東墨田

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東墨田
—  町丁  —
東墨田の街並み
東墨田の位置(東京23区内)
東墨田
東墨田
東墨田の位置
座標: 北緯35度43分23.39秒 東経139度49分56.78秒 / 北緯35.7231639度 東経139.8324389度 / 35.7231639; 139.8324389
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Sumida, Tokyo.svg 墨田区
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 2,337人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 131-0042[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 足立

東墨田(ひがしすみだ)は、東京都墨田区町名。現行行政地名は東墨田一丁目から東墨田三丁目。郵便番号は131-0042[2]

地理[編集]

墨田区の北東端に位置する。墨田区役所の北東方約2.8kmにある。北で荒川を挟んで対岸に葛飾区東四つ木、東で江戸川区平井、南は立花、西は八広と隣接する。町域の北辺の荒川を以て墨田区 - 葛飾区境、東辺の旧中川を以て墨田区 - 江戸川区境とする。町域内は中小工場が多く見られる。

産業[編集]

1909年明治42年)から1937年昭和12年)にかけて墨田区内に屠畜場があり、そこから発生する皮革を扱う産業が発達した[4]。他の皮革産業集積地に比べ豚革の加工が盛んであり、東京都による1997年の統計では日本全国の豚革加工事業所55軒のうち34軒が東京都内に所在し、東墨田地区はその中枢である[5]。これに伴い豚脂など動物性油脂を扱う業者も多く、これを原料とした石鹸産業も発展している[6]

歴史[編集]

この地は中世には「木毛河(きげがわ)」と呼ばれ、江戸時代に入ると「木下川(きねがわ)」と呼ばれるようになった[7]。江戸時代には「葛飾野」とも呼ばれ、将軍の狩場であった。新編武蔵風土記稿によると、行政区分は下木下川と上木下川に分かれ、下木下川には中川や中居堀に囲まれた低湿地に75戸の農村があり、萬久里・大荒田・二段田・葛西川・汐入・郷中耕地の6つの小字があった。1889年5月1日、町村制の施行に伴い吾嬬村の一部となる。吾嬬村は1912年9月1日に町制施行して吾嬬町となる。1930年、旧来の大字を廃止し、東一~八丁目、西一~九丁目の17大字を設置。現在の東墨田に当たる区域は吾嬬町東六~八丁目となる。1932年10月1日、吾嬬町が東京市に編入され、向島区吾嬬町東六~八丁目となる。1947年3月15日、向島区本所区と合併し、墨田区の一部となる。

1800年賤民頭の浅草弾左衛門について記した「弾左衛門書上」によると、江戸時代には斃死した牛馬の解体や刑吏勧進等の芸能などの職に携わる者が暮らしていた[8]。徳川後期の記録には「木下川の非人頭久兵衛、手下七人」とある[9]明治6年1873年)には当時鞣し業が集中していた浅草亀岡町(現在の今戸付近)や新谷町(現在の千束付近)の部落が臭気問題で当地に移転[9]。弾左衛門や、ニッピ(日本皮革)の前身となる桜組の創設者である西村勝三により近代皮革産業がつくられた[10]。1881年には神田橋本町の非人系部落が火災により当地に移転、鞣し業が栄える[9]

1892年、「魚獣化製場取締規則」による強制移転で、木下川と三河島に皮革業者が集められた[11]1925年関東大震災後の都市再整備のため木下川と三河島の皮革業者を砂町葛西村小松川町に移転する計画が立てられたが、木下川の皮革業者は「東京製革業組合」を結成し、陳情により移転計画は撤回された[12]。東京製革業組合は1936年、「江東皮革工業組合」に改められた。1942年企業整備令に基づき、木下川に91軒あった皮革工場の約半数が転廃業し、残った組合員は共同出資で「江東製革株式会社」を設立した。江東製革は陸軍海軍向けの革靴や空軍向け防寒具などを製造したが、1945年3月の東京大空襲で焼失した[13]戦後高度経済成長期には、合成皮革と競争しつつ、紳士・婦人靴や衣料品、レジャー用品などに向けた豚革の生産を行っている。

1970年部落解放同盟の支部が成立[9]。1984年のデータで1000世帯弱、2500人が住む[9]

地名の由来[編集]

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
東墨田一丁目 81世帯 156人
東墨田二丁目 728世帯 1,345人
東墨田三丁目 409世帯 836人
1,218世帯 2,337人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]

丁目 番地 小学校 中学校 備考
東墨田一丁目 1〜2番
3番1~3号
4~9番
墨田区立中川小学校 墨田区立吾嬬立花中学校 調整区域により以下への変更が可能
墨田区立第三吾嬬小学校
・墨田区立八広小学校
その他 墨田区立八広小学校 墨田区立吾嬬第二中学校 調整区域により以下への変更が可能
・墨田区立第三吾嬬小学校
・墨田区立中川小学校
東墨田二丁目 全域
東墨田三丁目 全域

交通[編集]

鉄道[編集]

東墨田の町域内に鉄道路線および鉄道駅はない。以下に近隣の路線および駅を紹介する。

バス[編集]

道路・橋梁[編集]

道路
橋梁

施設[編集]

  • 墨田清掃工場 - 東墨田一丁目に所在する。
  • 中川保育園
  • 墨田区立荒川四ツ木橋緑地
    • 荒川四ツ木橋緑地少年野球場
    • 荒川四ツ木橋緑地少年サッカー場
  • 東墨田運動場
  • すみだスポーツ健康センター
  • 新平井橋公園
  • 東墨田公園
  • 東墨田テニスコート
  • 白髭神社

人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 月別世帯人口”. 墨田区 (2017年12月1日). 2017年12月27日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月27日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月27日閲覧。
  4. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p40
  5. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p11、「なめし革の品目別産出事業所数」
  6. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p12
  7. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p7
  8. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p20-22
  9. ^ a b c d e 川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』pp.21-27(三一書房、1984年)
  10. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p23
  11. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p28
  12. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p29-31
  13. ^ 『木下川地区のあゆみ・戦後編』p35-43
  14. ^ 通学区域”. 墨田区 (2017年4月1日). 2017年12月27日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『木下川地区のあゆみ・戦後編』 木下川沿革史研究会、現代企画室、2005年ISBN 4-7738-0503-X

外部リンク[編集]