吾平山上陵
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天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
吾平山上陵 拝所
吾平山上陵 拝所
吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ/あいらのやまのえのみささぎ/あいらさんりょう/あいらさんじょうりょう)は、鹿児島県鹿屋市吾平町上名にある皇族陵。宮内庁により天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の陵に治定されている。
可愛山陵(鹿児島県薩摩川内市、瓊瓊杵尊陵)・高屋山上陵(鹿児島県霧島市、彦火火出見尊陵)と合わせて「神代三陵(神代三山陵)」と総称される。
概略[編集]
『日本書紀』に、「崩二西州之宮一、因葬二日向」吾平山上陵一」(一、二は返り点)とあり、『延喜式』に、「日向国吾平山上陵彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊在二日向国一無二陵戸一」(一、二は返り点)とある。平安時代にはすでに陵戸が無かったが、1874年(明治7年)7月10日に政府は肝属郡姶良郷上名(かんみょう)村に治定を見た[1]。
鹿屋市吾平町の吾平山上陵は「小伊勢」ともいわれ、1935年(昭和10年)には昭和天皇が、1962年(昭和37年)には皇太子(第125代天皇上皇明仁)・皇太子妃(上皇后美智子)が参拝している。1936年(昭和11年)に建立された昭和天皇の参拝記念碑は、1938年(昭和13年)10月15日の水害(肝属川を参照)で流出したが、1990年(平成2年)に河川整備事業の最中に発見され再び建立された[2]。山陵内には「鵜戸六社権現」があった[3]が、1871年(明治4年)の災害により現在地(鹿屋市吾平総合支所⦅旧吾平町役場⦆の南隣)に遷座し、名称も鵜戸神社に改められている。
鵜戸神社(鹿屋市吾平町麓)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 紀元二千六百年鹿児島県奉祝会『神代三山陵に就いて』、紀元二千六百年鹿児島県奉祝会、1940年
関連項目[編集]
座標: 北緯31度17分16.64秒 東経130度54分54.78秒 / 北緯31.2879556度 東経130.9152167度