日本製品不買運動

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日本製品不買運動(にほんせいひんふばいうんどう)とは日本国外の各国で日本に対する政治的主張などを目的として、日本製品を買わないことを呼びかける社会運動である。

韓国[編集]

2013年大韓民国で日本製品不買運動が行われるようになっている。行われている背景は竹島問題であり、これに対しての日本政府の対応に不満を持つ民衆が日本製品不買運動を行っている。この運動は600万人が加盟するといわれている小売業者の団体が呼びかけており、3月1日にはソウル市で決起集会が行われ約200人が集まった。集会では日本製品は買うなとシュプレヒコールを上げ、日本製品を写真を貼った板に次々とを投げつけていた[1]

中国[編集]

1919年5月の清華大学の教師、学生による日本製品焼却
  • 1908年にマカオ沖で辰丸事件が発生。これを契機に日貨排斥が行われた。
  • 1915年に日本が提示した対華21カ条要求を契機として不買運動が起き、日本製品の没収,破壊が行われた。
  • 1931年満州事変により、関税の引上げなど政府をまきこみ、不買運動が行われた。
  • 2012年には中華人民共和国で日本製品不買運動が行われた。この運動が起こった背景には尖閣諸島問題に対する日本政府の対応への民衆の不満が存在する。運動では民衆は抵制日貨を訴え、不買対象とするべき企業の一覧を告示している[2][3]この運動は中国商務省姜増偉次官も容認していた[4]

タイ[編集]

1970年代前半期、経済の低迷から学生運動などの煽動で発生している。

背景には主幹輸出品の国際米価相場が1969年から低迷し1971年には過去10年の平均国際相場から約40%下がり、一部の地区限定だったがベトナム戦争特需も大幅に減少、特に食料品の値上がりは顕著だった。慢性的な貿易赤字は、一例で1970年上半期は輸出総額716000百万バーツ、輸入総額1313400百万バーツ、差597400百万バーツ[5]、石油、石炭は外国依存、多くは先進諸国との工業製品取引が占めた[6]。1970年1月2日、プンチャナ経済相は国内の景気について当面3年程度は低調傾向が続く予想見解を公表し、国民には国産製品の購入を推奨した(経済ナショナリズムの始まり。)[7]。同じく1月、政府直属の投資委員会は国内業界の反発から食器製造工場建設を進めていた日本陶器(ノリタケ)の申請を却下したことを明らかにした。 同年7月輸入関税を品目それぞれで約10-25%程度引き上げた[8]。閣僚談話で日本製品を品目で輸入規制する案が報道された。[9]

  • 1971年全国学生センター(National Student Center of Thailand・英語版)は、頻繁に政府へ景気浮揚政策を求めるデモ集会を繰り返し開催していた。集会では学生と一般家庭に向けて、高価な輸入品とくに輸入関税100%の化粧品、シャンプーやそのほかを指定し浪費を減らし倹約を勧める「贅沢品不買運動」を始める。
  • 1971年1月11日カセサート大学校内にて「反日クラブ」の結成を煽る勧誘ビラが配られる。大学当局は政治色彩が濃いことを理由に申請を拒否する予定だったが、名称を保留して同月27日に発足を強行、29日にパネルディスカッション公開討論会の予定を計画した。マスコミの取材にプンチャナ経済相は称賛の意を表し、名称については(露骨に一国を嫌悪するものを避けて)国産製品愛用運動を用いること提案する。名称は「反日クラブ」に定まり、全国学生センターの「日本製品不買運動」の中心として機能した。[10]
  • 全国学生センターは「贅沢品不買運動」に続いて「日本製品不買運動」呼びかけた。
  • 1972年10月10日バンコク市内にて開業した「野口キックボクシング・ジム」は初日からトラブルに見舞われた。野口プロモーションの経営で見学用に喫茶スペースを備える施設は、看板の「キックボクシングジム」という文言に批判が向けられ、抗議活動から暴力行為、16日に弾丸が撃ち込まれ、高校生と見られる少人数のデモ隊や現地マスコミの批判報道から同月17日には閉鎖に追い込まれている[11]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 韓国 日本製品不買運動始まる NHKニュース
  2. ^ ASCII.jp:反日デモの裏で進む“本気”の日本製品不買運動|山谷剛史の「アジアIT小話」
  3. ^ 中国で出回る“日本製品不買リスト”!標的はこの80社だ - 政治・社会 - ZAKZAK
  4. ^ 朝日新聞デジタル:日本製品の不買運動を容認 中国商務省次官 - 政治
  5. ^ Bankok bank Monthly Revew Sept. 1970
  6. ^ アジア経済研究所アジア動向年報・1971年版「1970年のタイ」経済p319-320
  7. ^ アジア経済研究所アジア動向年報・1971年版「重要日誌」p325
  8. ^ アジア経済研究所アジア動向年報・1971年版「1970年のタイ」経済p322
  9. ^ この不買運動は1976年10月6日血の水曜日事件で発足したターニン政権の政治集会の禁止令により労組・学生活動家の弾圧で幕引きとなった。
  10. ^ アジア経済研究所アジア動向年報(1972年発行)・1971年版「重要日誌」p324
  11. ^ 1970年代におけるタイ学生運動:「野口キック・ボクシング・ジム事件」と「日本製品不買運動」を事例に 北海道大学