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| 名前 = さかもと 未明
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| 本名 = 武田 明美
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| 職業 = [[漫画家]] [[作家]] [[芸術家|アーティスト]]
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| 活動期間 = [[1989年]] -
| field = [[漫画家]]<br/>[[歌手]]<br/>[[ジャーナリスト]]<br/>[[作家]]<br/>[[コラムニスト]]<br/>[[表現者]]
| ジャンル = [[成人向け漫画|官能漫画]]<br />時事漫画<br />[[幼年漫画|児童漫画]]
| training = [[玉川大学]]文学部英米文学科・卒業
| 代表作 = 『ニッポンの未明』<br />『未明日記』<br />『のんのんのんちゃん』
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| 公式サイト = [http://www.sakamotomimei.com/ さかもと未明公式ホームページ]<br />[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei さかもと未明の和みカフェ?]
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{{漫画}}
{{漫画}}
'''さかもと 未明'''(さかもと みめい、[[1965年]]〈[[昭和]]40年〉[[10月21日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[作家]]、[[コメンーター]]である本名は'''安西 明美'''(あんざい あけみ)
'''さかもと 未明'''(さかもと みめい、[[1965年]]〈[[昭和]]40年〉[[10月21日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[作家]]、[[芸術家|アーィスト]]。「MIMEIDIA」社長

本名は'''武田 明美'''(たけだ あけみ)。旧姓、安西(あんざい)<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] p.22</ref>。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[神奈川県立厚木高等学校]]を経て、[[玉川大学]]文学部英文学科卒業。


== 人物・経歴 ==
== 人物・経歴 ==
=== 子供時代 ===
[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[神奈川県立厚木高等学校]]を経て、[[玉川大学]]文学部英文学科卒業。
[[アスペルガー症候群]]を始めとする絡み合った発達障害を抱えながら、それが「甘え」だとして両親に理解されず、幼少期より苦しみ続けた<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] p.34</ref>。加えて、普段は温和な父親が酒を帯びると一変し、母親に激しい暴力をふるい、家財を壊していった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.65-66</ref>。怒号や悲鳴が響き、物の壊れる音が飛び交う中、さかもとは妹たちとその都度家の隅に固まって、胃が縮み上がる思いをしながら嵐が過ぎ去るのを待つ恐怖感を味わい続ける<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.66</ref>。やがて、自分が父や母を殺してしまう夢を何度も見るようになった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.69-72</ref>。


[[厚木市|厚木市内]]に引っ越してきた9歳のころより、試験では百点ばかり取る半面<ref>[[#さかもと2013|さかもと2013]] p.81</ref>、運動がまるで苦手で「変わった子」とからかわれ<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.16</ref>、いつもクラスメイトに泣かされいじめにおびえる毎日<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.72-74</ref>、ひとりぼっちでコンパスや定規を用いて幾何学模様を描いたり、[[藤城清治]]の絵本を読んだりして過ごす<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.20</ref>。産経新聞に連載されていた[[手塚治虫]]の『[[海のトリトン]]』や<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.62</ref>『[[きりひと讃歌]]』に触れ<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.20</ref>、また学級文庫の漫画や<ref name="2009-79">[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.79</ref>、児童館の図書室にて大人向けの内外の名作小説を次々に読み、「漫画家になりたい」「ものを書く人間になりたい」と意識するようになった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.73</ref>。学年が進むにつれていじめの被害は軽減し、友人も得るようになった<ref name="2009-79" />。中学時代は保健室で寝ている日が多かったものの、体育を除いて学年で一、二を争う優秀な成績を収める<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.83-84</ref>。3年生の折に[[集英社]]の[[別冊マーガレット]]に漫画を応募し、入賞を果たした<ref>[[#さかもと2012|さかもと2012]] p.70</ref>。
学生時代から[[いじめ]]や両親の無理解に苦しんでいた。大学卒業後の[[1988年]](昭和63年)、[[商社]]の[[OL]]となったものの、[[うつ病]]の発症から会社を休みがちになり、およそ3ヵ月で解雇された。解雇をきっかけに「いつか自分のように、家族の問題や生きづらさに悩む人の心に届く作品を書きたい。」と表現者になることを決意。


{{Quotation|漫画の主人公たちは、どんなときもへこたれたりしなかった。わたしもそんな大人になれたらいい。今はまだ子供で、何の力もないけれど、いつか強い大人になって、絶対に思い通りに生きる。(中略)わたしはいつか漫画家か、作家か、なにかそういう、人の心を表現するものにならなくちゃいけない。なれるかわからないけど、なりたい<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.81</ref>。}}
主婦を経て、翌[[1989年]]([[平成]]元年)、漫画家としてデビュー<ref>[http://www.cafeglobe.com/career/interview/int_vol74.html キャリアインタビューさかもと未明2003年12月3日]</ref>。主に[[レディースコミック]]誌などに作品を発表、人気を得た。また、[[小説]]の執筆、[[音楽アルバム]]の発表なども行っている。


厚木高校に入学後、美術部の入部を希望したが、出費がかさむと母親に猛反対される。「わたしの夢は、母の負担になること」と意識するこのころ<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.86</ref>、中学時代からの親友が不慮の事故死を遂げる<ref>[[#さかもと2013|さかもと2013]] pp.131-134</ref>。やがて何事にも無気力になり、常に倦怠感に包まれるようになった。頭痛や腹痛に悩まされ、布団から起き上がれず、夜も眠れず[[リストカット]]を繰り返すようになったほか<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.90-91</ref>、体重が40キロを切るほどの[[摂食障害]]になり<ref name="2014-69">[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.69</ref>、しばしば朝礼や授業中に倒れ<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.88</ref>、[[不登校]]にもなっていた<ref name="2014-69" />。毎週のように母親に病院へ連れていかれるも脳や胃腸に何の疾患も見つからず、精神科に回されることになったが、母親からは「[[うつ病]]なんてただの甘え」<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.91</ref>、「みっともない」と取り合ってもらえなかった<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] pp.69-70</ref>。その後、学校からの要請も入り、隔週程度での投薬とカウンセリングで精神科への通院を開始<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.102</ref>。カウンセラーとの面談を通じて心の隙間を埋めていったものの<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] pp.103-105</ref>、その辛さをまったく理解しようとしない母親への嫌悪感は募るばかりだった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.91-92</ref><ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] pp.70-71</ref>。
[[論客]]としても知られるようになり、[[保守系]]の[[マスメディア]]への出演も多い。[[男女同権|男女平等]]の概念については、生物学の観点(出産適齢期間の違いなど)から否定し、「生物学的にも、男女平等はうそ。女は消耗品」と述べている<ref name="sponichiannex20120623">{{Cite news
| url = http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/06/23/kiji/K20120623003525490.html
| title = さかもと未明さん 開業医と再婚していた「女の幸せはキャリアでなく結婚」
| newspaper = [[スポーツニッポン]]
| date = 2012-06-23
| accessdate = 2012-06-23
}}</ref>。[[ジェンダーフリー]]については、男性への敵意や、女性であることが不幸であるという発想があるとして、反対の立場をとる<ref>{{Cite news | url = http://www.worldtimes.co.jp/book/danjyo/1-1-1.html | title = ここがおかしい「男女共同参画」 〜暴走する「ジェンダー」と「過激な性教育」〜 第1部 第1章 1 家族破壊のジェンダーフリー思想 | publisher = [[世界日報 (日本)|世界日報]] | date = 2005-05-20 | accessdate = 2014-09-12 }}</ref>。


高校ではほとんど授業を受けず惨憺たる成績だったが<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.117</ref>、推薦入試で<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] pp.173-174</ref>玉川大学に入学<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.93</ref>。ふんわりとした柔らかな学風が合い、夢中で勉強し<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.189</ref>、休みには家を出るための資金作りとしてアルバイトで働き詰め<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.95</ref>、卒業までに250万円を貯めこんだ<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.97</ref>。そして、母親に急き立てられるままに就職と下宿先を決めた<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.200</ref>。しかし、引っ越しを前に「就職するより漫画を描いていたい」と後悔し始める<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.201</ref>。その胸の内を両親に打ち明けたところ烈火のごとく怒られて、翌日には母親から家中のさかもとの荷物を外に放り出された<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.103-98</ref>。[[自衛官|海上自衛官]]だった<ref>[[#さかもと2007|さかもと2007]] p.32</ref>中学時代の同窓生に連絡して荷物を下宿先に運んでもらい、この日限りで実家を出ることを決意した<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.104</ref>。
漫画執筆の傍ら『[[新潮45]]』などに体験ルポやエッセイを発表。[[2000年]](平成12年)に新潮社から「突撃!自衛隊」を上梓した。作家としては同年、文芸雑誌 『[[文學界]]』(文藝春秋)に作品を発表した。


=== 漫画家デビュー ===
[[2003年]](平成15年)には、自著の単行本などでヌードグラビアを発表。『[[SPA!|週刊SPA]]』で時事批評漫画の漫画『ニッポンの未明』連載開始。ニュータイプの保守論客漫画家として脚光を浴びる。その後、女性誌の人生相談ページなどでも人気を得て、初の美容本「さかもと未明の美人革命」が10万部を越えるヒットとなる。並行して、[[講談社]]より神話や歴史をテーマにした書下ろしを刊行。7年をかけた「マンガ/ローマ帝国」はイタリアでも翻訳された。
大学卒業後の[[1988年]](昭和63年)、アパレル商社の[[OL]]となったものの、不安や神経症状にさいなまれて業務を遂行することができず<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.202</ref>、2度の退職勧告を受けて入社3か月後に自主退職<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.203</ref>。退職してほどなく「漫画を応援したい」と言ってくれた件の同窓生と結婚した。日中は主婦業の傍ら義父の営む設計事務所の事務仕事を手伝い、夕方から夫の帰宅する午後10時過ぎまで投稿漫画を描き続けた。あいにく仕事には結びつかず、[[レディースコミック]]誌の編集者に電話をして3回限りで使ってもらうこととなった<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] pp.236-237</ref>。[[1989年]]([[平成]]元年)、[[日本文芸社]]『ノワール』に[[成人向け漫画|官能漫画]]『セカンドフライト』を発表し、漫画家としてデビューする<ref name="nonnon">『のんのんのんちゃん①』 作家プロフィール</ref>。描き手がいくらでも求められた[[バブル時代]]において、またたく間に人気を博した。いきおい義父の手伝いはできなくなり、夜通し漫画を描き続ける毎日となった<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.238</ref>。夫はさかもとの描く官能漫画に困惑し、子供がほしいと希望<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.239</ref>。学童期や思春期の辛い記憶から「子供を産むことが善だと納得できなかった」<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.241</ref>さかもとは漫画を描き続ける道を選び、これがために2年で離婚することとなった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.50-53</ref>。


{{Quotation|閉じこもって切磋琢磨したその後でないと、ちゃんとそういう(一流の)作家さんに並んで作品を描けるようにならないから、わたしはお外で遊ぶ資格なんかない。わたしは自分の失われた十代をそうしてとり戻さないと、表現者として、まにあわない<ref name="2009-56">[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.56</ref>。}}
[[2004年]](平成16年)[[8月]]からは、[[日本文化チャンネル桜]]([[スカパー!プレミアムサービス|スカイパーフェクTV!]]767ch)の番組、「週刊ほめ殺し」にレギュラー出演。翌年[[10月1日]]からは、[[産経新聞]]にて時事漫画「憂ちゃんの おしえてプリーズ!」の連載を開始した。


離婚後、単身で<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.53</ref>[[小金井市|小金井市内]]に住まいを移し<ref name="2009-244">[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.244</ref>、大量のコーヒーと煙草を手に<ref name="2009-18">[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.18</ref><ref>[[#さかもと2013|さかもと2013]] p.138</ref>、夕方前から朝まで原稿を描く生活を続けた。多忙を極めたが仕事が舞い込み、この時期はほとんど精神科を受診することはなかった<ref name="2009-244" />。ごくたまに、近所のレストランでジャズの生演奏をしていたギタリスト[[光井靖]]から、ギターのレッスンを受けるのが息抜きのひととき<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.22,196-199</ref>。結婚を意識するような出会いに恵まれるも、交際自体を負担に感じてしまい、相手の気持ちに沿うことができず、恋愛を実らせることはできなかった。「(わたしには)誰かを好きになる資格なんかない」と、次々に仕事を埋めていく毎日を過ごした<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.53-58</ref>。
また、[[2006年]](平成18年)より、『[[スッキリ!!]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])に、金曜日担当のレギュラーコメンテーターとして出演した。


=== 活躍の場の拡大 ===
[[2005年]](平成17年)頃から体調が悪化し、[[2007年]](平成19年)に[[膠原病]]([[全身性エリテマトーデス]]、[[全身性強皮症]]、[[シェーグレン症候群]])と診断される<ref>{{Cite news | url = http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=29312 | title = さかもと未明さんが語る (1) 告知でまず 「お金と仕事」 考えた | work = ヨミドクター | publisher = [[読売新聞]] | date = 2010-08-13 | accessdate = 2013-11-10 }}</ref>。以降、闘病しながら執筆活動を続けている。また、歌手として、チャリティーコンサートを行うなど、漫画製作の傍らアーティストとして活動を広げている。
「官能」出身と色をつけて見られることに反発し<ref name="2014-248">[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.248</ref>、漫画執筆の傍ら[[2000年]](平成12年)に[[新潮社]]から『突撃!自衛隊』を上梓。同年、文芸雑誌 『[[文學界]]』([[文藝春秋]])にも処女作『花悩』を発表して作家デビューするなど<ref name="nonnon" />、硬派な仕事を好んで受けるようになった<ref name="2014-248" />。この時期に『[[新潮45]]』に体験ルポやエッセイを発表し始める<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.29</ref>。取材の過程で訪れた[[西村眞悟]]の出陣式にて、西村より[[北朝鮮拉致問題]]について取材してほしいと要望を受け、[[北朝鮮による拉致被害者家族連絡会]]の街宣活動に参加し、その場で[[横田滋]]・[[横田早紀江|早紀江]]夫妻と面会。横田夫妻とはこのときより親交を深めている<ref name="sc45">さかもと未明 「<横田夫妻>のいま 放置された拉致問題とその家族」『新潮45』2017年2月号 pp.84-91</ref><ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.35-36</ref>。後日、[[扶桑社]]『[[SPA!|週刊SPA!]]』の編集長に、この取材を基にした拉致問題に関する漫画コラムの資料を提出し、時事批評漫画の連載話がまとまる。ここでさかもとは自身のヌード写真の口絵掲載を提案。編集長より快諾を受けて、[[2003年]](平成15年)に『ニッポンの未明』連載を開始した<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.37</ref>。4年半にわたって続いたこの連載を通じて数々の国会議員や著名人と交流し<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.38</ref>、ニュータイプの保守論客漫画家として脚光を浴びた。


その他、和風情緒に惹かれ、[[向島 (墨田区)|向島]]にある[[料亭]]のお座敷係を経て<ref>[[#さかもと2012|さかもと2012]] pp.83-88</ref>、[[銀座]]の[[クラブ_(接待飲食店)|クラブ]]で[[ホステス|ヘルプ]]としても働くようになる<ref>[[#さかもと2012|さかもと2012]] pp.88-93</ref>。ブログ『さかもと未明のアメーバ的告白』とサイト『さかもと未明愛の教習所』の運営も開始<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/70623e36e14c17f2172dd5474afbce95 さかもと未明の和みカフェ? ネットの世界に帰ってきました]</ref>。女性誌の人生相談でも人気を得て、初の美容本『さかもと未明の美人革命』が10万部を越えるヒットとなる。並行して、禁煙の動機をつくろうと歌のレッスンを始め、一日60本消費していた煙草をきっぱりと止めた<ref name="2009-18" />。
[[2012年]](平成24年)、「再生[[日本航空|JAL]]の心意気」と題されたコラムを[[Voice_(雑誌)|Voice]]12月号にて発表<ref>[http://shuchi.php.co.jp/article/1229 再生JALの心意気] - PHPビジネスオンライン 衆知</ref>。飛行機の中で泣き叫ぶ1歳くらいの赤ちゃんに対してさかもとが"ブチ切れ"、「もうやだ、降りる、飛び降りる!」と着陸準備中の機内を出口に向かって走り始めたことを記している。さかもとは陸に降りても激しくクレームをし続けたとのこと。さかもとによる母子への対応、機内での行動が話題となった<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/7158230/ さかもと未明氏、飛行機で泣く子供にブチ切れたことを告白 ツイッターで物議醸す] - livedoor ニュース</ref><ref>[http://www.rbbtoday.com/article/2012/11/20/98074.html 「子供は泣くさ」 物議醸した“搭乗マナー”問題、つんくや乙武さんの発言に共感の声多数] - RBB TODAY</ref><ref>[http://blogos.com/article/50669/ さかもと未明女史、飛行機中で赤ちゃんに泣かれて逮捕寸前のクレームを起こす] - BLOGOS</ref>。


扶桑社の編集者[[平田静子]]の提案により、[[2005年]](平成17年)[[10月1日]]から[[産経新聞]]にて時事漫画『憂ちゃんの おしえてプリーズ!』の連載を始める<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.42</ref>。同年に平田の紹介から芸能事務所[[サニーサイドアップ (PR会社)|サニーサイドアップ]]<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/89a1b2ecdd44aa04aed382b201bc9981 さかもと未明の和みカフェ? メッセージです。and駒!!]</ref>に所属し<ref name="2009-18" />、その結果[[2006年]](平成18年)より『[[スッキリ!!]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])に、金曜日担当のレギュラーコメンテーターとして出演することとなった<ref name="2009-18" />。4人の常駐アシスタントと数人の主婦アルバイトを雇っていたが<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.179</ref>、仕事は多忙を極め、湯船につかる時間もなく睡眠時間は5時間未満、一日のうち15時間から18時間を仕事に充てた<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.26</ref>。事務所社長[[次原悦子]]の指示を受け、長年続けてきた官能漫画の仕事を整理し、歌のレッスンも中止。また毎日の大量飲酒により[[アルコール依存症]]を疑われるほどだったが、この機会に断酒も果たす<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] pp.85-86</ref>。著名人との交流の場では和装を常として[[エルメス]]のバッグを合わせ、上品なふるまいを意識するようになった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp106-109</ref>。仕事環境の変化に伴って交流する人間は激変した一方で、プライベートにて横田夫妻や漫画家[[槇村さとる]]との変わらぬ付き合いを楽しんだ<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp115-119</ref>。
現在は、月刊「WizBiz」で、自身の経験、対談を元にコラムを執筆。集英社「YOU」で、不定期で読みきり漫画を発表している。WAC「歴史通」においては、自身の家族史をベースにした小説『夕焼け家族』を執筆中。


[[2007年]](平成19年)には、中断していたブログを一新して『さかもと未明の和みカフェ?』として再開し<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/70623e36e14c17f2172dd5474afbce95 さかもと未明の和みカフェ? ネットの世界に帰ってきました]</ref>、18年ぶりに実家への帰省を果たした<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/d1056137c5a687df3933da7794cc1ca5 さかもと未明の和みカフェ? 18年ぶり!に実家]</ref>。[[講談社]]より神話や歴史をテーマにした書き下ろし『マンガ ローマ帝国の歴史』全3巻を刊行。制作費450万円を投じ<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.39</ref>、7年をかけたこの書籍は、海外でも翻訳出版された<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.130</ref>。また、同年初秋より講談社『[[MiChao!]]』に連載する<ref name="nonnon" />子供向け漫画のオファーを二つ返事で受諾し、『のんのんのんちゃん』に没頭する。レディースコミックの枠を越え、子供を勇気づけるテーマで漫画を描けることに喜びを抱いた<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.211-213,220</ref>。
2008年(平成20年)[[11月]]には、[[山形県]][[天童市]]で行われた国際将棋トーナメントBクラスに日本代表として参加しているが、結果は「自分で自分の歩を取る」という大技で敗退。[[佐藤康光]]に「なかなか出来ないことです」とコメントされた。


=== 膠原病と歌 ===
2011年(平成23年)4月7,8日[[東京都]][[文京区]]の[[椿山荘]]にて第69期[[名人戦 (将棋)|名人戦]]開幕戦(名人 [[羽生善治]] 対 挑戦者[[森内俊之]])でナビゲーターとなる。
2005年半ばより、目の異常な乾きで[[コンタクトレンズ]]が使用できなくなった<ref name="2009-122">[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp122-125</ref>。これを皮切りに、さまざまな疾患を意識するようになる。2006年には何日も40度を超える高熱が続いたが、原因はつかめなかった<ref name="mr-b">[http://www.sakamotomimei.com/mimeiroom.html Mimei's Room Biography]</ref>。疲労感を覚え、脱毛症や発疹、手足の冷えに悩まされて自宅の掃除もままならず、大量の着物も脱ぎっぱなしでさながら[[ごみ屋敷]]同然になる<ref name="2009-122" />。睡眠薬を手放せなくなり、戸締りを執拗に確認せずにはいられなくなる[[強迫性障害|強迫神経症]]にも悩まされ、徐々に仕事に支障をきたすようになった<ref>[[#さかもと2012|さかもと2012]] pp111-112</ref>。『マンガ ローマ帝国の歴史』刊行後には[[三枝成彰]]らに誘われ海外旅行に出かけるも、青い海を見るにつけ倦怠感に襲われ、激しい吐き気や頭痛に悩まされて、一人ホテルで休養せざるを得なくなった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp130-132</ref>。


2007年11月、ひどい疲労感とともに両手指が腫れて痛み、指先に暗褐色の出血点が見つかる。意を決し[[山王病院]]を経由して<ref name="mr-b" />[[東京大学医学部付属病院]]にて<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.254</ref>検査を受けた結果、[[膠原病]]([[全身性エリテマトーデス]]、[[全身性強皮症]]、[[シェーグレン症候群]])と診断され<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.12</ref><ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] pp.257-260</ref><ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] p.89</ref>、手が動かなくなる可能性が高いことと、日常生活におけるさまざまな注意事項を告げられる<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.133-137</ref>。その数日後、自宅に両親を呼んで診察結果を説明しながら、自らの心の鎮静に努めた<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.146-153</ref>。複数の病院を受診して治療に関する情報を収集し、知己である[[日野原重明]]からの手紙も受けたうえで<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.138,158</ref>、最終的に東大病院への通院治療を決める<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.156-158</ref>。
2012年(平成24年)4月10,11日[[東京都]][[文京区]]の[[椿山荘]]にて将棋名人400年記念 第70期[[名人戦 (将棋)|名人戦]]開幕戦(名人 [[羽生善治]] 対 挑戦者[[森内俊之]])で、前年に引き続きナビゲーターとなる。


所属事務所はさかもとの病気に理解を示し、契約を維持しつつ各種検査をスムーズに受けられるように取り計らった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.153-154</ref>。両親や<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.170-173</ref>アシスタントたちの支えを得て仕事は続け<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.179-181</ref>、特定疾患医療費助成制度の認定も受けた<ref name="2019-182">[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.182</ref>。しかし、その後も症状や体調の悪化は進み<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.159</ref>、あまりの痛みに字を書きづらくなり<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.164</ref>、仕事以外では誰にも会わず、原稿に臨む時間を除けば自宅就寝、通院に限られる生活となり<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.167</ref>、空を見上げては涙がこぼれて止まらなくなった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.169</ref>。
会社員を退職した後、22歳で中学時代の同窓生と結婚。25歳で離婚した。「私の漫画家デビューを応援してくれた恩人でしたが、現実の漫画家生活には残念ながら理解を得られませんでした。」と、自身のインタビューで語っている。


仕事の柱であった『ニッポンの未明』『憂ちゃんの おしえてプリーズ!』の連載終了が相次いで決まる<ref name="2019-182" />。論壇系の仕事依頼も途絶え<ref name="2009-191">[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.191</ref>、ひたすらに病気の回復を願いながらも<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.175</ref>「人間関係も仕事の仕方も切り替えて、新しく生き直さなければいけない」と決意<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.181</ref>、自分と向き合いながら、相手に共感の言葉を与えられる存在になりたいと思い至る<ref name="2009-191" />。
[[2007年]](平成19年)、診断を受けた時、手が動かなくなる可能性が高いこと(漫画家として活動できなくなる事実)を知り、歌のレッスンを始め、知人のミュージシャンらと音楽活動を始めた。その経緯は自著『神様は、いじわる』(文春新書)に詳しく内容が記されている。[[2010年]](平成22年)冬に、筋肉の拘縮が進んで[[身体障害者手帳]]の障害認定を受けた。その後、投薬と休養、食事療法とリハビリテーションにより、[[2011年]](平成23年)現在、回復傾向にあることが[[ブログ]]に記されている。


{{Quotation|どんなに前向きに慰められようと、死ぬときは死ぬ。なおらないものはなおらない。そういう「どうしようもないもの」に突き当たった人に必要なのは、ただより添う気持ちだけだ。自分を心配してくれる人がいると思うだけで、人は安らかになれるのじゃないかしら。わたしはそんないまわの際の人の心にも、そっと忍び込むような言葉や作品をかけられるようになりたい<ref name="2009-191" />。}}
[[2010年]](平成22年)に、チャリティーコンサートを支援した医師の妻に不倫したとして訴えられ、週刊誌などに報道されたが、[[2011年]](平成23年)2月に、{{要出典|=告訴を取り下げられた|date=2012年11月}}ことが、東京スポーツに報じられた。


まず、槇村さとるを訪れ、病状説明とともに漫画家の続行意志と歌の勉強再開の意欲を話し、集英社の雑誌への漫画掲載の助力を得る<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp191-195</ref>。翌日に光井靖のもとへ行き、ジャズボーカルをやりたい旨を懇願<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.201</ref>。光井はさかもとに合いそうな曲を作曲してはその楽譜をさかもとの自宅まで持参し、光井の伴奏で歌ってみるレッスンを始めることとなった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.207</ref><ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] p.174</ref>。その後、光井の提案から門下の女性ジャズバンド[[鳥尾さん]]を紹介され<ref name="2016-175">[[#さかもと2016|さかもと2016]] p.175</ref>、毎週のように彼女たちが出演するライブハウスで飛び入りで歌わせてもらったり、レッスンを受けたりした<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.208-209</ref>。さかもとがライブハウスで歌う際には、帽子にハイウエスト切り替えのワンピースを着用し、キャンディーのように甘い声で歌いたいとの思いを込めて、自身を「'''チェルシー'''」と名乗る。そこで玉川大学の後輩であるピアニスト[[遠藤征志]]とも合流し、シンガーとしての活動の幅を広げてゆく<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.216-219</ref>。彼らとの交流を経て、「歌うことが生きるための杖になる」と意識するようになった<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.211</ref>。
[[2012年]](平成24年)1月、横浜市内の55歳の開業医と再婚した<ref name="sponichiannex20120623"/>。

槇村さとるから紹介された集英社の編集者との打ち合わせにて、将棋をテーマにした漫画を模索。[[日刊スポーツ]]主催の[[女流王将戦]]観戦記を描く仕事を得て、[[2008年]](平成20年)1月に[[日本将棋連盟]]へ棋士[[島朗]]、[[森下卓]]を訪ね、棋士生活について取材した。2回目のインタビューの席でさかもとの病状を窺い知った島より将棋の習得を勧められ、島の十数回に及ぶ指導の下で<ref>[http://www.sakamotomimei.com/mimeiroom.html Mimei's Room Shogi]</ref>将棋を指すようになる<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/e178dcee2f1c7529376f516d00db8a0c さかもと未明の和みカフェ? 将棋!!]</ref><ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.220-224</ref><ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/20763a7375a22f32bd3365ac98bedea3 さかもと未明の和みカフェ? 将棋レッスン]</ref>。同年8月より小規模事務所に円満移籍した<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.233-235</ref>。

不況風の吹く[[2009年]](平成21年)秋、講談社は採算の取れない『MiChao!』の閉鎖と全作品の連載中止を決定<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] p.235</ref>。これに伴い、この時点で唯一残っていた連載『のんのんのんちゃん』を失うことになった。やむなくアシスタントに頭を下げて解散を通告し、彼女たちの理解を得た<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.236-240</ref>。これ以降、シンガー「チェルシー」としてのライブ活動を加速させる。『[[シェルブールの雨傘]]』の曲に乗せて[[横田めぐみ]]への思いを音楽に託して歌ったりもした<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.240-242</ref>。また、新しい事務所社長のつてでジャズピアニスト[[クリヤ・マコト]]に会い、自身の病気や歌への思いを伝えたところ<ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.248-249</ref>、[[高階恵美子]]作詞作曲の『人生(いのち)』をCD化するにあたり、さかもとに歌ってほしいとの連絡を得る。高階と面会したうえで、「本当にお願いをすれば叶うのよと、今苦しんでいるいろんな人に伝えたかった」さかもとの希望に沿って『[[星に願いを]]』を加え、クリヤ・マコト・トリオとともにCDを制作した<ref name="2016-175" /><ref>[[#さかもと2009|さかもと2009]] pp.250-252</ref>。

=== 現夫との出会い ===
2009年10月、銀座のクラブでホステスのアルバイトをしていた折に、ママと共に男性客の接待をした。そのうちの一人、横浜市内の開業医がさかもとの膠原病の病状に気づき、これをきっかけに病気に苦しむさかもとを助けようと<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.46-51</ref>、私財を投じて一方的に援助を行うようになった<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/e54c5ea5086ea2cd8582813d25425f4d さかもと未明の和みカフェ? やさしいみんなからプレゼント]</ref>。この開業医には妻子がおり、開業医はさかもとに妻の了解のもとで支援している旨を話していたが<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.52-57</ref>、実際には秘密にしていた<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] p.60</ref>。さらに彼の提案を受け<ref>[[#さかもと2013|さかもと2013]] p.165</ref>、[[2010年]](平成22年)5月に、さかもとはクリヤや[[鳥越啓介]]と彼の営む病院でチャリティーコンサートを行う<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/6b5577ecafddb69c3f9b018fc7b8f738 さかもと未明の和みカフェ? チャリティーコンサート]</ref>。それが妻の知るところとなり<ref name="2014-170">[[#さかもと2014|さかもと2014]] pp.170-171</ref>、夫がさかもとと不倫をしているものと思い込んで、さかもとを相手に1,100万円の慰謝料を求めて東京地裁に提訴した<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.58-59</ref>。ストレスを感じたさかもとは、夏から再び煙草に手を出すようになった<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/c7d71066483d28f587a4c9244101412d さかもと未明の和みカフェ? 禁煙外来]</ref>。開業医は[[週刊ポスト]]の取材に対して、不倫関係を否定しつつ「(さかもとへの思いは)信仰に近い。私としては“未明観音”として崇めたいほどです」と語ったという<ref>[http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20120701/Cyzowoman_201207_post_6185.html 不倫疑惑から“略奪”結婚へ! さかもと未明の「結婚のお値段」] - エキサイトニュース</ref>。提訴から7か月後の12月に、開業医夫妻の離婚が成立するとともに、さかもとへの訴訟は取り下げられることとなった<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.63,96</ref><ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/26a497db61a65d3210713e1cd460a0fa さかもと未明の和みカフェ? ご報告]</ref>。

たまたま精神科医[[星野仁彦]]の著した『発達障害に気づかない大人たち』の新聞広告を目にしたさかもとは<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.23-25</ref>、そこに記されていた特徴が自らのものと酷似していたため、9月<!--※注意※ 公式ブログには http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/9576babbc0b960087d3f047436c0d05「2010年9月」に「取材であった郡山のお医者様」との記述がある一方、『奥さまは発達障害』 p.25には郡山取材が「2010年11月」と記載されており、月が相違している。-->に<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/m/201009 さかもと未明の和みカフェ? 2010年9月のブログ記事一覧]</ref>取材目的で雑誌編集者と[[星総合病院附属星ヶ丘病院|星ヶ丘病院]]に勤務する星野のもとへ訪問<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.26</ref>。そこで自らの半生を話し、[[注意欠陥・多動性障害|ADHD]]、[[アスペルガー症候群]]、[[アダルトチルドレン|AC]]が複雑に絡み合った症状を抱えていると星野より診断を受け<ref name="2014-9">[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.9</ref>、食事療法(星野式ゲルソン療法)を勧められるとともに<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/9576babbc0b960087d3f047436c0d055 さかもと未明の和みカフェ? 食物療法]</ref>、治療のために新幹線で通院することとなった<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.72-87</ref>。

{{Quotation|「(あなたはすべてを捨てて離婚してしまったのに、今度は私に結婚を申し込むなんて)めちゃくちゃだと思います。それに、私は病気で子供も産めないし、家事もできません。あなたに何のメリットもないのに、結婚を申し込む理由がわかりません」

「はい、めちゃめちゃだと思います。こうして離婚してまた結婚したら、『やはり不倫だった』と言われると思います。でも、そんなことを気にしていられないほど、あなたの病は重い。家族が要ると思います。だから僕はそれに名乗り出たい。大変な人だから支えたいんです。好きになってしまったのを、言い訳しているのかもしれません。好きなんだと思います。妻が僕より先にこの気持ちに気づいて告訴〔ママ〕したんでしょう。不倫の事実はなくても僕はあなたを好きだったと思います。今それを認めます。だから結婚してください」<ref name="2014-170" />}}

[[2012年]](平成24年)1月に、件の開業医と再婚<ref name="sponichiannex20120623">{{Cite news
| url = http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/06/23/kiji/K20120623003525490.html
| title = さかもと未明さん 開業医と再婚していた「女の幸せはキャリアでなく結婚」
| newspaper = [[スポーツニッポン]]
| date = 2012-06-23
| accessdate = 2012-06-23
}}</ref>。翌[[2013年]](平成25年)6月に、結婚式を[[靖国神社]]で、披露宴を[[ホテル椿山荘東京]]で催行<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/ce835f3e9d107af2d60d8fcad07cc58e さかもと未明の和みカフェ? 結婚式の朝]</ref>。横田夫妻が媒酌人を<ref name="sc45" /><ref>[[#さかもと2014|さかもと2014]] p.56</ref>、[[南美希子]]が司会を務めた<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/ad7286a8f42408f87fe816cedb389e9c さかもと未明の和みカフェ? Wakiya]</ref>。同日、日本将棋連盟より二段の免状を授与される<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/5e62690baece7b5eaeca936fd36e0d2e さかもと未明の和みカフェ? 将棋免状]</ref>。さかもとが「兄ちゃん」と呼ぶ<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.4,70</ref><ref>[[#さかもと2013|さかもと2013]] p.162</ref>「私を起こしてくれて、着替えさせてくれる。靴下や下着もはかせてくれる」現夫の献身的な支えを得て、結婚後も変わらず療養を続ける<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] pp.124-128</ref><ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.127-129,144,162-166</ref>。

2012年『[[Voice_(雑誌)|Voice]]』12月号にて、『再生[[日本航空|JAL]]の心意気』と題されたコラムを発表<ref>[http://shuchi.php.co.jp/1229/1229.htm 再生JALの心意気] - PHPビジネスオンライン 衆知</ref>。11月に、[[聴覚過敏]]を抱えるさかもとが飛行機の機内で泣き叫ぶ赤ちゃんにパニックを起こし、母親に対して赤ちゃんがもう少し大きくなるまで飛行機には乗せるべきではないと告げたうえで、「もうやだ、降りる、飛び降りる!」と着陸準備中の機内を出口に向かって走り始めたことを記している<ref>[http://www.cyzowoman.com/2017/03/post_132167_2.html 「発達障害があるから、アタシは“さかもと未明”になった」生きづらさを抱える人に漫画で届ける希望] - サイゾーウーマン</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/7158230/ さかもと未明氏、飛行機で泣く子供にブチ切れたことを告白 ツイッターで物議醸す] - livedoor ニュース</ref>。さかもとは陸に降りても激しくクレームをし続けたとのこと。さかもとによる母子への対応、機内での行動が話題となった<ref>[http://www.rbbtoday.com/article/2012/11/20/98074.html 「子供は泣くさ」 物議醸した“搭乗マナー”問題、つんくや乙武さんの発言に共感の声多数] - RBB TODAY</ref><ref>[http://blogos.com/article/50669/ さかもと未明女史、飛行機中で赤ちゃんに泣かれて逮捕寸前のクレームを起こす] - BLOGOS</ref>。この件を星野のもとへ受診した折にまくしたてて、[[メチルフェニデート|コンサータ]]服用の副作用として発症した[[双極性障害]]との診断を受けた<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.146-147</ref>。

[[身体障害者手帳]]2級の認定を受けるほどに全身の筋肉が硬直し<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/13/kiji/K20151113011502280.html 難病、発達障害…さかもと未明氏、どん底救った川島なお美さんの言葉] - スポニチアネックス</ref>、入退院を繰り返すことで精神状態も悪化。何度となく希死念慮に襲われてきたさかもとだが<ref name="sc45" />、発達障害に理解を示し、全面的にサポートしてくれる夫との療養生活を通じて<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.131</ref>、チャリティー活動を進める決意を固めた<ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] p.171</ref>。生涯の仕事として改めて絵画を選択<ref>[http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-12224090721.html さかもと未明が実体験を描いた衝撃マンガ『奥さまは発達障害』&さかもと未明作品展~来年【吉井画廊】] - 銀座由美ママの心意気 </ref>。[[ジャン・コクトー]]のシンプルな作品群に惹かれて版画に取り組み<ref name="sc45" /><ref>[[#さかもと2016|さかもと2016]] pp.181-183</ref>、個展を開催するほか<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/1525a4cf084b7daebdf71e8bd16afec9 さかもと未明の和みカフェ? 版画展のお知らせ]</ref>、コンサートを企画したり<ref>[http://www.messages2017.com/ Message 明日への手紙 -海を越えて、時を超えて-]</ref>、定期的に自らボーカルを担う[[演奏会|ライブ]]を開催したりするなど活動の幅を広げている。

== ペンネーム ==
前夫の姓である「坂本」<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.206</ref>を用い<ref>[[#星野・さかもと2014|星野・さかもと2014]] p.236</ref>、本名の「明美」を逆さにして[[小川未明]]の名を当てたものを組み合わせて<ref>[http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/bccdc03a57f12241fa2ff0641b570926 さかもと未明の和みカフェ? 家族会の飯塚繁雄様など沢山いらしてくださいました!!]</ref>「さかもと未明」とした。


== 著書 ==
== 著書 ==
* 『カメラマン亜理沙美少女狩り さかもと未明作品集』蒼馬社 1996 のち双葉文庫 
* 『カメラマン亜理沙美少女狩り さかもと未明作品集』蒼馬社 1996 のち双葉文庫 
*『ゆるゆる 未明お姉さまのおきらく愛の相談室』マガジンハウス 1997
*『ゆるゆる 未明お姉さまのおきらく愛の相談室』マガジンハウス 1997
*『だって幸せになりたいんだもん なめっきり人生マニュアル』朝日ソノラマ 1998
*『だって幸せになりたいんだもん なめっきり人生マニュアル』朝日ソノラマ 1998
* 『マンガ ギリシア神話、神々と人間たち 』(監修:[[小堀馨子]])講談社1998 のち+α文庫 
* 『マンガ ギリシア神話、神々と人間たち 』(監修:[[小堀馨子]])講談社 1998 のち+α文庫 
*『上級ラブテクニック大全』宝島社 1999
*『上級ラブテクニック大全』宝島社 1999
* 『女流マンガ家が教える 女が歓ぶABC―レディコミにみる女のエッチ、男のエッチ』日本文芸社1999 
* 『女流マンガ家が教える 女が歓ぶABC―レディコミにみる女のエッチ、男のエッチ』日本文芸社 1999 
* 『マンガ [[カール・グスタフ・ユング|ユング]]「心の深層」の構造―全生涯とその分析心理学』[[渡辺学]]監修 講談社1999 
* 『マンガ [[カール・グスタフ・ユング|ユング]]「心の深層」の構造―全生涯とその分析心理学』[[渡辺学]]監修 講談社 1999 
*『世にも美しいHライフ』三一書房 1999
*『世にも美しいHライフ』三一書房 1999
* 『突撃!自衛隊』新潮社2000 
*『突撃!自衛隊』新潮社 2000 
* 『ふたりのH講座-「はじめて」から「ちょっと上級」まで』三笠書房 2002 のち王様文庫 
*『ふたりのH講座-「はじめて」から「ちょっと上級」まで』三笠書房 2002 のち王様文庫 
*『恋する虎の巻 未明観音のごたくせん』有楽出版社 2003 のち幻冬舎文庫 
*『恋する虎の巻 未明観音のごたくせん』有楽出版社 2003 のち幻冬舎文庫 
* 『ニッポンの未明』1-2 扶桑社2003-04 
*『ニッポンの未明』1-2 扶桑社 2003-04 
*『未明日記』碧天舎 2003
*『未明日記』碧天舎 2003
*『愛の絶頂相談室』セントラル出版 2004
*『愛の絶頂相談室』セントラル出版 2004
*『お別れ作法 モメる男、好かれる男の境界線』扶桑社 2004
*『お別れ作法 モメる男、好かれる男の境界線』扶桑社 2004
*『綺麗が勝ち!しあわせになる美人道』2005 講談社+α文庫
*『綺麗が勝ち!しあわせになる美人道』2005 講談社+α文庫
*『さかもと未明が教える女のキモチ レディコミにみる女のエッチ・男のエッチ』日本文芸社 2005
*『さかもと未明が教える女のキモチ レディコミにみる女のエッチ・男のエッチ』日本文芸社 2005
*『さかもと未明の美人革命 ほしい"綺麗"は、こうして手に入れる!』大和出版 2005
*『さかもと未明の美人革命 ほしい"綺麗"は、こうして手に入れる!』大和出版 2005
*『いつか、素敵な蝶々に。』グラフ社 2006
*『いつか、素敵な蝶々に。』グラフ社 2006
* 『マンガ ローマ帝国の歴史』全3巻(監修:小堀馨子)講談社2007 のち+α文庫 
*『マンガ ローマ帝国の歴史』全3巻(監修:小堀馨子)講談社 2007 のち+α文庫 
*『憂ちゃんのおしえてプリ~ズ! 教育編』産經新聞編集局共著 扶桑社2007
*『憂ちゃんのおしえてプリ~ズ! 教育編』産經新聞編集局共著 扶桑社 2007
*『他力本願美容道 ほんとうは誰にも教えたくない!』生活文化出版 2007
*『他力本願美容道 ほんとうは誰にも教えたくない!』生活文化出版 2007
*『殿方、しっかりなさいませ!』PHP研究所 2007
*『殿方、しっかりなさいませ!』PHP研究所 2007
*『右寄りですが、何か。 明快!ニッポンの論点』ワック 2007
*『右寄りですが、何か。 明快!ニッポンの論点』ワック 2007
* 『Harvey and Etsuko's Manga Guide to Japan』チャールズ・ダンジガー共著 ジャパニメ 2007 
*『Harvey and Etsuko's Manga Guide to Japan』チャールズ・ダンジガー共著 ジャパニメ 2007 
* 『未明日記ハイパー』芳文社2008 
*『未明日記ハイパー』芳文社 2008 
* 『のんのんのんちゃん①』講談社kids宝箱 まんがエネルギー 2008
*『のんのんのんちゃん①』講談社kids宝箱 まんがエネルギー 2008
* 『のんのんのんちゃん 金魚ちゃんをたすけるですぅ!』講談社kids宝箱 まんがエネルギー 2008
*『のんのんのんちゃん 金魚ちゃんをたすけるですぅ!』講談社kids宝箱 まんがエネルギー 2008
*『明日、面接に行ける本』ポプラ社 2009
*『明日、面接に行ける本』ポプラ社 2009
*『さかもと未明の「貯まる!」生活術』三笠書房 2009
*『さかもと未明の「貯まる!」生活術』三笠書房 2009
* 『神様は、いじわる』文春新書2009 
* 『神様は、いじわる』文春新書 2009 
* 『女性解放区 ハッピーに生きなきゃ意味がない!』[[杉本彩]],[[倉田真由美]]共著 PHP研究所 2009
* 『女性解放区 ハッピーに生きなきゃ意味がない!』[[杉本彩]][[倉田真由美]]共著 PHP研究所 2009
* 『「トクする離婚」で幸せをつかむ』主婦と生活社 2009
* 『「トクする離婚」で幸せをつかむ』主婦と生活社 2009
* 『どん底力! 失意の底から這い上がるための29の方法。 』マガジンハウス 2010
* 『どん底力! 失意の底から這い上がるための29の方法。』マガジンハウス 2010
* 『未明のハリウッド』ジャパニメ 2010 
* 『未明のハリウッド』ジャパニメ 2010 
* 『女子のお値段』小学館 2012
* 『女子のお値段』小学館 2012
* 『SHOW CASE』 MIMEIDIA 2013
* 『まさか発達障害だったなんて 「困った人」と呼ばれつづけて』[[星野仁彦]]共著 PHP新書 2014
* 『まさか発達障害だったなんて 「困った人」と呼ばれつづけて』星野仁彦共著 PHP新書 2014
* 『奥さまは発達障害』星野仁彦監修 講談社 2016

== ディスコグラフィー ==
; アルバム
* 『人生』(2009年10月14日、[[ランブリング・レコーズ]])
* 『ラ・マジ・ドゥ・ラムール』(2012年9月12日、[[スペースシャワーネットワーク]])
* 『青い伝説』(2013年6月5日、スペースシャワーネットワーク)


== 出演番組 ==
== 出演番組 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist|3}}
<references />

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|editor = さかもと未明
|year = 2007
|title = 右寄りですが、何か。
|publisher = [[ワック]]
|isbn = 978-4-89831-110-3
|ref = さかもと2007
}}
* {{Cite book|和書
|editor = さかもと未明
|year = 2009
|title = 神様は、いじわる
|publisher = 文藝春秋
|isbn = 978-4-16-660725-9
|ref = さかもと2009
}}
* {{Cite book|和書
|editor = さかもと未明
|year = 2012
|title = 女子のお値段
|publisher = 小学館
|isbn = 978-4-907213-00-8
|ref = さかもと2012
}}
* {{Cite book|和書
|editor = さかもと未明
|year = 2013
|title = SHOW CASE
|publisher = MIMEIDIA
|isbn = 978-4-569-80948-9
|ref = 星野・さかもと2014
}}
* {{Cite book|和書
|editor = 星野仁彦・さかもと未明
|year = 2014
|title = まさか発達障害だったなんて 「困った人」と呼ばれつづけて
|publisher = PHP新書
|isbn = 978-4-569-80948-9
|ref = 星野・さかもと2014
}}
* {{Cite book|和書
|editor = さかもと未明
|year = 2014
|title = わたしの居場所はここにある
|publisher = [[海竜社]]
|isbn = 978-4-7593-1373-4
|ref = さかもと2014
}}
* {{Cite book|和書
|editor = さかもと未明
|year = 2016
|title = 奥さまは発達障害
|publisher = 講談社
|isbn = 978-4-06-220150-6
|ref = さかもと2016
}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei さかもと未明の和みカフェ?]
* [http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei さかもと未明の和みカフェ?]
* [http://www.sakamotomimei.com/mimei-official/index.html さかもと未明公式ホームページ]
* [http://www.sakamotomimei.com/mimei-official/index.html さかもと未明公式ホームページ]
* {{Facebook|sakamotomimei|さかもと未明}}
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* {{YouTube|e088DnGd5IA|CD「人生(いのち)」さかもと未明さんプロモーション映像}}・[[高階恵美子]]チャンネル
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[[Category:日本の漫画家]]
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2017年6月14日 (水) 00:05時点における版

さかもと 未明
本名 武田 明美
生誕 (1965-10-21) 1965年10月21日(58歳)
日本の旗 日本 神奈川県横浜市
職業 漫画家 作家 アーティスト
活動期間 1989年 -
ジャンル 官能漫画
時事漫画
児童漫画
代表作 『ニッポンの未明』
『未明日記』
『のんのんのんちゃん』
公式サイト さかもと未明公式ホームページ
さかもと未明の和みカフェ?
テンプレートを表示

さかもと 未明(さかもと みめい、1965年昭和40年〉10月21日 - )は、日本漫画家作家アーティスト。「MIMEIDIA」社長。

本名は武田 明美(たけだ あけみ)。旧姓、安西(あんざい)[1]神奈川県横浜市出身。神奈川県立厚木高等学校を経て、玉川大学文学部英文学科卒業。

人物・経歴

子供時代

アスペルガー症候群を始めとする絡み合った発達障害を抱えながら、それが「甘え」だとして両親に理解されず、幼少期より苦しみ続けた[2]。加えて、普段は温和な父親が酒を帯びると一変し、母親に激しい暴力をふるい、家財を壊していった[3]。怒号や悲鳴が響き、物の壊れる音が飛び交う中、さかもとは妹たちとその都度家の隅に固まって、胃が縮み上がる思いをしながら嵐が過ぎ去るのを待つ恐怖感を味わい続ける[4]。やがて、自分が父や母を殺してしまう夢を何度も見るようになった[5]

厚木市内に引っ越してきた9歳のころより、試験では百点ばかり取る半面[6]、運動がまるで苦手で「変わった子」とからかわれ[7]、いつもクラスメイトに泣かされいじめにおびえる毎日[8]、ひとりぼっちでコンパスや定規を用いて幾何学模様を描いたり、藤城清治の絵本を読んだりして過ごす[9]。産経新聞に連載されていた手塚治虫の『海のトリトン』や[10]きりひと讃歌』に触れ[11]、また学級文庫の漫画や[12]、児童館の図書室にて大人向けの内外の名作小説を次々に読み、「漫画家になりたい」「ものを書く人間になりたい」と意識するようになった[13]。学年が進むにつれていじめの被害は軽減し、友人も得るようになった[12]。中学時代は保健室で寝ている日が多かったものの、体育を除いて学年で一、二を争う優秀な成績を収める[14]。3年生の折に集英社別冊マーガレットに漫画を応募し、入賞を果たした[15]

漫画の主人公たちは、どんなときもへこたれたりしなかった。わたしもそんな大人になれたらいい。今はまだ子供で、何の力もないけれど、いつか強い大人になって、絶対に思い通りに生きる。(中略)わたしはいつか漫画家か、作家か、なにかそういう、人の心を表現するものにならなくちゃいけない。なれるかわからないけど、なりたい[16]

厚木高校に入学後、美術部の入部を希望したが、出費がかさむと母親に猛反対される。「わたしの夢は、母の負担になること」と意識するこのころ[17]、中学時代からの親友が不慮の事故死を遂げる[18]。やがて何事にも無気力になり、常に倦怠感に包まれるようになった。頭痛や腹痛に悩まされ、布団から起き上がれず、夜も眠れずリストカットを繰り返すようになったほか[19]、体重が40キロを切るほどの摂食障害になり[20]、しばしば朝礼や授業中に倒れ[21]不登校にもなっていた[20]。毎週のように母親に病院へ連れていかれるも脳や胃腸に何の疾患も見つからず、精神科に回されることになったが、母親からは「うつ病なんてただの甘え」[22]、「みっともない」と取り合ってもらえなかった[23]。その後、学校からの要請も入り、隔週程度での投薬とカウンセリングで精神科への通院を開始[24]。カウンセラーとの面談を通じて心の隙間を埋めていったものの[25]、その辛さをまったく理解しようとしない母親への嫌悪感は募るばかりだった[26][27]

高校ではほとんど授業を受けず惨憺たる成績だったが[28]、推薦入試で[29]玉川大学に入学[30]。ふんわりとした柔らかな学風が合い、夢中で勉強し[31]、休みには家を出るための資金作りとしてアルバイトで働き詰め[32]、卒業までに250万円を貯めこんだ[33]。そして、母親に急き立てられるままに就職と下宿先を決めた[34]。しかし、引っ越しを前に「就職するより漫画を描いていたい」と後悔し始める[35]。その胸の内を両親に打ち明けたところ烈火のごとく怒られて、翌日には母親から家中のさかもとの荷物を外に放り出された[36]海上自衛官だった[37]中学時代の同窓生に連絡して荷物を下宿先に運んでもらい、この日限りで実家を出ることを決意した[38]

漫画家デビュー

大学卒業後の1988年(昭和63年)、アパレル商社のOLとなったものの、不安や神経症状にさいなまれて業務を遂行することができず[39]、2度の退職勧告を受けて入社3か月後に自主退職[40]。退職してほどなく「漫画を応援したい」と言ってくれた件の同窓生と結婚した。日中は主婦業の傍ら義父の営む設計事務所の事務仕事を手伝い、夕方から夫の帰宅する午後10時過ぎまで投稿漫画を描き続けた。あいにく仕事には結びつかず、レディースコミック誌の編集者に電話をして3回限りで使ってもらうこととなった[41]1989年平成元年)、日本文芸社『ノワール』に官能漫画『セカンドフライト』を発表し、漫画家としてデビューする[42]。描き手がいくらでも求められたバブル時代において、またたく間に人気を博した。いきおい義父の手伝いはできなくなり、夜通し漫画を描き続ける毎日となった[43]。夫はさかもとの描く官能漫画に困惑し、子供がほしいと希望[44]。学童期や思春期の辛い記憶から「子供を産むことが善だと納得できなかった」[45]さかもとは漫画を描き続ける道を選び、これがために2年で離婚することとなった[46]

閉じこもって切磋琢磨したその後でないと、ちゃんとそういう(一流の)作家さんに並んで作品を描けるようにならないから、わたしはお外で遊ぶ資格なんかない。わたしは自分の失われた十代をそうしてとり戻さないと、表現者として、まにあわない[47]

離婚後、単身で[48]小金井市内に住まいを移し[49]、大量のコーヒーと煙草を手に[50][51]、夕方前から朝まで原稿を描く生活を続けた。多忙を極めたが仕事が舞い込み、この時期はほとんど精神科を受診することはなかった[49]。ごくたまに、近所のレストランでジャズの生演奏をしていたギタリスト光井靖から、ギターのレッスンを受けるのが息抜きのひととき[52]。結婚を意識するような出会いに恵まれるも、交際自体を負担に感じてしまい、相手の気持ちに沿うことができず、恋愛を実らせることはできなかった。「(わたしには)誰かを好きになる資格なんかない」と、次々に仕事を埋めていく毎日を過ごした[53]

活躍の場の拡大

「官能」出身と色をつけて見られることに反発し[54]、漫画執筆の傍ら2000年(平成12年)に新潮社から『突撃!自衛隊』を上梓。同年、文芸雑誌 『文學界』(文藝春秋)にも処女作『花悩』を発表して作家デビューするなど[42]、硬派な仕事を好んで受けるようになった[54]。この時期に『新潮45』に体験ルポやエッセイを発表し始める[55]。取材の過程で訪れた西村眞悟の出陣式にて、西村より北朝鮮拉致問題について取材してほしいと要望を受け、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の街宣活動に参加し、その場で横田滋早紀江夫妻と面会。横田夫妻とはこのときより親交を深めている[56][57]。後日、扶桑社週刊SPA!』の編集長に、この取材を基にした拉致問題に関する漫画コラムの資料を提出し、時事批評漫画の連載話がまとまる。ここでさかもとは自身のヌード写真の口絵掲載を提案。編集長より快諾を受けて、2003年(平成15年)に『ニッポンの未明』連載を開始した[58]。4年半にわたって続いたこの連載を通じて数々の国会議員や著名人と交流し[59]、ニュータイプの保守論客漫画家として脚光を浴びた。

その他、和風情緒に惹かれ、向島にある料亭のお座敷係を経て[60]銀座クラブヘルプとしても働くようになる[61]。ブログ『さかもと未明のアメーバ的告白』とサイト『さかもと未明愛の教習所』の運営も開始[62]。女性誌の人生相談でも人気を得て、初の美容本『さかもと未明の美人革命』が10万部を越えるヒットとなる。並行して、禁煙の動機をつくろうと歌のレッスンを始め、一日60本消費していた煙草をきっぱりと止めた[50]

扶桑社の編集者平田静子の提案により、2005年(平成17年)10月1日から産経新聞にて時事漫画『憂ちゃんの おしえてプリーズ!』の連載を始める[63]。同年に平田の紹介から芸能事務所サニーサイドアップ[64]に所属し[50]、その結果2006年(平成18年)より『スッキリ!!』(日本テレビ)に、金曜日担当のレギュラーコメンテーターとして出演することとなった[50]。4人の常駐アシスタントと数人の主婦アルバイトを雇っていたが[65]、仕事は多忙を極め、湯船につかる時間もなく睡眠時間は5時間未満、一日のうち15時間から18時間を仕事に充てた[66]。事務所社長次原悦子の指示を受け、長年続けてきた官能漫画の仕事を整理し、歌のレッスンも中止。また毎日の大量飲酒によりアルコール依存症を疑われるほどだったが、この機会に断酒も果たす[67]。著名人との交流の場では和装を常としてエルメスのバッグを合わせ、上品なふるまいを意識するようになった[68]。仕事環境の変化に伴って交流する人間は激変した一方で、プライベートにて横田夫妻や漫画家槇村さとるとの変わらぬ付き合いを楽しんだ[69]

2007年(平成19年)には、中断していたブログを一新して『さかもと未明の和みカフェ?』として再開し[70]、18年ぶりに実家への帰省を果たした[71]講談社より神話や歴史をテーマにした書き下ろし『マンガ ローマ帝国の歴史』全3巻を刊行。制作費450万円を投じ[72]、7年をかけたこの書籍は、海外でも翻訳出版された[73]。また、同年初秋より講談社『MiChao!』に連載する[42]子供向け漫画のオファーを二つ返事で受諾し、『のんのんのんちゃん』に没頭する。レディースコミックの枠を越え、子供を勇気づけるテーマで漫画を描けることに喜びを抱いた[74]

膠原病と歌

2005年半ばより、目の異常な乾きでコンタクトレンズが使用できなくなった[75]。これを皮切りに、さまざまな疾患を意識するようになる。2006年には何日も40度を超える高熱が続いたが、原因はつかめなかった[76]。疲労感を覚え、脱毛症や発疹、手足の冷えに悩まされて自宅の掃除もままならず、大量の着物も脱ぎっぱなしでさながらごみ屋敷同然になる[75]。睡眠薬を手放せなくなり、戸締りを執拗に確認せずにはいられなくなる強迫神経症にも悩まされ、徐々に仕事に支障をきたすようになった[77]。『マンガ ローマ帝国の歴史』刊行後には三枝成彰らに誘われ海外旅行に出かけるも、青い海を見るにつけ倦怠感に襲われ、激しい吐き気や頭痛に悩まされて、一人ホテルで休養せざるを得なくなった[78]

2007年11月、ひどい疲労感とともに両手指が腫れて痛み、指先に暗褐色の出血点が見つかる。意を決し山王病院を経由して[76]東京大学医学部付属病院にて[79]検査を受けた結果、膠原病全身性エリテマトーデス全身性強皮症シェーグレン症候群)と診断され[80][81][82]、手が動かなくなる可能性が高いことと、日常生活におけるさまざまな注意事項を告げられる[83]。その数日後、自宅に両親を呼んで診察結果を説明しながら、自らの心の鎮静に努めた[84]。複数の病院を受診して治療に関する情報を収集し、知己である日野原重明からの手紙も受けたうえで[85]、最終的に東大病院への通院治療を決める[86]

所属事務所はさかもとの病気に理解を示し、契約を維持しつつ各種検査をスムーズに受けられるように取り計らった[87]。両親や[88]アシスタントたちの支えを得て仕事は続け[89]、特定疾患医療費助成制度の認定も受けた[90]。しかし、その後も症状や体調の悪化は進み[91]、あまりの痛みに字を書きづらくなり[92]、仕事以外では誰にも会わず、原稿に臨む時間を除けば自宅就寝、通院に限られる生活となり[93]、空を見上げては涙がこぼれて止まらなくなった[94]

仕事の柱であった『ニッポンの未明』『憂ちゃんの おしえてプリーズ!』の連載終了が相次いで決まる[90]。論壇系の仕事依頼も途絶え[95]、ひたすらに病気の回復を願いながらも[96]「人間関係も仕事の仕方も切り替えて、新しく生き直さなければいけない」と決意[97]、自分と向き合いながら、相手に共感の言葉を与えられる存在になりたいと思い至る[95]

どんなに前向きに慰められようと、死ぬときは死ぬ。なおらないものはなおらない。そういう「どうしようもないもの」に突き当たった人に必要なのは、ただより添う気持ちだけだ。自分を心配してくれる人がいると思うだけで、人は安らかになれるのじゃないかしら。わたしはそんないまわの際の人の心にも、そっと忍び込むような言葉や作品をかけられるようになりたい[95]

まず、槇村さとるを訪れ、病状説明とともに漫画家の続行意志と歌の勉強再開の意欲を話し、集英社の雑誌への漫画掲載の助力を得る[98]。翌日に光井靖のもとへ行き、ジャズボーカルをやりたい旨を懇願[99]。光井はさかもとに合いそうな曲を作曲してはその楽譜をさかもとの自宅まで持参し、光井の伴奏で歌ってみるレッスンを始めることとなった[100][101]。その後、光井の提案から門下の女性ジャズバンド鳥尾さんを紹介され[102]、毎週のように彼女たちが出演するライブハウスで飛び入りで歌わせてもらったり、レッスンを受けたりした[103]。さかもとがライブハウスで歌う際には、帽子にハイウエスト切り替えのワンピースを着用し、キャンディーのように甘い声で歌いたいとの思いを込めて、自身を「チェルシー」と名乗る。そこで玉川大学の後輩であるピアニスト遠藤征志とも合流し、シンガーとしての活動の幅を広げてゆく[104]。彼らとの交流を経て、「歌うことが生きるための杖になる」と意識するようになった[105]

槇村さとるから紹介された集英社の編集者との打ち合わせにて、将棋をテーマにした漫画を模索。日刊スポーツ主催の女流王将戦観戦記を描く仕事を得て、2008年(平成20年)1月に日本将棋連盟へ棋士島朗森下卓を訪ね、棋士生活について取材した。2回目のインタビューの席でさかもとの病状を窺い知った島より将棋の習得を勧められ、島の十数回に及ぶ指導の下で[106]将棋を指すようになる[107][108][109]。同年8月より小規模事務所に円満移籍した[110]

不況風の吹く2009年(平成21年)秋、講談社は採算の取れない『MiChao!』の閉鎖と全作品の連載中止を決定[111]。これに伴い、この時点で唯一残っていた連載『のんのんのんちゃん』を失うことになった。やむなくアシスタントに頭を下げて解散を通告し、彼女たちの理解を得た[112]。これ以降、シンガー「チェルシー」としてのライブ活動を加速させる。『シェルブールの雨傘』の曲に乗せて横田めぐみへの思いを音楽に託して歌ったりもした[113]。また、新しい事務所社長のつてでジャズピアニストクリヤ・マコトに会い、自身の病気や歌への思いを伝えたところ[114]高階恵美子作詞作曲の『人生(いのち)』をCD化するにあたり、さかもとに歌ってほしいとの連絡を得る。高階と面会したうえで、「本当にお願いをすれば叶うのよと、今苦しんでいるいろんな人に伝えたかった」さかもとの希望に沿って『星に願いを』を加え、クリヤ・マコト・トリオとともにCDを制作した[102][115]

現夫との出会い

2009年10月、銀座のクラブでホステスのアルバイトをしていた折に、ママと共に男性客の接待をした。そのうちの一人、横浜市内の開業医がさかもとの膠原病の病状に気づき、これをきっかけに病気に苦しむさかもとを助けようと[116]、私財を投じて一方的に援助を行うようになった[117]。この開業医には妻子がおり、開業医はさかもとに妻の了解のもとで支援している旨を話していたが[118]、実際には秘密にしていた[119]。さらに彼の提案を受け[120]2010年(平成22年)5月に、さかもとはクリヤや鳥越啓介と彼の営む病院でチャリティーコンサートを行う[121]。それが妻の知るところとなり[122]、夫がさかもとと不倫をしているものと思い込んで、さかもとを相手に1,100万円の慰謝料を求めて東京地裁に提訴した[123]。ストレスを感じたさかもとは、夏から再び煙草に手を出すようになった[124]。開業医は週刊ポストの取材に対して、不倫関係を否定しつつ「(さかもとへの思いは)信仰に近い。私としては“未明観音”として崇めたいほどです」と語ったという[125]。提訴から7か月後の12月に、開業医夫妻の離婚が成立するとともに、さかもとへの訴訟は取り下げられることとなった[126][127]

たまたま精神科医星野仁彦の著した『発達障害に気づかない大人たち』の新聞広告を目にしたさかもとは[128]、そこに記されていた特徴が自らのものと酷似していたため、9月に[129]取材目的で雑誌編集者と星ヶ丘病院に勤務する星野のもとへ訪問[130]。そこで自らの半生を話し、ADHDアスペルガー症候群ACが複雑に絡み合った症状を抱えていると星野より診断を受け[131]、食事療法(星野式ゲルソン療法)を勧められるとともに[132]、治療のために新幹線で通院することとなった[133]

「(あなたはすべてを捨てて離婚してしまったのに、今度は私に結婚を申し込むなんて)めちゃくちゃだと思います。それに、私は病気で子供も産めないし、家事もできません。あなたに何のメリットもないのに、結婚を申し込む理由がわかりません」 「はい、めちゃめちゃだと思います。こうして離婚してまた結婚したら、『やはり不倫だった』と言われると思います。でも、そんなことを気にしていられないほど、あなたの病は重い。家族が要ると思います。だから僕はそれに名乗り出たい。大変な人だから支えたいんです。好きになってしまったのを、言い訳しているのかもしれません。好きなんだと思います。妻が僕より先にこの気持ちに気づいて告訴〔ママ〕したんでしょう。不倫の事実はなくても僕はあなたを好きだったと思います。今それを認めます。だから結婚してください」[122]

2012年(平成24年)1月に、件の開業医と再婚[134]。翌2013年(平成25年)6月に、結婚式を靖国神社で、披露宴をホテル椿山荘東京で催行[135]。横田夫妻が媒酌人を[56][136]南美希子が司会を務めた[137]。同日、日本将棋連盟より二段の免状を授与される[138]。さかもとが「兄ちゃん」と呼ぶ[139][140]「私を起こしてくれて、着替えさせてくれる。靴下や下着もはかせてくれる」現夫の献身的な支えを得て、結婚後も変わらず療養を続ける[141][142]

2012年『Voice』12月号にて、『再生JALの心意気』と題されたコラムを発表[143]。11月に、聴覚過敏を抱えるさかもとが飛行機の機内で泣き叫ぶ赤ちゃんにパニックを起こし、母親に対して赤ちゃんがもう少し大きくなるまで飛行機には乗せるべきではないと告げたうえで、「もうやだ、降りる、飛び降りる!」と着陸準備中の機内を出口に向かって走り始めたことを記している[144][145]。さかもとは陸に降りても激しくクレームをし続けたとのこと。さかもとによる母子への対応、機内での行動が話題となった[146][147]。この件を星野のもとへ受診した折にまくしたてて、コンサータ服用の副作用として発症した双極性障害との診断を受けた[148]

身体障害者手帳2級の認定を受けるほどに全身の筋肉が硬直し[149]、入退院を繰り返すことで精神状態も悪化。何度となく希死念慮に襲われてきたさかもとだが[56]、発達障害に理解を示し、全面的にサポートしてくれる夫との療養生活を通じて[150]、チャリティー活動を進める決意を固めた[151]。生涯の仕事として改めて絵画を選択[152]ジャン・コクトーのシンプルな作品群に惹かれて版画に取り組み[56][153]、個展を開催するほか[154]、コンサートを企画したり[155]、定期的に自らボーカルを担うライブを開催したりするなど活動の幅を広げている。

ペンネーム

前夫の姓である「坂本」[156]を用い[157]、本名の「明美」を逆さにして小川未明の名を当てたものを組み合わせて[158]「さかもと未明」とした。

著書

  • 『カメラマン亜理沙美少女狩り さかもと未明作品集』蒼馬社 1996 のち双葉文庫 
  • 『ゆるゆる 未明お姉さまのおきらく愛の相談室』マガジンハウス 1997
  • 『だって幸せになりたいんだもん なめっきり人生マニュアル』朝日ソノラマ 1998
  • 『マンガ ギリシア神話、神々と人間たち 』(監修:小堀馨子)講談社 1998 のち+α文庫 
  • 『上級ラブテクニック大全』宝島社 1999
  • 『女流マンガ家が教える 女が歓ぶABC―レディコミにみる女のエッチ、男のエッチ』日本文芸社 1999 
  • 『マンガ ユング「心の深層」の構造―全生涯とその分析心理学』渡辺学監修 講談社 1999 
  • 『世にも美しいHライフ』三一書房 1999
  • 『突撃!自衛隊』新潮社 2000 
  • 『ふたりのH講座-「はじめて」から「ちょっと上級」まで』三笠書房 2002 のち王様文庫 
  • 『恋する虎の巻 未明観音のごたくせん』有楽出版社 2003 のち幻冬舎文庫 
  • 『ニッポンの未明』1-2 扶桑社 2003-04 
  • 『未明日記』碧天舎 2003
  • 『愛の絶頂相談室』セントラル出版 2004
  • 『お別れ作法 モメる男、好かれる男の境界線』扶桑社 2004
  • 『綺麗が勝ち!しあわせになる美人道』2005 講談社+α文庫
  • 『さかもと未明が教える女のキモチ レディコミにみる女のエッチ・男のエッチ』日本文芸社 2005
  • 『さかもと未明の美人革命 ほしい"綺麗"は、こうして手に入れる!』大和出版 2005
  • 『いつか、素敵な蝶々に。』グラフ社 2006
  • 『マンガ ローマ帝国の歴史』全3巻(監修:小堀馨子)講談社 2007 のち+α文庫 
  • 『憂ちゃんのおしえてプリ~ズ! 教育編』産經新聞編集局共著 扶桑社 2007
  • 『他力本願美容道 ほんとうは誰にも教えたくない!』生活文化出版 2007
  • 『殿方、しっかりなさいませ!』PHP研究所 2007
  • 『右寄りですが、何か。 明快!ニッポンの論点』ワック 2007
  • 『Harvey and Etsuko's Manga Guide to Japan』チャールズ・ダンジガー共著 ジャパニメ 2007 
  • 『未明日記ハイパー』芳文社 2008 
  • 『のんのんのんちゃん①』講談社kids宝箱 まんがエネルギー 2008
  • 『のんのんのんちゃん 金魚ちゃんをたすけるですぅ!』講談社kids宝箱 まんがエネルギー 2008
  • 『明日、面接に行ける本』ポプラ社 2009
  • 『さかもと未明の「貯まる!」生活術』三笠書房 2009
  • 『神様は、いじわる』文春新書 2009 
  • 『女性解放区 ハッピーに生きなきゃ意味がない!』杉本彩倉田真由美共著 PHP研究所 2009
  • 『「トクする離婚」で幸せをつかむ』主婦と生活社 2009
  • 『どん底力! 失意の底から這い上がるための29の方法。』マガジンハウス 2010
  • 『未明のハリウッド』ジャパニメ 2010 
  • 『女子のお値段』小学館 2012
  • 『SHOW CASE』 MIMEIDIA 2013
  • 『まさか発達障害だったなんて 「困った人」と呼ばれつづけて』星野仁彦共著 PHP新書 2014
  • 『奥さまは発達障害』星野仁彦監修 講談社 2016

ディスコグラフィー

アルバム

出演番組

脚注

  1. ^ さかもと2016 p.22
  2. ^ さかもと2016 p.34
  3. ^ さかもと2009 pp.65-66
  4. ^ さかもと2009 p.66
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  106. ^ Mimei's Room Shogi
  107. ^ さかもと未明の和みカフェ? 将棋!!
  108. ^ さかもと2009 pp.220-224
  109. ^ さかもと未明の和みカフェ? 将棋レッスン
  110. ^ さかもと2009 pp.233-235
  111. ^ さかもと2009 p.235
  112. ^ さかもと2009 pp.236-240
  113. ^ さかもと2009 pp.240-242
  114. ^ さかもと2009 pp.248-249
  115. ^ さかもと2009 pp.250-252
  116. ^ さかもと2016 pp.46-51
  117. ^ さかもと未明の和みカフェ? やさしいみんなからプレゼント
  118. ^ さかもと2016 pp.52-57
  119. ^ さかもと2016 p.60
  120. ^ さかもと2013 p.165
  121. ^ さかもと未明の和みカフェ? チャリティーコンサート
  122. ^ a b さかもと2014 pp.170-171
  123. ^ さかもと2016 pp.58-59
  124. ^ さかもと未明の和みカフェ? 禁煙外来
  125. ^ 不倫疑惑から“略奪”結婚へ! さかもと未明の「結婚のお値段」 - エキサイトニュース
  126. ^ さかもと2016 pp.63,96
  127. ^ さかもと未明の和みカフェ? ご報告
  128. ^ さかもと2016 pp.23-25
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  130. ^ 星野・さかもと2014 p.26
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  143. ^ 再生JALの心意気 - PHPビジネスオンライン 衆知
  144. ^ 「発達障害があるから、アタシは“さかもと未明”になった」生きづらさを抱える人に漫画で届ける希望 - サイゾーウーマン
  145. ^ さかもと未明氏、飛行機で泣く子供にブチ切れたことを告白 ツイッターで物議醸す - livedoor ニュース
  146. ^ 「子供は泣くさ」 物議醸した“搭乗マナー”問題、つんくや乙武さんの発言に共感の声多数 - RBB TODAY
  147. ^ さかもと未明女史、飛行機中で赤ちゃんに泣かれて逮捕寸前のクレームを起こす - BLOGOS
  148. ^ さかもと2016 pp.146-147
  149. ^ 難病、発達障害…さかもと未明氏、どん底救った川島なお美さんの言葉 - スポニチアネックス
  150. ^ 星野・さかもと2014 p.131
  151. ^ さかもと2016 p.171
  152. ^ さかもと未明が実体験を描いた衝撃マンガ『奥さまは発達障害』&さかもと未明作品展~来年【吉井画廊】 - 銀座由美ママの心意気
  153. ^ さかもと2016 pp.181-183
  154. ^ さかもと未明の和みカフェ? 版画展のお知らせ
  155. ^ Message 明日への手紙 -海を越えて、時を超えて-
  156. ^ 星野・さかもと2014 p.206
  157. ^ 星野・さかもと2014 p.236
  158. ^ さかもと未明の和みカフェ? 家族会の飯塚繁雄様など沢山いらしてくださいました!!

参考文献

  • さかもと未明 編『右寄りですが、何か。』ワック、2007年。ISBN 978-4-89831-110-3 
  • さかもと未明 編『神様は、いじわる』文藝春秋、2009年。ISBN 978-4-16-660725-9 
  • さかもと未明 編『女子のお値段』小学館、2012年。ISBN 978-4-907213-00-8 
  • さかもと未明 編『SHOW CASE』MIMEIDIA、2013年。ISBN 978-4-569-80948-9 
  • 星野仁彦・さかもと未明 編『まさか発達障害だったなんて 「困った人」と呼ばれつづけて』PHP新書、2014年。ISBN 978-4-569-80948-9 
  • さかもと未明 編『わたしの居場所はここにある』海竜社、2014年。ISBN 978-4-7593-1373-4 
  • さかもと未明 編『奥さまは発達障害』講談社、2016年。ISBN 978-4-06-220150-6 

外部リンク