「ウガヤフキアエズ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Aitok I (会話 | 投稿記録)
Aitok I (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
16行目: 16行目:
|補足 =
|補足 =
}}
}}
'''ウガヤフキアエズ'''('''ウガヤフキアワセズ'''、'''鸕鶿草葺不合'''、『[[古事記]]』では鵜葺草葺不合)は、[[日本神話]]に登場する[[治天]]<ref>『[[本朝皇胤紹運録]]』。</ref>。[[地神五代]]および[[日向三代]]の一人。[[神武天皇]](初代[[天皇]])の父として知られる。
'''ウガヤフキアエズ'''('''ウガヤフキアワセズ'''、'''鸕鶿草葺不合'''、『[[古事記]]』では鵜葺草葺不合)は、伝承上の[[上古#日本|上古]][[日本]]の[[治天]]<ref>『[[本朝皇胤紹運録]]』。</ref>。[[地神五代]]および[[日向三代]]の一人。[[神武天皇]](初代[[天皇]])の父として知られる。


全名は'''彦波瀲武&#x9e15;&#x9dbf;草葺不合'''(ひこ なぎさ たけ うがやふきあえず、『古事記』では天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(あまつひだか ひこ なぎさ たけ-))。
全名は'''彦波瀲武&#x9e15;&#x9dbf;草葺不合'''(ひこ なぎさ たけ うがやふきあえず、『古事記』では天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(あまつひだか ひこ なぎさ たけ-))。

2018年8月9日 (木) 15:25時点における版

ひこなぎさたけうがやふきあえず

彦波瀲武鸕鶿草葺不合
墓地 吾平山上陵
民族 天孫族
職業 治天
時代 神代
活動拠点 西洲の宮
配偶者 玉依姫
子供 彦五瀬稲飯三毛入野磐余彦(神武天皇)
父:火折、母:豊玉姫
テンプレートを表示

ウガヤフキアエズウガヤフキアワセズ鸕鶿草葺不合、『古事記』では鵜葺草葺不合)は、伝承上の上古日本治天[1]地神五代および日向三代の一人。神武天皇(初代天皇)の父として知られる。

全名は彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこ なぎさ たけ うがやふきあえず、『古事記』では天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(あまつひだか ひこ なぎさ たけ-))。

名称

日本書紀』によれば、鸕鶿草葺不合が誕生した産屋は全て鸕鶿(う)の羽を(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。これにより、母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあわせず)」と名付けたという。

なお、鵜戸神宮宮崎県日南市)はこの時の産屋の跡と伝えられる[2]

系譜

日本書紀』によれば、父は火折、母は豊玉姫。『先代旧事本紀』によれば、異母弟に武位起がいる。

  • 妃:玉依姫(たまよりびめ)
    海童の娘で、鸕鶿草葺不合から見れば叔母にあたる。

以上は『日本書紀』本文によった系譜であるが、生まれた子については諸書で異同がある。以下の通り。

史料 第1子 第2子 第3子 第4子
日本書紀 (本文) 彦五瀬 稲飯 三毛入野 神日本磐余彦
第1の一書 彦五瀬 稲飯 三毛入野 [注 1]
神日本磐余彦[注 2]
第2の一書 彦五瀬 稲飯 いわびこ
神日本磐余彦
第3の一書 彦五瀬 稲飯 神日本磐余彦火々出見 わか三毛野
第4の一書 彦五瀬 磐余彦火々出見 ひこ稲飯 三毛入野
先代旧事本紀 彦五瀬 稲飯 三毛野 磐余彦
古事記 いつ いな わか御毛野
とよ御毛沼
かむやまと

系図

                           
 
 
 
天照大神(アマテラス)
 
 
 
 
 
 
須佐之男命(スサノオ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天忍穂耳命(アメノ オシホ ミミ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
栲幡千千姫(タクハタチヂ ヒメ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
邇邇芸命(ニニギ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
木花之佐久夜毘売(コノハナノ サクヤ ビメ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
火遠理命(ホオリ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊玉姫(トヨタマ ヒメ、アマテラスの姪)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鸕鶿草葺不合命(ウガヤ フキアエズ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
玉依姫(タマヨリ ヒメ、トヨタマヒメの妹)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
若御毛沼命(ワカミケヌ、神武天皇、四男)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメ タタラ イスズ ヒメ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彦五瀬命(ヒコイツセ、長男)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
稲飯命(イナイ、二男)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三毛入野命(ミケイリノ、三男)
 
 
 
 
 
 
 
火闌降命(ホスソリ)- - - 隼人
 
 
 
 
 
 
 
火明命(ホアカリ) - - - 尾張氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天穂日命(アメノ ホヒ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天甕津日女神(アメノ ミカツ ヒメ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出雲氏
 
 


記録

日本書紀』『古事記』『先代旧事本紀』のいずれにも、鸕鶿草葺不合の事績に関する記載はない。

日本書紀』は、鸕鶿草葺不合が崩御した地を「西洲の宮(にしのくにのみや)」と記す。

天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
吾平山上陵鹿児島県鹿屋市

(みささぎ)は、宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山にある吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)に治定されている(北緯31度17分16.64秒 東経130度54分54.78秒)。宮内庁上の形式は洞穴。

埋葬地は、日本書紀に「日向の吾平山上陵」と記載があるが、その伝承の地は南九州各地にある。明治7年に明治政府は、それらの中から旧薩摩藩の学者の意見を参考に鹿児島県鹿屋市(旧 肝属郡吾平町)鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を吾平山上陵に治定した。現在は宮内庁書陵部が管轄している(他の日向三代の神陵も鹿児島県内に治定)。

しかし日向国の人々からの反論が強く、国学者や宮内庁の調査によって、明治29年に鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。他に宮崎県西臼杵郡高千穂町とする説もある。

脚注

注釈

  1. ^ 「狭野と称すは、是年少時の号なり。」と記される。
  2. ^ 「後に天の下を撥い平らげて八洲を奄有す。故復号を加えて神日本磐余彦尊と曰す。」と記される。

出典

  1. ^ 本朝皇胤紹運録』。
  2. ^ ご由緒 - 鵜戸神宮(2018年7月27日午後6時35分(JST)閲覧)

参考文献

  • 近藤敏喬 編『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年、7頁頁。ISBN 4-490-20225-3 

関連項目