吾平山上陵

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吾平山上陵(鹿児島県鹿屋市吾平町上名52560の1)

吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ/あいらのやまのえのみささぎ)は、ウガヤフキアエズ天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊)とタマヨリビメ玉依姫)の可愛山陵高屋山上陵とともに神代三山陵の一つ[1][2]。明治政府により1874年(明治7年)、鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を「吾平山上陵」(現・鹿児島県鹿屋市吾平町上名)に治定した。現在、宮内庁書陵部が管轄している。

概略[編集]

延喜式』に、「日向国吾平山上陵彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊在日向国陵戸」(は返り点)とあり、『日本書紀』に、「崩西州之宮、因葬日向」吾平山上陵」(は返り点)とある。平安時代にはすでに陵戸が無かったが、1874年(明治7年)7月10日に政府は肝属郡姶良郷上名(かんみょう)村に治定を見た[3]

鹿屋市吾平町の吾平山上陵は「小伊勢」ともいわれ、1935年(昭和10年)には昭和天皇が、1962年(昭和37年)には皇太子(今上天皇)・皇太子妃(皇后美智子)が参拝している。1936年(昭和11年)に建立された昭和天皇の参拝記念碑は、1938年(昭和13年)10月15日の水害(肝属川を参照)で流出したが、1990年(平成2年)に河川整備事業の最中に発見され再び建立された[4]。山陵内には「鵜戸六社権現」があった[5]が、1871年(明治4年)の災害により現在地(鹿屋市吾平総合支所⦅旧吾平町役場⦆の南隣)に遷座し、名称も鵜戸神社に改められている。

脚注[編集]

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  1. ^ 奉祝会、1940。
  2. ^ 現地看板『吾平町観光ガイド』 2008年1月3日閲覧。
  3. ^ 現地看板『吾平山上陵(吾平山陵)』 吾平町、1997年(平成9年)3月修正、2008年(平成20年)1月3日閲覧。
  4. ^ 現地看板『昭和天皇行幸記念碑 土埋木について』 2008年(平成20年)1月3日閲覧。
  5. ^ 三国名勝図会』などを参照。

参考文献[編集]

  • 紀元二千六百年鹿児島県奉祝会『神代三山陵に就いて』、紀元二千六百年鹿児島県奉祝会、1940年

外部リンク[編集]

座標: 北緯31度17分16.64秒 東経130度54分54.78秒 / 北緯31.2879556度 東経130.9152167度 / 31.2879556; 130.9152167 (吾平山上陵(伝天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊陵))