌手にしては過激な発言も。
 
==出演==
230,364

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